第2話 四千三百十八
翌日の昼過ぎに、ウィンズロウ公爵夫人がお見えになりました。
実家の応接間は狭うございます。夫人がお掛けになると、部屋の広さがそのぶん減ったように見えました。母は茶を運んで、それから下がりました。母は昔から必要のない場に留まりません。
「ラヴィニアさん」
「はい」
「昨日のお話を、家令から伺いましたわ」
夫人は手袋をお取りになりませんでした。長居をなさるおつもりがないという意味でございます。
「書庫の控えを持ち出されたそうですね」
「持って参りました」
「お見せいただけて」
わたくしは隣の部屋から束を持って参りました。麻紐は昨夜のうちに結び直してございます。旅で緩みましたので。
卓の上に置くと、夫人は指の先で表紙をお開けになりました。表紙と申しましても、ただの厚紙でございます。
◇
一枚目には、こう書いてございます。
——第一棚 第一項 初代覚書 一葉。
ウィンズロウ公爵家の書庫は、三百年前に初代の公爵様がお建てになりました。建てたときに初代ご自身が一枚の覚書をお書きになっております。書庫の第一棚の第一項は、その一枚でございます。
「これは」
「目録の並びは棚の並びと同じでございます。ですから一枚目は、必ず第一棚の第一項になります」
「中身は写していないのね」
「表題と、日付と、棚の番号だけでございます。中身まで写しますと、写しが原本と同じ厚みになります」
夫人は次の紙をお繰りになりました。それから、また次を。
三枚目のあたりで指がお止まりになりました。
「……この細かい数字は」
「棚の番号でございます。一の一から始まって、九の十二で終わります」
「三の七が、ありません」
わたくしは頷きました。
「十年前からございません」
「抜かしたということ」
「抜かしてはおりません。空いております」
夫人はそこを二度お読みになりました。それから先へお進みになりました。
◇
紙は全部で百八十六枚ございます。
一枚に二十四項目まで。書けるだけ詰めますと読み違えますので、二十四で切ってございます。二十四かける百八十枚で四千三百二十。最後の六枚は端数でございますから、合わせて四千三百十八項目。
この数を、わたくしは十年かけて増やしました。
最初の年に千二百。二年目に八百。三年目からは年に二百から三百ほど。減った年もございます。冬に手が悴んで書けなかった年と、母が寝込んだ年でございます。
◇
「ラヴィニアさん。試してもよろしくて」
「どうぞ」
「王家から賜った叙爵の原本は、どこにありますの」
「第一棚の第九項でございます。窓側から二つ目の棚の、上から三段目。右の端から四つ目の箱でございます」
夫人は、束をご覧になりませんでした。わたくしも見ておりません。
「では、領内の水利の証文は」
「三の棚でございます」
「三の、いくつ」
「一から六までと、八から十一まででございます」
夫人の指が、卓の上で一度止まりました。
「七は」
「ございません」
夫人はもう一度、別のものをお挙げになりました。三代前の婚礼の系図でございます。わたくしは五の棚の第四十項と申し上げました。夫人は今度も束をお繰りになりません。お繰りになっても、確かめようがないからでございます。確かめられるのは、書庫に行ける方だけでございます。
「あなた、これを全部覚えているの」
「いいえ」
「では、なぜ」
「覚えておりますのは、並べ方でございます」
夫人は、その言葉の意味をお取りになりませんでした。無理もございません。並べ方というものは、並べた者にしか形が見えません。
◇
最後の一枚を、夫人はお繰りになりました。
巻末には一行だけ書いてございます。
——右、ラヴィニア・ウェイクフィールドが控え候。
その下に日付が十行ございます。書き足すたびに日付を足しましたので、十年で十行になりました。
「署名」
「はい」
「なぜ、こんなものを」
「わたくしのものでございますので」
夫人はしばらくその一行をご覧になっておりました。それから表紙を閉じて、手袋の指で二度、軽くお叩きになりました。
「これは家の備品でしょう」
声を荒げてはいらっしゃいません。当たり前のことを確かめる声でございました。
「いいえ」
「うちの書庫のことが書いてあるのよ」
「書いてございます」
「でしたら」
「書いてあるものと、書いた紙は別のものでございます」
夫人はわたくしの顔をご覧になりました。
「屁理屈ですこと」
「はい」
「認めるの」
「屁理屈でございましても、紙は紙でございますので」
「紙代は」
「ウェイクフィールドの帳簿にございます」
「十年分」
「十年分でございます」
夫人はお立ちになりました。
「ハーヴィーに調べさせます」
「どうぞ」
「あなた、止めないの」
「止める理由がございません」
◇
夫人をお見送りしてから、母が茶器を下げに参りました。
「なにか仰った」
「備品だと」
「そう」
母はそれだけ申しまして、茶器を持って出ていきました。何もお聞きになりません。この十年、母は一度もお聞きになりませんでした。
わたくしは束を膝に戻して、麻紐を結び直しました。
三の七のことを、夫人は二度お読みになりました。二度読む方は、これまでにいらっしゃいませんでした。エドウィン様もハーヴィーも、あの空きに気づかれたことがございません。
空いている理由を、わたくしは存じております。
十年前の春に、わたくしは三の棚を数えました。六の次が八でございました。箱が一つ抜けております。
当時の書庫番に伺いましたところ、旦那様がお持ちになったと申しました。旦那様と申しますのは、先代の公爵様でございます。いつお戻しになるのかと伺いましたら、書庫番は存じませんと申しました。
わたくしは一度だけ、お伺いを立てる文をお書きしました。お返事はございませんでした。二度目はお書きしておりません。二度目を書くほどの立場に、当時のわたくしはございませんでしたので。
ですから空けたまま数えております。空けておけば、戻ったときにそこへ入ります。
存じておりますが、目録には書けません。目録に書けますのは、そこに在るものだけでございます。無いものについて書ける欄が、ございません。
(目録より)第一棚 第一項 初代覚書 一葉。三百年前。
紙は百八十六枚、一枚に二十四項目まで。詰めて書きますと読み違えますので、二十四で切ってございます。二十四かける百八十で四千三百二十、端数の六枚を引いて四千三百十八。この数を十年かけて増やしました。最初の年に千二百、二年目に八百、三年目からは年に二百から三百ほど。減った年は、手が悴んだ年と、母が寝込んだ年でございます。次回、家令が「什器」と表に書いた帳面を持って参ります。




