表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

第3話 元部下、現る

 村に着いたのは昼前だった。


 アレンは特に何も言わず歩く。私はその3歩後ろをついていく。石畳の道は、アレンの足には平坦に見えるが、私の足では1段ごとに微妙な段差がある。転びはしないが、自然と視線が下を向く。


 市場の手前で人が増えてきた。


 荷車、呼び込みの声、焼いた肉の匂い。私は1000年以上生きてきたが、こういった雑踏を「内側から歩いた」ことはなかった。常に上から見下ろすか、あるいは「人間どもの生活区域」として処理してきた場所だ。足元から積み重なる石畳の感触が、いやに具体的だった。


 アレンが立ち止まった。


「ここで待っててもいい。用が済んだら戻る」


「行くと言った」


 アレンは少しの間、私の顔を見た。それから「そうか」と言って歩き出した。


 私はついていく。



 市場に入って5分も経たないうちに、ゴルダを見つけた。


 見つけた、というより、見えた。向こうの露天商の列の中で、220センチの体躯が際立って飛び出している。頭に巻いた布、朱色の前掛け、山積みの野菜。あれがゴルダだと気づくまで一呼吸かかった。四天王筆頭が野菜を売っている絵面を、私の脳は一度では処理できなかった。


 足を止めた。


 ゴルダはまだこちらに気づいていない。客の相手をしながら、大きな声で「今朝採れたばかりですよ!」などと言っている。角は布で隠している。表に出るときの偽装だ。以前から言っておいた。


 逃げるべきか。


 アレンが前を歩いている。私はその2歩後ろにいる。ゴルダは通路の向こうだ。アレンが今の進路を変えなければ、5秒後にゴルダの露天の真前を通る。


 4秒。


 3秒。


 私はアレンの袖を引いた。


「……あちらに、ほかの店がある」


「何が欲しいんだ?」


「何でもいい。あちらで買え」


 アレンは私を見た。それから通路の先を見た。ゴルダの露天を見た。何かを判断したのか、あるいは何も判断しなかったのか、右方向へ曲がった。私はほっと——


「ま」


 後ろから声がした。


「ま、魔——」


 振り返るな。そう思ったが体が先に動いていた。ゴルダと目が合った。ゴルダの顔が、ゆっくりと崩れていくのが見えた。大きな目がみるみる充血していく。


 私は先に口を開いた。


「……知らない子供だ」


 ゴルダは固まった。


「知らない、子供、だ」


 私は一語一語を区切った。念を押した。大人の言葉で言っているつもりだったが、今の私の声では、どう聞こえているかわからない。


 ゴルダの顎が震えた。


「え?」と言った。「え、でも、あの、目が」


「知らない子供だ」


「……そう、ですか」


 声が、ひどく情けなかった。ゴルダの目から涙が一筋落ちた。客に見えないよう前掛けで素早く拭ったが、もう遅かった。隣で話を聞いていた客の老婆が心配そうに「どうしたの?」と言い、ゴルダが「なんでもないです」と答え、老婆が「無理しないのよ」と言い、ゴルダがまた泣いた。


 アレンがゴルダの前に歩み寄って、懐から布を1枚出した。何も言わずに露天の台の上に置いた。ゴルダがそれを手に取ってまた泣いた。


 私はその光景を3秒ほど見てから、進路とは関係ない方向を向いた。



 アレンの用事というのは、道具屋での鍬の柄の交換と、薬師への薬草の受け取りだった。どちらも短かった。道具屋の親父がアレンの顔を見るなり「ああ、クロスフィールドさん、こないだので大丈夫でしたか?」と声をかけ、アレンが「ああ」と言い、それで会話が終わった。薬師の方はもう少し言葉があったが、私は外で待っていたので聞こえなかった。


 帰り道を歩いている途中、路地の端に人影があった。


「魔王様」


 ゴルダだった。前掛けをはずして、布を手に持っている。アレンはちょうど2軒先の果物売りに捕まっていて、こちらを向いていない。


「黙れ」


 私は小声で言った。


「でも魔王様——」


「その呼び方をやめろと言っている」


 ゴルダは口をつぐんだ。震えている肩を見ながら、私は周囲を確認した。人の声は遠い。アレンはまだ果物売りの相手をしている。


「状況は把握している。潜伏中だ」


「なぜ……なぜ勇者の家にいるのですか?」


 少し間があいた。


「戦略的理由だ」


 ゴルダの目が揺れた。「そ、そうですか」と言ったが、声に一切の確信がなかった。


「ゴルダ」


「は、はい」


「お前は今どこに?」


「村の北の方に、小屋を借りています。野菜を作って、売って……魔王様がいつか転生されると思って、待っていました」


 203年生きた四天王筆頭が、人間の村で野菜を売って私を待っていた。


 私は何か言おうとして、言葉を探した。労うつもりはない。そういう感傷は私の管轄ではない。ただ——


「余計なことはするな。今は動くな」


「……はい」


「私が呼ぶまで、ここで普通に暮らしていろ」


「魔王様は、いつ——」


「魔王様と呼ぶな」


 路地の向こうからアレンの声がした。「ディア」と短く呼んだ。


 私はゴルダに背を向けた。


「……またくる」


 言ってから、言わなければよかったと思った。ゴルダが何か言おうとしている気配があったが、振り返らなかった。



 アレンが立っていた。りんごを1個持っていた。


「知り合いか?」


「……違う」


「そうか」


 アレンはりんごを私に差し出した。私はそれを受け取った。アレンが歩き出す。私は1歩遅れてついていく。


 りんごを齧った。甘かった。


(いちいち食べさせるな)


 心の中で言ったが、歩きながらもう一口齧った。


 市場の入り口に戻ってくるあたりで、後ろを振り返った。路地はもう見えない。ゴルダも見えない。


 アレンがふと立ち止まった。振り向きもせず、ぽつりと言った。


「さっきの人、泣いてたな」


「……知らない人間だ」


「ああ」


 それで終わった。アレンは歩き始め、私もついていった。


 りんごを最後まで食べた。芯は道端の植え込みに置いてきた。



 家に帰ったのは昼過ぎだった。


 アレンが昼の飯を作っている間、私は窓際に座って外を見ていた。市場の方角とは逆だったが、目はそちらを向いていた。


 ゴルダが数年、野菜を作って待っていた。


 そのことを、私は処理しきれていなかった。思い入れを持つつもりはない。ゴルダは駒だ。使える場面が来れば使う。それだけのことだ。


(それだけのことだ)


 アレンが椀を2つ、卓に置いた。


「冷める前に食え」


 私は窓から視線を戻した。椀の中に麦の粥があった。昨日の根菜が入っていた。


 座って、匙を取った。


 一口食べると、アレンが向かいに座って食べ始めた。私たちは黙って食べた。アレンが時々、窓の外に目をやる。私は粥を食べ続けた。


「……アレン」


 呼んだ理由は、自分でもよくわからなかった。


「ああ」


「今日の用というのは、それだけだったのか?」


「ほかに?」


「……いや」


 アレンは何も言わなかった。匙を動かした。


 私も匙を動かした。


 窓から風が入ってきて、卓の上に何かの葉が1枚落ちてきた。アレンがそれをつまんで、外に出した。それだけだった。


 粥が、思ったより温かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ