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婚約解消いたします。書庫の目録はわたくしの私物ですので、持って参ります  作者: 卯月まゆ


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3/15

第3話 私物でございます

 その三日のあいだに、わたくしは束を数え直しました。


 旅で紙の順が乱れることがございます。乱れたまま置きますと、次に開いたときに直せません。百八十六枚を一枚ずつ確かめて、二枚だけ入れ替わっておりました。三十一枚目と三十二枚目でございます。


 直してから、母の部屋の隣の小さな机に置きました。実家に、わたくしの机はございません。十年、この家では寝るだけでございましたので。


 母が椅子を一つ運んでくださいました。運んでから、何も仰らずに出ていかれました。


 朝はやくに目が覚めます。書庫の掛け金を上げに行く刻でございます。行く先がないと気づくまでに、三日とも同じだけかかりました。


    ◇


 三日後の朝に、ハーヴィーが参りました。


 この方が朝にお見えになるのは、日のあるうちに片づけたい用があるときでございます。玄関の外で待つおつもりでしたが、母が中へお通ししました。


「お嬢様。奥様のお指図で参りました」


「伺っております」


「書庫の目録を、公爵家へお納めいただきたく」


 ハーヴィーは帳面を一冊持っておりました。表に「什器」と書いてございます。


「そちらは」


「屋敷の備品台帳でございます」


「わたくしの束は、載っておりますか」


 ハーヴィーはめくりませんでした。答えを先にご存じだからでございます。


「載っておりません」


「では」


「載っていないものが備品でないとは限りません」


 この方の申されることは、いつも筋が通っております。筋が通っておりますので、こちらも筋で返すほかございません。


    ◇


「ハーヴィー」


「はい」


「備品と申しますのは、家の金で買った物のことでございましょうか」


「おおむね、そうなります」


「では、紙はどちらの金で買ったものでしょう」


 ハーヴィーは少しだけ間を置かれました。


「……存じません」


「もう一つ伺います。書かれた場所は、備品かどうかに関わりますか」


「関わらぬとは申せません」


「では、そちらもお答えいたします。下書きは書庫で取りました。清書は、こちらの家で夜に書いております」


「……なぜ、わざわざ」


「書庫は暗うございます。日が落ちますと、燭台を二本立てても字が滲みます。滲んだ字は、十年経つと読めません」


 ハーヴィーは、その説明を黙って聞いておられました。


「それに、公爵家の蝋燭をわたくしの仕事に使う筋がございません」


「……仕事」


「はい」


    ◇


 母が入ってまいりました。手に帳面を持っております。ウェイクフィールドの出納帳でございます。表紙の端に、紙が十枚ほど挟んでございました。挟んであるのは目印でございます。挟んだのはわたくしではございません。


 母は帳面を卓に置いて、それから下がりました。何も申しません。


 わたくしは目印のところを順に開きました。


「一年目でございます。ハイベリーの紙屋。中判の紙、百五十枚。銀貨で二枚と、銅貨で六枚」


「……」


「二年目でございます。同じ紙屋。百二十枚。銀貨で一枚と、銅貨で十四枚」


 ハーヴィーは、卓の上の数字をご覧になっておりました。


「三年目からは年に二度ずつ買っております。春と秋でございます。秋のほうが多うございますのは、冬に手が悴んで書き損じるからでございます」


「お嬢様」


「はい」


「十年ぶん、ございますか」


「二十一件ございます。紙が二十件、インクが十七件。合わせて三十七件でございます。全て請取が付いてございます」


 ハーヴィーは目印の紙を一枚だけお取りになりました。それをご覧になって、また戻されました。


「請取の宛名は」


「ラヴィニア・ウェイクフィールド、でございます」


 目印の紙は、母のものでございました。母の手は、紙の端を三角に折ります。わたくしは折りません。


 いつから挟んであったのかは、伺っておりません。伺いますと、母が答えなければならなくなります。


    ◇


 ハーヴィーはしばらく黙っておられました。


 この方が黙りますのは、数が合わないときだけでございます。いまは数が合ってしまったので黙っておられます。


「巻末も、ご覧になりますか」


「拝見いたします」


 わたくしは束を持って参りました。最後の一枚をお見せしました。


 ——右、ラヴィニア・ウェイクフィールドが控え候。


 その下に日付が十行。


「これは、いつからお書きに」


「一年目の暮れからでございます」


「なぜ、書こうと」


「書庫番が代わりましたので」


 ハーヴィーは顔をお上げになりました。


「一年目の冬に、前の書庫番が暇を取りました。その方が置いていかれた覚え書きに、名がございませんでした。誰が書いたものか分かりませんので、半分は捨てるほかございませんでした」


「……」


「捨てるときに思いました。名のない紙は、書いた者ごと消えるのだと」


 ハーヴィーは、束の巻末をもう一度ご覧になりました。それから静かに閉じられました。


「お嬢様。わたくしは、これをお持ち帰りできません」


「はい」


「持ち帰りますと、盗みになります」


「はい」


「奥様には、そのように申し上げます」


「お手数をおかけいたします」


「お嬢様」


「はい」


「差し出がましいことを伺います。……お怒りでは、ないのでございますか」


「怒っておりません」


「さようでございますか」


「怒りますと、数が合わなくなります」


 ハーヴィーは、その答えをしばらく考えておられました。考えてから、もう一度腰を折られました。


    ◇


 ハーヴィーは玄関でお帰りの支度をなさいました。外套の釦を上から順に留められます。この方はいつも上から順に留められます。


 二つ目を留めたところで、手をお止めになりました。


「昨日、わたくしが書庫へ入りました」


「はい」


「三代前の婚礼の系図を探しました」


「五の棚の、第四十項でございます」


「……見つかりませんでした」


「棚には、ございます」


「ええ。棚にはあるのでしょう」


 ハーヴィーは三つ目の釦を留められました。


「棚にはあるのでしょうが、どれがそれなのか、わたくしには分かりませんでした。箱は四十七ございます。中は、どれも同じ紙でございました」


 箱の四十七という数は合っております。五の棚には四十七の箱がございます。うち系図が入っておりますのは十一。あとは領内の届け出と、古い書簡でございます。


「箱には、札が下がっているはずでございます」


「下がっておりました。ですが、札の字が読めませんでした」


「古い札は、墨が飛びます」


「……お嬢様は、あれをどうやって」


「札は見ておりません。並びで数えております」


 ハーヴィーは、そこで初めてわたくしの顔をご覧になりました。長くお仕えの方でございますが、こうしてまともに見られたのは初めてでございました。


    ◇


「お嬢様。一つ、お耳に入れておきます」


「はい」


「王室の系譜寮より、照会が参ります」


 わたくしはその言葉の意味をすぐには取りかねました。


「照会と申しますと」


「十年に一度、家々の系図を寮に納めます。今年がその年でございました」


「存じませんでした」


「ご存じないはずでございます。前の年は、お嬢様が来られる前でございましたので」


 ハーヴィーは四つ目の釦を留められました。


「奥様が目録を急がれた理由でございます」

(目録より)第三棚 第九項 紙の請取 三十七通。十年分。


出納帳に挟んでございました目印の紙は、端が三角に折ってございました。わたくしは折りません。折る方は、この家に一人だけでございます。いつから挟んであったのかは伺っておりません。伺いますと、母がお答えにならなければなりませんので。次回、王室系譜寮の記録官がお見えになります。この方は、わたくしを一度も「お嬢様」とお呼びになりません。――ブックマークと評価をいただけますと、紙の請取が三十八通目になります。次の十年ぶんが買えます。

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