第10話 魔族難民
リーナが来たのは朝だった。
いつもより早かった。籠も持っていなかった。玄関を開けるなりアレンを呼んで、声を落として何かを言った。私は台所の椅子に座っていたが、声の質が違うとわかった。世間話の声ではなかった。
アレンが外套を取った。
「ディア、来るか?」
来るか、と聞いた。来い、ではなかった。
「行く」
3人で村を出た。
村の外れを南に10分ほど歩いたところに、古い納屋があった。かつて農家が使っていたもので、今は誰も管理していないとリーナが道々説明した。アレンは黙って歩いた。私もアレンの後ろを歩いた。
納屋に近づいたとき、匂いがした。
血と、泥と、長い間洗えていない体の匂いが重なったものだった。私は足を止めずに続けて歩いたが、鼻の奥に引っかかった。戦場で嗅いだことのある匂いだった。戦場の後で、負けた側にいた者の匂いだった。
アレンが納屋の扉を開けた。
中に、3人いた。
母親と思われる女性が、子供2人を抱えて隅に座っていた。種族は青鬼族だった。肌が青みがかっていて、頭に小さな角が2本ずつある。子供は5歳前後と3歳前後に見えた。上の子が目を開けてこちらを見た。下の子は母親の胸に顔を埋めたまま動かなかった。
母親が顔を上げた。人間が3人入ってきたのを見て、体が固まった。子供を引き寄せた。
アレンが扉の前で止まった。しゃがんだ。目線を母親に合わせた。
「怪我してるか?」
母親は答えなかった。目だけが動いた。アレンを見て、リーナを見て、私を見た。私と目が合って、一瞬止まった。
「怪我してるなら、手当てする。来るか?」
母親の目が揺れた。
上の子が母親の服を引いた。母親が子供の頭に手を置いた。それから、小さくうなずいた。
アレンの家に連れ帰るまでの道のりで、私は何度か母親の方を見た。
母親は子供2人の手を両方握ったまま歩いていた。下の子が途中で歩けなくなって、アレンが抱き上げた。母親が一瞬、何か言おうとして、止まった。アレンは子供を抱えたまま歩き続けた。
私は上の子の隣を歩いた。
上の子が私を見た。私を見て、少し考えた顔をして、また前を向いた。
(この子は、今どこを見ているのだろう)
先を見ているのか、足元を見ているのか、外見からはわからなかった。ただ歩いていた。歩くことに集中しているような、そうでもないような。私には判断できなかった。
リーナが手当てを始めた。
母親の足に傷があった。かなり歩いてきたらしく、靴底が剥がれかけていた。子供たちは外傷はなかったが、2人とも顔色が悪かった。リーナが手際よく動いた。
私は部屋の入り口に立っていた。
アレンが台所で何か作り始めた。湯を沸かす音がして、続いて鍋を火にかける音がした。
上の子がリーナの手元をじっと見ていた。下の子はアレンが抱き上げたまま台所に入っていた。音がしている方向を向いて、何かを確認するように首を動かした。
(私のせいだ)
声に出さずに思った。
(魔王軍を率いた。人間の領域に踏み込んだ。戦争をした。負けた。その結果が——)
母親が小さくうなずきながらリーナの言葉を聞いていた。リーナが包帯を巻いた。母親の目が、一瞬だけ滲んだ。
(よりによって、この家に)
途切れた。
アレンが台所から出てきた。下の子を抱えたまま、湯気の立つ椀を片手で持っていた。母親の前に置いた。母親が椀を見た。それから手を伸ばした。
下の子が、アレンの首に腕を回したままだった。アレンはそのまま動かなかった。
夜、母親と子供たちが寝付いてから、私はアレンの隣に座った。
縁側だった。外が暗かった。虫の声がしていた。
「なぜ助ける?」
少し間があった。
「困ってるやつがいたら、助けるだろ」
「魔族でも?」
「関係ない」
私はアレンの横顔を見た。アレンは暗い外を見ていた。
「……それだけか?」
「それだけだ」
返せなかった。
アレンが「それだけだ」と言うとき、嘘をついている顔をしていない。計算をしている顔もしていない。ただ当たり前のことを言っている顔をしている。千年以上、私は人間を見てきたが、こういう顔をする人間に、会ったことがなかった。
虫の声が続いていた。
「アレン」
「ああ」
「お前は——」
台所から音がした。
子供の泣き声だった。下の子が目を覚ましたらしかった。母親が起き上がる気配がして、続いてあやす声が聞こえてきた。泣き声が少しずつ小さくなった。
私は縁側から立ち上がった。
続きは、出てこなかった。




