第20話 収束
最初に動いたのはゴルダだった。
連合軍はすでに止まっていた。止まった理由を、後で誰かに聞いても答えが揃わなかった。「空気が変わった」と言う者もいた。「寒くなった」と言う者もいた。「何かに見られた気がした」と言う者もいた。止まった理由はわからなかったが、止まったことだけは確かだった。
その隙に、ゴルダが先頭に飛び出した。220センチの赤鬼が、角を隠さずに、連合軍の正面に仁王立ちした。それだけで前列がさらに後退した。
そのゴルダが、地面に額をつけた。
土下座だった。
完璧な土下座だった。両膝をつき、両手を前に置き、額が地面にめり込まんばかりの勢いで、ゴルダが叫んだ。
「どうか、どうかお聞きください——!」
連合軍が止まった。止まるしかなかった。220センチの鬼族が目の前で全力で土下座している状況への対応を、訓練では教わらない。前列の兵士たちが顔を見合わせていた。
その隙に、シェイドが動いた。
シェイドは連合軍の側面から、王国の使者のそばに近づいていた。いつの間に回り込んだのか、誰も気づいていなかった。使者の耳元に、何かを言った。
使者の顔が、見る見る青くなった。
何を言ったのか、誰にも聞こえなかった。シェイドは笑っていた。使者は笑っていなかった。使者が隣の副官に何かを耳打ちした。副官の顔も青くなった。
シェイドが使者から離れて、今度は排斥組織の代表者のそばに歩いていった。また耳元に何かを言った。
代表者の顔が青くなった。
シェイドは一言も声を上げていなかった。ただ歩いて、耳元に口を寄せて、また歩いた。それだけで、連合軍の後列がざわめき始めた。
リーナが動いたのは、その間だった。
負傷している兵が何人かいた。村に来るまでの道中で怪我をしたらしく、包帯が巻いてあったが処置が雑だった。リーナが籠を持って近づいた。
「手当てします。座っていてください」
兵が戸惑った。リーナが構わず膝をついて、包帯を解き始めた。
「痛みますか?」
「……あ、いや」
「化膿しかけています。少し沁みますよ」
兵が痛みに顔を歪めた。リーナが手を止めなかった。隣の兵が覗き込んできた。リーナが「あなたも怪我していますね、次に診ます」と言った。隣の兵が「え」と言った。
その辺りから、連合軍の後列の空気が変わり始めた。
「なにがおきてるの?!」
横から声がした。
フィルだった。どこから来たのか、人混みの中に立っていた。きょろきょろしながら、知った顔を探しているようだった。リーナを見つけて駆け寄ろうとして、ゴルダに止められた。
「お子様は下がっていてください!」
「おこさまじゃない!」
「危険です!」
「ディアは?! ディアどこ?!」
「魔王——ディアちゃんは今——」
「どこ?!」
ゴルダが両手を広げてフィルを押し留めようとした。フィルがゴルダの腕の下をくぐろうとした。ゴルダが「お静かに!」と言い、フィルが「うるさい!」と言い、ゴルダが「お子様——」と言い、フィルが「おこさまじゃないって言ってる!」と言った。
連合軍の前列が、その方向をぽかんと見ていた。
そこにアレンが来た。
私を抱えていた。私はすでに意識がなかったので、後から人に聞いた話だが——アレンが私を左腕に抱えて、右手を空けたまま、連合軍の使者の前に立った。
何も言わなかった。
ただ、見た。
使者が、アレンの顔を見た。古傷だらけの顔を。全身から出ている、剣を抜く前の静けさを。
使者が、一歩引いた。
それで終わった。
副官が何か言って、後列に指示が伝わった。連合軍が、来た方へ向きを変え始めた。シェイドが使者に最後に何か言って、軽く頭を下げた。使者は頭を下げ返さなかったが、足は止めなかった。
ゴルダが地面から顔を上げた。連合軍が引いていくのを見て、また顔を伏せた。今度は泣いていた。
私が目を覚ましたのは、それから2日後だった。
天井が見えた。いつもの天井だった。体が重かった。前回の魔力暴発より、重かった。腕を動かすのに、時間がかかった。
顔だけ横に向けた。
アレンがいた。椅子に座って、こちらを向いていた。起きているのか寝ているのか、顔を見てもわからなかった。
私が動いたのに気づいて、目が合った。
アレンが何かを言おうとした。
私が先に言った。
「……なぜ、まだここにいる?」
アレンが少し間を置いた。
「お前がいるから」
「……馬鹿か」
「そうかもな」
部屋が静かだった。
窓の外から声がした。フィルの声だった。「ディア! 起きた?!」と言っていた。ゴルダが何か言っていた。リーナが「うるさい、まだ休んでるの」と言っていた。シェイドが何か言って、ゴルダが「お前は黙れ」と言っていた。
私は天井を見た。
(全員、うるさい)
思ったが、口には出さなかった。
アレンが立ち上がって、窓を少し開けた。声が大きくなった。フィルが「ディア!!」と呼んだ。
私は天井を見たまま、答えなかった。
でも、目は開けていた。




