第15話 編者の名
寮に勤め始めましたのは、十月の半ばからでございます。
与えられましたのは、三階の東の小部屋でございました。机が二つ。窓が一つ。窓は東向きで、朝のうちだけ明るくなります。
ブリジットは、寮の見習いに入りました。字は百二十まで進んでおります。給金は、公爵家の三分の二でございます。この子は、その額を聞いて一度だけ数え直しました。
「三分の二って、減るってことですよね」
「減ります」
「でも、あたし読めるようになりますよね」
「なります」
「じゃあ、いいです」
◇
寮の帳面に、三百年前の一区画が入りましたのは、十月の二十日でございます。
欠けていたのは八十七の項目でございました。八十七のうち、六十一までは他の家の記録から埋まりました。残り二十六は埋まりません。埋まらないものは、埋まらないと書きます。
その区画の頭に、名が入りました。
——編者 アダム・ウェイクフィールド
ラドクリフ様はその一行を書き入れてから、しばらく紙をご覧になっておりました。
「三百年でございます」
「はい」
「三百年、この方は名無しでございました」
◇
わたくしの束は、寮の第一棚に入りました。
第一棚の第一項でございます。目録の並びは棚の並びと同じでございますから、寮の目録の一枚目も、これになります。
表題を書く欄がございました。
——ウィンズロウ公爵家書庫目録 四千三百十八項目
その下に、編者の欄がございます。
わたくしはしばらく筆を持っておりました。
◇
名を入れる理由を、わたくしは持ち合わせておりませんでした。
呼ばれたかったわけではございません。それは母に申し上げたとおりでございます。
持っておりませんでしたが、一つだけ思い出しました。
一年目の冬に、前の書庫番が置いていかれた覚え書きを、半分捨てました。名がなかったからでございます。誰が書いたか分かりませんので、確かめる相手がおりませんでした。
名は、誇るために書くのではございません。
次の方が、確かめる先を持つために書きます。
わたくしは筆を下ろしました。
——編者 ラヴィニア・ウェイクフィールド
◇
エドウィン様からの文が参りましたのは、その三日後でございます。
短うございました。四行でございます。解消の書面と同じ行数でございました。
——書庫を数えている。三の六まで来た。番号の意味が、ようやく少し分かった。
——あのとき、趣味と呼んだ。恥じている。
——返事は要らない。
——ウィンズロウ エドウィン
わたくしはその四行を読みました。読んでから紙を一枚取りました。
◇
書きましたのは一行でございます。
——三の八でございます。三の七は、いま王都におります。
三の七の箱は、寮が預かっております。貼り付いた紙を剥がせるかどうか、いま試しております。剥がせるとは限りません。剥がせましたら、お戻しいたします。
そのことは、書きませんでした。
書きますと、この方が待つことになります。待つのは、こちらの都合ではございません。
返事は要らないと書いてこられましたので、返事ではないことにいたしました。番号を一つお伝えしただけでございます。
次から数える番号でございます。
◇
その日の夕方に、ネイサン様が三階へ上がってこられました。
寮の一日は、日が落ちると終わります。灯りの油が高うございますので、夜は仕事をいたしません。書庫と同じでございます。
「ウェイクフィールド嬢」
「はい」
「第一棚の第一項、拝見しました」
「はい」
「編者の欄が、埋まっておりました」
「埋めました」
ネイサン様はそれを聞いて少しだけ頷かれました。
「二百年ぶんの目録を、作り直します」
「はい」
「終わるまでに、二十年かかると見ております」
「そのくらいかかりましょうね」
「途中でお辞めになっても、構いません」
「辞めません」
◇
「ソーンリー様」
「はい」
「一つ、申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
「これは仕事です」
ネイサン様は、そこで初めて笑われました。
この方が笑われるのを、わたくしは初めて見ました。笑い方が下手でいらっしゃいます。目のほうが先に動いて、口が遅れて追いつきます。
「……はい」
「はい」
「それと、もう一つございます」
「なんでございましょう」
「仕事ではない話を、一つしてもよろしいですか」
わたくしは、束の上に置いた手を膝へ下ろしました。
「どうぞ」
◇
その話が何であったかは、目録に書く欄がございません。
目録に書けますのは、在るものの表題と、日付と、棚の番号だけでございます。在るものが何であるかは、開けて見ていただくほかございません。
ですので、ここには書きません。
◇
十一月に入りますと、寮の朝は冷えます。
わたくしは、東の窓の下に机を移しました。朝のうちだけ明るくなる窓でございます。明るくなる順に紙を並べますと、手が早うございます。
ブリジットが、隣の机で番号を読みます。
「一の一」
「王家勅許写」
「一の二」
「寮設立の令」
わたくしが表題を読み、ブリジットが指を下げます。二人で一人分でございます。
二百年ぶんございますので、二十年かかります。
二十年やりますと、ブリジットは三十二でございます。そのころには、この子が読み上げる側におります。読み上げる側になれば、次の誰かが指を下げます。
◇
三の七の箱は、十二月に剥がれました。
中の証文は一通でございます。日付と、両家の名は読めました。条の中ほどは、字が持っていかれておりました。
ウィンズロウ公爵家の叙爵の更新は、来年の秋の審査に上がります。免税の特権は、年内で一度落ちます。落ちた分は、領地の者が納めます。
わたくしは、その勘定をいたしません。
いたしませんが、数えられるものは数えてしまいます。ですので、一度だけ数えて、それから紙に書かずに置きました。
◇
寮の第一棚の第一項は、いつでも開けます。
開けますと、四千三百十八の項目がございます。どの項目にも、番号と、表題と、日付がございます。表題には、探す方の手がかりが添えてございます。
巻末には、日付が十一行ございます。
いちばん下の行に、今年の分を書き足しました。四千三百十八項目、寮へ納む、と。
その下には、まだ余白がございます。
どこに何があるかは、これで、どなたにも分かります。
(目録より)王室系譜寮 第一棚 第一項 ウィンズロウ公爵家書庫目録 四千三百十八項目。編者、ラヴィニア・ウェイクフィールド。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。名は、誇るために書くのではございません。次の方が、確かめる先を持つために書きます。十年ぶん軽んじられた仕事が、一度も声を荒げないまま正しいと数え直されるまでの、十五話でございました。――評価とブックマーク、それから感想の一行は、この目録の四千三百十九項目めとして控えます。表題は「読んでくださった方」、日付は本日でございます。




