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婚約解消いたします。書庫の目録はわたくしの私物ですので、持って参ります  作者: 卯月まゆ


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12/15

第12話 無くならないように

 その晩、母がわたくしの部屋へ参りました。


 母がこの部屋へ入られるのは、月に一度あるかどうかでございます。入られるときは、たいてい繕い物を持っておられます。今日は何もお持ちではございませんでした。


「ラヴィニア」


「はい」


「見せてほしいものがあるの」


 母は、七の棚の一枚をお指しになりました。前に、言いかけてやめられた紙でございます。


「これ、光の順に並べたでしょう」


「はい」


「朝に明るくなる段のものを先に。夕まで暗い段のものを後に」


「……はい」


「誰に教わったの」


「教わっておりません」


 母は、少しだけ笑われました。笑い方が、いつもより長うございました。


    ◇


「うちの書庫を、覚えている」


「二階の、東の小部屋でございますね」


「そう。あなたが六つの頃まで、わたくしが毎朝あそこにいたの」


 わたくしは、その話を存じませんでした。


 覚えておりますのは、母がいつも二階から降りてこられたことだけでございます。降りてくる刻が決まっておりました。降りてくる前にどこにおられたかを、わたくしは考えたことがございません。


「嫁いできた年に、書庫の紙が濡れていたの」


「はい」


「屋根が傷んでいたのよ。誰も気づいていなかったの」


「……はい」


「それで、中のものを全部出して並べ直したの。並べ直すのに、二年かかったわ」


    ◇


 母は、その先を少し急がずに話されました。


「並べ直すときに、古い覚えが出てきたの」


「覚え」


「分け方を書いた紙よ。ずいぶん古いもの。光の当たる順に並べよ、と書いてあったわ」


 わたくしは、手元の紙を見ました。


 七の棚は、北の窓の光が届く順に並んでございます。この並べ方を、わたくしは自分で思いついたと思っておりました。


「お母様。その覚えは」


「まだあると思うわ。二階の、いちばん下の引き出しよ」


「なぜ、いままで仰らなかったのでしょう」


 母は、そこで少し黙られました。


「言えば、あなたが真似したことになるでしょう」


「……」


「あなたが自分で見つけたことにしておきたかったの。……いいえ。それは嘘ね」


 母は、膝の上で手を組み直されました。


「わたくしは、二年かけて並べ直したの。並べ直したことを、誰も何も言わなかったの。お義母様も、あの人も。一度も」


「はい」


「それを娘に言うのが、恥ずかしかったのよ」


    ◇


 わたくしは、しばらく何も申し上げませんでした。


 母は、この十年、一度もお聞きになりませんでした。関心がないのだと思っておりました。聞かないことと関心がないことは、外から見ると同じ形をしております。


 同じ形をしておりますが、中身は逆でございました。


「ラヴィニア」


「はい」


「あなたは、呼ばれたかったの」


 わたくしは、その問いをしばらく考えました。


 考えたのは、答えを探すためではございません。答えは前からございました。言葉にしたことがなかっただけでございます。


「いいえ」


「そう」


「無くならないように、したかったのです」


 母は頷かれました。


「わたくしもよ」


 母はそれだけ仰いました。


 二年と十年でございます。合わせて十二年になります。十二年ぶんの仕事がこの家の中で二度、誰にも数えられずに済んでおりました。


 いま数えましたのは、母とわたくしでございます。


    ◇


 二階の引き出しから出てまいりましたのは、二つ折りの紙が一枚でございます。


 紙は厚うございました。ウィンズロウの覚書と同じ厚みでございます。


 書いてあることは短うございました。分け方の決まりが六つ。それだけでございます。光の当たる順に並べよ、というのは、そのうちの四つ目でございました。


 最後に、名前がございました。


 ——ウェイクフィールド家 書庫掛 アダム・ウェイクフィールド


 その下に、年が入っております。


 三百年前でございました。


 その晩、ブリジットに紙を見せました。この子はまだ六十字ほどしか読めません。それでも名前の形は分かります。


「お嬢様と、同じですね」


「同じね」


    ◇


 ネイサン様とラドクリフ様がお見えになりましたのは、翌日の朝でございます。


 わたくしは二つ折りの紙を卓の上に置きました。ラドクリフ様はそれを両手でお取りになりました。取ってから、しばらく動かれませんでした。


「……アダム」


「はい」


「ウィンズロウの覚書の九行目でございます。姓の頭の一字だけが残っておりました。ウの字でございました」


「はい」


 ラドクリフ様は、紙を卓へお戻しになりました。


「三百年前に、ウィンズロウの初代は外から目録係を招きました。招かれたのが、ウェイクフィールドの書庫掛でございます」


「……さようでございましたか」


「寮の欠けた一区画は、この方の記録でございました。名が読めませんので、三百年埋まりませんでした」


    ◇


「ウェイクフィールド嬢」


「はい」


「一つ、お尋ねいたします」


 ラドクリフ様は、そこで姿勢をお正しになりました。


「当寮の目録は、収めた順に書いてございます。探すには使えません。使えないまま二百年参りました」


「はい」


「作り直したく存じます。作り直す者を、探しております」


 わたくしは、その言葉の意味をゆっくり取りました。


「わたくしは、寮の者ではございません」


「初代ウィンズロウ公は、外から招くべしと書き残しております」


 ラドクリフ様は、そう仰いました。


「三百年前の定めでございます。当寮も、同じ考えでございます」


    ◇


 わたくしは、お受けいたしました。


 お受けしてから、手が少し震えました。震えたことに、自分で驚きました。


 ネイサン様は、そのあいだ何も仰いませんでした。


 仰いませんでしたが、この方はいつも通りの顔をしておられませんでした。どこがどう違うのかは、うまく申せません。目録の表題と同じで、違いが分かっても言葉にできないことがございます。


    ◇


 ラドクリフ様は、お帰りの前に一つお尋ねになりました。


「ウェイクフィールド嬢。当寮の帳面に、三百年前の一区画を入れます」


「はい」


「入れますからには、編者の名が要ります。アダム・ウェイクフィールドの名は入ります」


「はい」


「もう一つ、入れる欄がございます」


 ラドクリフ様は、卓の上の束をご覧になりました。


「ウィンズロウ公爵家書庫目録、四千三百十八項目。当寮はこれを写しではなく、記録としてお預かりしたく存じます」


「……」


「編者の名を、どうなさいますか」

(目録より)第九棚 第一項 分類覚 一葉。二つ折り。三百年前。


二年と十年で、十二年でございます。十二年ぶんの仕事が、この家で二度、誰にも数えられずに済んでおりました。いま数えましたのは、母とわたくしの二人でございます。次回、四千三百十八項目の照合が始まります。読み手は、わたくししかおりません。……いえ、もう一人おりました。

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