第2話 復讐計画、第1段階
毒草から始めよう。
朝食のパンをかじりながら、私は庭を眺めた。アレンはもう外に出ている。リーナは昨日帰ったきりで、今日はまだ来ていない。つまり今が動ける時間だ。
この地域の植生は把握していないが、問題ない。1200年、毒に関する知識だけは豊富に積んできた。庭に生えているものを確認して、使えるものがあれば——まず試してみる価値はある。
裏口から外に出た。
足元の草を一つ一つ確認していく。スギナ。タンポポ。よく分からない雑草。よく分からない雑草。よく分からない——
ない。
全部ない。
毒性のあるものが、1本も生えていなかった。丁寧に管理された庭だった。アレンが除草しているのか、そもそも土質がそういうものなのか。ともかく、ここには使えるものがない。
舌打ちした。
幼女の舌打ちは、思ったより迫力がなかった。
次の手を考えながら裏口に戻ると、アレンが立っていた。鍬を担いで、こちらを見ていた。視線の角度が、私より相当高いところにある。
「庭に出てたのか」
「散歩だ」
アレンは特に深追いしなかった。鍬を壁に立てかけて、井戸の方へ歩いていく。私はその背中を見た。
(首の後ろ、あと30センチ高ければ死角から——)
届かない。物理的に。私の身長では、アレンの肩すら届かない。というか仮に届いても、今の私に何の手段もない。
本当に、不便だった。
次に包丁を調達しようとしたのは昼前のことだ。
台所に包丁がある。アレンが野菜を切るのに使っている、刃渡りの長いやつだ。アレンが畑に出ている間に台所に入り、棚の引き出しに手をかけた。引き出しは、私の胸の高さにあった。腕を精一杯伸ばして、なんとか指先が触れる。引っ張る。引き出しが少し開く。中に包丁が見える。もう少し、あと少しで——手が届く、届く、あと——
「何してるの?」
振り返ると、リーナが玄関口に立っていた。籠を抱えていた。籠の中に薬草が山積みになっていた。
「……」
「……引き出し、開けようとしてた?」
「違う」
「じゃあ何してたの?」
「……棚の上のものが見たかった」
我ながら苦しかった。リーナはしばらく私を見てから、籠を床に置いて近づいてきた。引き出しを開けて、中を確認して、また閉めた。
「包丁は触らないこと。いい?」
「……分かった」
リーナは私の頭に手を置いた。不意打ちだった。噛もうとしたが、昨日の約束を思い出して止まった。リーナは1秒だけそのままにして、手を離した。
「賢いわね」と言って、籠を拾い上げた。「アレンに用があって来たんだけど、畑?」
「そうだ」
「ありがと」
リーナは勝手口から出ていった。私は引き出しを見た。手詰まりだった。
午後に、魔法陣を描くことにした。
毒草はない。刃物には届かない。では魔法陣だ。召喚陣でも拘束陣でも、構造さえ正しければ環境の魔力を集めて発動できるものがある。高度な技術だが、私には1200年分の知識がある。
屋内の床では後で消せないから、庭の土の上がいい。木の枝を拾って、土の上に線を引き始めた。基本構造から。補助線を追加して。中心の核となる紋章を、慎重に、丁寧に——
「ディア!」
声がして顔を上げると、小さい人間が走ってきた。7歳くらいの男の子だった。茶色い髪が跳ねていて、膝に泥がついていた。
「なにしてるの?お絵かき?」
「違う」
「でも線描いてる!ぼくもやっていい?」
「駄目だ」
少年はすでに隣にしゃがんでいた。私の手から枝を奪おうとした。私は枝を握ったまま動かなかった。少年は奪えないと分かると、別の枝を拾い上げて、魔法陣の横に何かを描き始めた。
「これ、おうち。ここがドア。ここに犬がいて——」
「そこに描くな。構造が崩れる」
「え、なんの構造?」
「……複雑な絵だ」
「ふうん」
少年は私の魔法陣を踏んで、反対側にまわった。魔法陣の上に足跡がついた。
私は枝を置いた。
「……名前は?」
「フィル!ディアは?」
「ディアだ」
「おんなじ名前みたいな人ってことはないよね?」
「ないな」
フィルは私の隣にぺたんと座った。距離が近かった。私は少しだけ横にずれた。フィルもずれてきた。私はまたずれた。フィルもついてきた。
「ディア、どっから来たの?」
「遠いところだ」
「おかあさんは?」
「いない」
「おとうさんは?」
「いない」
「じゃあアレンさんがおとうさん?」
私は黙った。
フィルはそれを肯定と取ったらしく「じゃあいいね」と言って、また自分の「おうち」の絵に戻った。
(違う。そういうことではない。あの男は私の——)
「ディア、かみがきれい」
「……そうか」
「さわっていい?」
「駄目だ」
「なんで?」
「この家のルールだ」
「ルール?」フィルは首を傾けた。「ねえ、ディアってうでずもうできる?」
「……話が変わった」
「えーだってルールってなんかむずかしそうだから」
フィルはしばらく考えてから「ふうん」と言って、また絵に戻った。
私は崩れた魔法陣を見た。足跡が三つ入っていた。もう使えない。
新しい場所に枝を当てた。最初から描き直す。基本構造——補助線——中心紋章——フィルが覗き込んできた。顔が近い。子供というのはなぜこんなに他人との距離感がないのか。私はじりじりと横にずれながら線を引き続けた。フィルはついてきた。
陽が傾く頃には、5枚目の魔法陣を描いている途中だった。最初の4枚は踏まれるかフィルが何か描き足すかのどちらかで、全部台無しになった。
アレンが畑から戻ってきた。私とフィルが並んで地面に向かっているのを見て、少しの間そのまま立っていた。
「フィル、飯の時間だろ」
「えー、まだディアとあそんでる!」
「遊んでいない」
私とアレンが同時に言った。
フィルは「えー」と言いながらも立ち上がって、「ディア、また明日ね!」と手を振って走って帰っていった。私は振り返さなかった。
アレンが近づいてきて、地面の線を見た。
「何を描いてた?」
「……複雑な絵だ」
アレンはそれ以上聞かなかった。
「飯にする」
踵を返して家の中に入っていく。私は5枚目の魔法陣を見た。フィルがいなくなってからだけで描いた部分は、今日一番きれいだった。
足で踏んで消してから、立ち上がった。
夕食はスープだった。
根菜と豆が入っていた。塩味で、アレンが黙って出してきた。私も黙って食べた。リーナは今日は来なかった。
「うまいか?」
私はスープを見た。アレンを見た。
「……普通だ」
アレンはスープを飲んだ。私もスープを飲んだ。
椀の底に根菜が一切れ残っていた。私はそれをすくって食べた。
「明日、村に行く用がある。一緒に来るか、ここで待つか」
「……どのくらい時間がかかる」
「半日くらい」
私は考えた。1人でいる半日は動ける時間だ。台所の包丁を取り出して、他に調達できるものを探して——
「行く」
アレンは特に反応しなかった。椀を持ち上げて、スープを飲んだ。
なぜそう答えたのか、考え始めて、やめた。
スープを飲んだ。
温かかった。




