第14話 期日
十月の一日は、よく晴れました。
わたくしは、朝から寮の三階におりました。照合の残りは、千と少しでございます。今日の昼過ぎには終わります。
一階では、家々の使いが原本を納めております。廊下を通る足音で、だいたいの数が分かりました。
ウィンズロウ公爵家の使いがお着きになりましたのは、朝の九つ半でございます。
わたくしは、下へ参りませんでした。
参る用がございません。
◇
「六の十一」
「領内届書」
「六の十二」
「領内届書」
ブリジットの指が下がります。わたくしが表題を読みます。ネイサン様の筆が動きます。
三人の速さは、二日でよく揃いました。揃いますと、余計なことを考える隙がなくなります。
隙がなくなるのは、ありがたいことでございました。
◇
昼を少し過ぎたところで、照合が終わりました。
四千三百十八項目。二日と半日でございます。
ネイサン様は、最後の一行を書き終えてから、筆を置かれました。
「ウェイクフィールド嬢」
「はい」
「終わりました」
わたくしは、頷きました。
十年かけたものが、二日半で写し取られました。写し取る側のほうが速いのは、当たり前のことでございます。それでも、少し妙な心持ちがいたしました。
ブリジットは、机に突っ伏して寝てしまいました。
◇
ラドクリフ様が上がってこられましたのは、その半刻後でございます。
この方は、用件を短く仰る方でございます。
「ウィンズロウの分、受理いたしました」
「はい」
「系図は全て。証文は、水利のものが十通でございます」
「十一ではございませんね」
「十でございます」
わたくしは、そのお答えを聞きました。
聞いてから、しばらく何も申しませんでした。
◇
「叙爵の更新は、いかがなりますでしょう」
「一年、繰り延べになります」
「一年」
「水利の権の続きが五年ぶん切れております。切れたままでは、更新の審査に上げられません。次の審査は来年の秋でございます」
「領のほうは」
ラドクリフ様は、そこで少し声を落とされました。
「免税の特権は、年内で失効いたします」
「……年内で」
「あの特権は、水利の権に付いております。もとの権が繋がりませんと、付いているほうも落ちます」
わたくしは、勘定をいたしました。
ウィンズロウ領の年貢のうち、三分の一ほどが免ぜられておりました。銀貨に直しますと、年に四百二十枚ぶんでございます。
四百二十枚は、書庫の紙代のおよそ二百年ぶんでございます。
その四百二十枚は、領の側から出ます。免ぜられていた分が落ちますと、その分は誰かが納めます。納めますのは、領地の者でございます。
わたくしは、その勘定をしたことを少し悔やみました。悔やみましたが、勘定は消えません。数えられるものは数えてしまいます。十年、そうしてまいりましたので。
◇
夕刻に、ハーヴィーから文が参りました。
この方の文は短うございます。今日のものは、長うございました。
——三の七、見つかり申し候。
わたくしは、その一行のところで一度手を止めました。
——先代旦那様の旅行李の底に有り。行李は納戸にて十年、開けられず。箱は湿り、中の証文は貼り付きて剥がれず。文字、読み取れず候。
◇
わたくしは、文を膝に置きました。
箱は、あったのでございます。
持ち出されて、失われたのではございません。持ち出されて、忘れられておりました。忘れられたまま、湿った納戸に十年ございました。
紙は、湿ると貼り付きます。貼り付いたものを剥がしますと、字のほうが持っていかれます。乾いているうちでしたら、直せます。一年でも直せます。三年でも、たぶん直せます。
十年は、直りません。
◇
八年前の冬に、北の窓の隙間風で系図が三枚だめになりました。
だめにしたのは隙間風でございます。気づかなかったのはわたくしでございます。ですから理由を書いて、棚を壁から離しました。
同じことが、納戸で起きておりました。
納戸には、目録がございません。目録のない場所では、何が傷んでも誰も気づきません。気づかないうちは、それは傷んでいないのと同じ顔をしております。
◇
文には、続きがございました。
——なお、当家の書庫にて、若様が棚を数えておられ候。三日ほど前より、朝に一刻ずつ。誰の指図にも非ず候。
わたくしは、その二行を二度読みました。
二度読んで、それから畳みました。
三日ほど前と申しますと、九月の二十八日でございます。ハーヴィーが門の外に立って、何も仰らずに帰った日でございました。
感想は、ございません。ございませんが、二度読みました。
◇
ネイサン様が、水を持ってきてくださいました。
「ウェイクフィールド嬢」
「はい」
「十年前に、お文を出されたと伺いました」
「一度だけでございます」
「お返事があれば、直せたものでございましょうか」
わたくしは、少し考えました。
「十年前でしたら、乾かして剥がせました。三日もあれば」
「三日」
「はい」
ネイサン様は、それ以上お尋ねになりませんでした。
◇
わたくしは、窓の外を見ました。
寮の窓からは、王都の屋根が見えます。十月の一日の午後は、屋根の色がよく出ます。
わたくしにできたことは、ございませんでした。
十年前に、文を一通お出ししました。お返事はございませんでした。二度目は書きませんでした。二度目を書くほどの立場に、当時のわたくしはございませんでした。
その一通が、どこへ行ったのかも存じません。
届いたのか、届かなかったのか。読まれたのか、読まれなかったのか。読まれて、後回しにされたのか。
どれであっても、いまとなっては同じことでございます。
◇
ブリジットが、机の上で目を覚ましました。
「終わりましたか」
「終わりました」
「三の七は」
「見つかったそうよ」
この子は、少しだけ嬉しそうな顔をいたしました。
「じゃあ、埋まりますね」
わたくしは、答えるのに少し時をいただきました。
「番号は、埋まります」
「番号は」
「ええ」
ブリジットは、それ以上お尋ねになりませんでした。
この子は、十二でございます。十二で、聞かないほうがよいことの見分けがつきます。
つくようになったのが、いつからかは存じません。
(目録より)第三棚 第七項 (欠番) 十年前春より。
紙は、湿ると貼り付きます。貼り付いたものを剥がしますと、字のほうが持っていかれます。乾いているうちでしたら直せます。一年でも、三年でも、たぶん直せます。十年は、直りません。目録のない場所では、何が傷んでも誰も気づきません。次回、最終話。編者の欄が一つ、空いております。




