第9話 ゴルダ、暴走しかける
ゴルダから接触があったのは、シェイドが来た翌日だった。
場所は村の外れの物置小屋の裏、という指定だった。指定の手紙が、朝起きたら窓枠に挟まっていた。字が大きかった。便箋が皺だらけだった。何度も書き直した跡が透けていた。
私はその手紙を見て、行くかどうか3秒考えた。行くことにした。シェイドに全部しゃべったゴルダに、言うべきことがあった。
物置小屋の裏は、日当たりが悪く、地面が湿っていた。ゴルダはすでにそこにいた。220センチの体を縮めるようにして、小屋の壁際に立っていた。私が来るのを見て、目を潤ませた。
「魔王様……!」
「シェイドに全部話したそうだな」
ゴルダの大きな体が、わかりやすく縮んだ。
「も、申し訳ございません……! あいつが何か知っているような顔で来るものだから、つい——」
「つい、で諜報部長に情報を渡すな」
「はい……」
反省の色は本物だった。しばらく待った。ゴルダが顔を上げた。潤んでいた目が、少し引き締まった。
「魔王様。今日お伝えしたいことがあります」
「なんだ?」
「計画を、立てました」
私は黙って続きを待った。
「魔王様をあの家から連れ出す計画です。仲間も数人、近くに潜んでいます。まず——」
「待て」
ゴルダが止まった。
「連れ出してどうする」
「北の廃墟に、かつての城の一部が残っています。そこを拠点に、魔族の残党を集めて——」
「やめろ」
ゴルダの口が止まった。目が揺れた。
「魔王様、しかし——」
「今は動かない。この話は終わりだ」
沈黙があった。
小屋の向こうで風が通った音がした。ゴルダが大きく息を吸った。それから、吐いた。
「……魔王様」
声が変わっていた。
さっきまでの、しょげた声でも、忠誠を誓う声でもなかった。203年生きた鬼族の、低い声だった。
「私はただ、魔王様のために——!」
「ゴルダ」
「魔王様が幼女になって、勇者の家で——その間、私は何もできずに野菜を売っていた! 3年間、ずっと!これ以上待てと言うのですか!」
怒鳴り声だった。泣いていなかった。ゴルダが怒っていた。本気で怒っていた。
私はゴルダを見た。
角が2本、まっすぐに立っていた。エプロンを握りしめた拳が震えていた。目が赤かった。泣いているのではなく、怒りで赤くなっていた。
私は少し間を置いた。
「黙れ」
静かに言った。
「お前のためではない。私が決める。それだけだ」
ゴルダが、大きな体で、立ったまま固まった。
10秒ほど、そのままだった。ゴルダの肩が、少しずつ落ちていった。拳の震えが、少しずつ収まっていった。
「……はい」
絞り出すような声だった。
私は視線を小屋の壁に移した。古い木の板が、何枚か浮いていた。長いこと手入れされていない壁だった。
ゴルダが動く気配がした。帰るのかと思った。
「魔王様」
振り返らなかった。
「1つだけ、申し上げてもよいですか?」
「言え」
「……あの勇者は、魔王様のことを知っていると思います」
私の視線が、壁の板から動かなかった。
「根拠は?」
「あの目です。魔王様を見るときの目が——知らない人間の目ではありません。私には、そう見えます」
風がまた来た。小屋の板が軋んだ。
私は振り返らなかった。返事もしなかった。
ゴルダが頭を下げる気配がして、足音が遠ざかった。
物置小屋を回り込んで表に出たとき、人影があった。
小屋から5メートルほど離れた木の陰に、人間にしては大柄な影が3つ、こちらに向かって手を振っていた。
私は立ち止まった。
影の1つが、気づいたのか、慌てて木の後ろに隠れた。隠れきれていなかった。肩が出ていた。別の1つが、隣の影を肘で突いた。3つ目が、しゃがんだ。しゃがんだが、頭が木より高かった。
ゴルダの言っていた「仲間」だった。
私はしばらく、その3つの影を見た。
影たちは、私が見ているのに気づいているのかいないのか、木の後ろで何か相談していた。肩がぶつかって、1人がよろけた。
「……へたくそが」
誰に言うでもなく、言った。
影の1つが、こちらの声に気づいたのか、また手を振った。
私は踵を返して、来た道を戻った。
家の近くまで戻ったところで、アレンが道の向こうから歩いてきた。買い出しの帰りらしく、布袋を1つ提げていた。
「どこ行ってた?」
「散歩だ」
アレンが私の顔を見た。今日は少し長かった。それから袋を持ち直して、歩き始めた。私も並んで歩いた。
(知っていると、ゴルダは言った)
アレンの横顔を、視界の端で見た。
(あの目が、知らない人間の目ではない、と)
アレンは前を向いて歩いていた。袋が揺れていた。中で何かが当たる音がした。
私は前を向いた。
答えは、今日も出なかった。




