第5話 勇者の後悔
目が覚めたのは夜中だった。
理由はわからない。音があったわけでも、夢を見ていたわけでもない。ただ、気づいたら目が開いていた。天井が暗い。窓の外が静かだった。
寝返りを打って、そのまま目を閉じようとした。
閉じなかった。
何かが引っかかっている感じがした。部屋の空気の質、とでも言えばいいのか。私は1000年以上、軍を率いて野営してきた。夜中に何かが変わったとき、体が先に気づく癖がついている。今はその体ではないが、感覚だけは残っていた。
起き上がった。窓に近づいて、外を見た。
アレンがいた。
家の裏手、井戸の少し手前。立っていた。月明かりの中で、手に何かを持っていた。剣だった。鞘に入ったまま、下ろした腕で提げている。振るわけでも、構えるわけでもなく、ただ持って、立っていた。
私はしばらく窓から見ていた。
アレンは動かなかった。
外に出るつもりはなかった。
なかったはずだったが、気づいたら戸口に立っていた。草の湿った匂いがした。夜風が頬を撫でた。アレンが振り返った。
「起きてたのか」
「目が覚めた」
アレンは少しの間、私の顔を見た。それから剣に目を落として、また夜の方を向いた。私はアレンの3歩手前で立ち止まった。座る場所を探したが、周囲に何もなかった。仕方なくそのまま立っていた。
風が来て、草が揺れた。
アレンが口を開いた。
「眠れないのか、と聞こうとしたが」
続かなかった。独り言のように、途中で止まった。
私は何も言わなかった。
「魔王を、倒した夜のことを考えてた」
唐突だった。前置きがなかった。アレンはこちらを見ずに言った。
「あの夜、俺は泣いたんだ」
私は動かなかった。
「勝ったのに、なぜか泣いた。仲間も泣いてたから、おかしくはないんだろうが——俺のは、たぶん違った」
剣の鞘を握る手が、少し動いた。
「勝ったのが悲しかったわけじゃない。負けたかったわけでもない。ただ……あいつが何を考えていたのか、結局わからないまま倒したことが」
アレンが息を吐いた。
「ずっと、引っかかってる」
引っかかってる。
その言葉が、耳の中に残った。
私は、1200年分の記憶を持っている。戦争を起こした理由も、人間の領域に踏み込んだ理由も、全部知っている。あの夜、最後の一撃を受けながら何を考えていたかも、覚えている。
アレンは、それを知らない。
目の前にいる相手が、1200年前から続く因縁の終点であることも知らない。
(私が何を考えていたか、だと)
口の中で言葉を転がした。教えてやれることは、いくらでもある。あの夜の戦場の温度、最後に見た空の色、倒れる瞬間に頭の中にあったもの——全部、この口から出せる。
(……貴様には、教えない)
それだけは確かだった。教えるつもりはなかった。今も、これからも。
ただ——
アレンが剣を草の上に置いた。それから地面に腰を下ろした。長い足を前に伸ばして、空を見上げた。
私は少し考えてから、アレンの隣に座った。距離は1歩分ほど開けた。草が湿っていた。着ているものが濡れるかもしれないと思ったが、立ち上がらなかった。
空に星が出ていた。雲がなかった。
アレンは何も言わなかった。私も何も言わなかった。
遠くで、何か小さい生き物の鳴く声がした。風が来て、また止んだ。アレンが時々、星のどこかを見ているようだった。どこを見ているのかは、わからなかった。
私は空を見上げたまま、考えていた。
言葉にならないものが、頭の中にあった。怒りではなかった。悲しみとも違った。名前のつかないまま、ただそこにあった。
アレンがふと言った。
「寒くないか?」
「……普通だ」
アレンは「そうか」と言って、また黙った。
星が動いているのか止まっているのか、見ていてもわからなかった。それでも、見ていた。アレンも見ていた。
どれくらいそうしていたのか、後でうまく思い出せなかった。




