第6話 魔力暴発
その日の朝は、何でもない日だった。
アレンが畑に出ていた。リーナが薬の調合で来ていて、台所の隅で何かを煮ていた。フィルが昼前に現れて「ディア、外で虫とろう」と言った。私は「興味がない」と言った。フィルは「じゃあ見てるだけでもいいじゃん」と言って、私の手を引いた。
気づいたら外にいた。
フィルが草の中を這いずっている間、私は少し離れた場所に立って空を見ていた。薄く雲がかかっていた。風はなかった。遠くでアレンが鍬を動かす音が、一定の間隔で聞こえていた。
男たちが村に入ってきたのは、それから少ししてからだった。
音で気づいた。
馬の蹄の音ではなく、重い靴が石を踏む音。複数人。揃っていた。訓練を受けた者の歩き方だった。私は顔を向ける前に、人数を数えていた。6人。先頭の男が白と金の袖章をつけていた。西部の教会系組織の紋章だ。見間違えない。
フィルが草の中から顔を上げた。「だれ?」と言った。
「フィル」
私は低く言った。フィルが私を見た。
「家に入れ」
「え、でも虫が——」
「今すぐ」
フィルは私の声の質が変わったことに気づいたのか、何も言わずに立ち上がった。家の方へ走り始めた。
男たちが足を止めた。先頭が私を見た。
「そこの子供」
声が、平坦だった。感情がなかった。
「魔族の子供を匿っていると聞いた。お前がそれか」
私は男を見た。男も私を見た。
答える必要はなかった。答えるつもりもなかった。ただ、フィルがまだ走っている。家まであと10歩ある。それまでの時間が必要だった。
「返事をしろ」
男が1歩踏み出した。残りの5人が後ろで動いた。
フィルが家の戸口に消えた。
私は男から視線を外さなかった。
「魔族ではない」
「目を見れば分かる。その色は——」
「人間の子供だ」
男が何か言おうとした。その瞬間、後ろで別の男が動いた。私の右側に回り込もうとしていた。私は半歩動いた。回り込まれる前に正面を維持した。
6人。私は幼女だ。魔力はない。手段がない。
頭の中が冷えていくのを感じた。戦略を立てようとした。時間を稼ぐか、声を上げるか、逃げるか——
戸口が開いた。
「何の用だ?」
アレンだった。
鍬を持ったままだった。顔に表情がなかった。ただ立っていた。それだけだったが、男たちの動きが一瞬止まった。アレンの体格と、全身の古傷と、立ち方が、何かを伝えていた。
先頭の男が声を作り直した。
「元勇者殿。我々は西部教会連合の調査団です。この地域に魔族の転生体が潜伏しているという情報があり——」
「うちに魔族はいない」
「しかし、その子供の目の色が——」
「珍しい目の子供は、いる」
男が詰まった。
私はその隙に2歩下がった。アレンの方へ。アレンの少し前、右斜め。
男たちが私を見た。アレンを見た。また私を見た。
先頭の男が口を開きかけた、その瞬間。
フィルが戸口から飛び出してきた。
「ディア!」
声が大きかった。男たちが一斉に振り返った。フィルが私に向かって走ってきた。止める間がなかった。フィルが私に抱きついた。
先頭の男の目が、細くなった。
「……その子供を」
男が1歩踏み出した。フィルに向かって、手を伸ばした。
私の中で、何かが、切れた。
音もなかった。前触れもなかった。ただ、次の瞬間には、体の奥から何かが溢れていた。抑えようとした。できなかった。1200年分の魔力の残滓が、幼女の体には到底収まらない形で、外に出ようとしていた。
男たちが後退した。先頭の男の顔から血の気が引いた。
空気が変わった。草が、風もないのに揺れた。
私はフィルを後ろに押しやりながら、それを抑えようとした。抑えられなかった。体の表面から何かが滲み出るのが、自分でもわかった。
そのとき、アレンと目が合った。
一瞬だった。
アレンの目が、何かを見ていた。私を見ていた。ディアを見ていたのか、それとも別の何かを見ていたのか、その区別が私にはつかなかった。
アレンが前に出た。
私の前に立った。男たちとの間に、背中で壁を作った。
「帰れ」
それだけだった。
男たちは、動かなかった。動けなかった。アレンが何かをしたわけではなかった。ただ立っていた。鍬を持ったまま。それだけだった。
先頭の男が、一歩引いた。残りの5人も引いた。誰も何も言わなかった。男たちは向きを変えて、来た道を歩いていった。
足音が遠くなった。
消えた。
アレンが振り返った。
私を見た。フィルを見た。フィルが私の服を掴んだまま固まっているのを見た。アレンはフィルの頭に手を置いて、一度だけ軽く押さえた。それから家の中に向かって「リーナ、フィルを頼む」と言った。
リーナが出てきて、フィルの手を取って中に入った。
私とアレンが、外に残った。
アレンは私を見た。
魔力の暴発については、何も言わなかった。
ただ、視線があった。短かった。
それから「中に入れ」とだけ言って、先に戸口をくぐった。
夜、ベッドの中で天板を見ていた。
部屋が暗かった。アレンもリーナも、もう寝ている時間だった。フィルは昼のうちに親が迎えに来た。
私は目を開けたまま、考えていた。
あの一瞬。アレンと目が合った、あの瞬間。
(気づいていないのか)
気づいていないはずがなかった。あの気配を、アレンが感じ取れないわけがない。魔力感知の鋭さは、勇者の中でも飛び抜けていた。1200年の歴史の中で、私はそれを何度も確認してきた。
(それとも——)
考えが、途切れた。
続きが、出てこなかった。
暗い天板を見ていた。何も動かなかった。どこかで虫が鳴いていた。
答えは、まだ出なかった。




