第4話 初めての祭り
収穫祭というものがある、とアレンが言ったのは3日前だった。
村が年に一度、作物の実りを祝う。屋台が出る。子供たちが走り回る。夜になると篝火を囲んで歌う。アレンはそれだけ言って、続きを話さなかった。私は「ふうん」と言って、特に興味がないふりをした。
正確には、興味がなかったわけではない。
人間の祭祀については一応の知識がある。1000年以上、人間の文化を「支配対象の習慣」として把握してきた。収穫祭、祈祷の儀式、神に捧げる踊り——全部、台帳に記録してある。知識として。
ただ、この足で歩いて、この目で見たことは、一度もなかった。
祭り当日、アレンは日暮れ前に「行くか」と言った。
支度しろとも着替えろとも言わなかった。私は今着ているものを見た。いつも通りの格好だった。アレンもいつも通りだった。2人でそのまま家を出た。
村の広場に近づくにつれ、音が大きくなってきた。太鼓の音。笛の音。子供の叫び声が混じって、遠くから聞こえる。私は音の方向を確かめながら歩いた。アレンは少し前を歩いていた。
広場に入った瞬間、熱量が変わった。
篝火が3か所。屋台が道の両側に並んでいる。焼いた串、揚げたもの、砂糖をからめた果物。匂いが重なって、一言で表せない何かになっていた。人が多い。子供が走っている。笑い声があちこちから来る。
私は立ち止まった。
アレンが2歩先で振り返った。
「どうした?」
「……何でもない」
歩き始めた。アレンはまた前を向いて歩いた。
最初の屋台は、揚げた芋だった。
アレンが黙って1本買って、私に渡した。私は受け取った。熱かった。持ち替えながら齧ると、中がほくほくしていた。外側が塩辛くて、中が甘かった。
食べ終わる前に次の屋台が目に入った。蜂蜜をかけた焼き菓子だった。
私は特に意識せず、そちらへ向かった。アレンがついてきた。買ってくれた。食べた。
その次も、また次も、同じようなことが続いた。私が足を向けたものをアレンが買う。私が食べる。アレンは自分のものを買わないか、あるいは私が気づかない間に何か食べていた。
6軒目の屋台の前で、ふと我に返った。
(いつの間に……)
手に焼き栗が3粒あった。口の中に何かの甘さが残っていた。来た道を振り返ると、屋台の列が向こうまで続いていた。私はそれを端から端まで歩いていた。
アレンが隣に立っていた。人混みの中でも頭一つ分飛び出しているので、見失いようがなかった。
「食いすぎると後で苦しくなるぞ」
「……余計なことを言うな」
焼き栗を一粒口に入れた。
フィルに見つかったのは、篝火の近くだった。
「ディア!ディアも来てたの!?」
走ってきた。泥が膝についていた。後ろに同じくらいの年齢の子供が3人いた。フィルの友人だろう。
「ねえねえ、むこうで風船もらえるよ!一緒に行こう!」
「行かない」
「なんで!?」
「興味がない」
「えー」
フィルは3秒だけ考えた顔をして、私の手を掴んだ。引っ張られた。
「ちょっと、待て——」
「はやく!」
フィルの友人たちがすでに走っている。フィルが走る。繋いだ手のせいで私も走る羽目になった。短い脚で石畳を蹴る感触が、思いのほか軽かった。
風船は、広場の外れにいた老人が配っていた。赤と黄色と青の丸いやつで、紐がついている。フィルは迷わず赤を選んで、私に青を押しつけた。
「ディアは赤がいい。目の色と同じだから」
「……そんな理由で選ぶな」
「なんで? 合ってるじゃん」
私は赤い風船を持たされた。紐を握ったまま立っていると、フィルがまた「こっちこっち」と走り出した。友人たちが追いかける。私は一拍遅れて——走っていた。
気づいたとき、もう走っていた。
篝火の周りを回った。人の間を縫った。フィルが転びかけて、私が腕を引いた。フィルが「ありがと!」と言って、また走った。風船の紐が手に食い込んだ。空気が頬を叩いた。
しばらく走って、広場の端の石段に座り込んだ。フィルの友人の1人が「つかれた」と言って横に倒れた。別の1人が笑った。フィルが風船を空に向けて伸ばした。
私は息を整えながら、篝火の方を見ていた。
火が揺れている。人の輪郭が揺れている。笑い声が波みたいに来ては引く。
私は——
笑っていた。
気づいたのは、フィルが「ディア、笑ってる!」と言ったからだった。
「笑ってない」
「笑ってたよ!ぼく見てた!」
「気のせいだ」
「だってほっぺが——」
「気のせいだ」
フィルはまだ何か言おうとしていたが、友人の1人が「もう一回走ろう!」と叫んで全員が立ち上がった。フィルも走り出した。
私は立たなかった。
石段に座ったまま、風船の紐を握っていた。
アレンがいつの間にかそこにいた。
石段の2段上に、腕を組んで立っていた。いつからいたのかわからなかった。こちらを見ていた。
私と目が合った。
アレンは何も言わなかった。視線を篝火の方に戻した。
私も篝火を見た。
帰り道は、村の外れを通る砂利道だった。
暗かった。アレンが提灯を持っていた。私はその隣を歩いていた。足が少し重かった。食べすぎたのか、走りすぎたのか、そのどちらもか。
砂利の感触を踏みながら歩いているうちに、視界がぼやけてきた。
まずい。
そう思ったときにはもう、目が閉じていた。
次に気づいたとき、揺れていた。
視界に、アレンの肩があった。抱き上げられていた。提灯の光が揺れている。砂利道の音がする。遠くにまだ太鼓の音が聞こえた。
抗議しなければならない。降ろせと言わなければならない。
口が動かなかった。
目が、開かなかった。
アレンの肩に額を預けたまま、ぼんやりと考えた。
(……復讐は、明日からにする)
太鼓の音が遠ざかった。




