第19話 魔王と勇者、最後の対話
夜明け前に、ゴルダが来た。
扉を叩く音が、いつもと違った。力が入りすぎていた。私が開けると、ゴルダが息を切らして立っていた。前掛けを外しているのに、外していることに気づいていない顔だった。
「魔王様。連合軍が、動きます」
「いつだ?」
「今日中に、村の外まで来ます。シェイドが確認しました」
今日。
「残党の者たちは、準備ができています。魔王様のお言葉があれば、いつでも——」
「待て」
ゴルダが口を閉じた。
私はゴルダを見た。203年生きた鬼族が、目を赤くしてそこに立っていた。泣いていなかった。泣くのを堪えて、立っていた。
「お前たちは動くな。私が決める」
「……はい」
「行け」
ゴルダが頭を下げた。走って戻っていった。
家の中に入った。
アレンが起きていた。台所に立っていた。私が扉を閉める音を聞いて、こちらを向いた。
「聞こえてたか?」
「ああ」
アレンは剣を手に持っていた。鞘ごとだった。持ったまま、台所の柱に背を預けていた。
私はアレンを見た。剣を見た。アレンの顔を見た。
何かを決めなければならなかった。
ずっと、決められないでいた。ここに来てから、ずっと。復讐か、逃げるか、ただ居続けるか。シェイドが来るたびに、ゴルダが来るたびに、先送りにしてきた。
今日が来た。
私は部屋の奥に歩いた。
机の引き出しを開けた。
以前、作付けの裏に書いた紙があった。目標の欄が空白のまま残っていた。私はその紙を取り出して、見た。それから置いた。
必要なかった。
もう、わかっていた。
体の奥に手を当てた。魔力を確かめた。幼女の体に残っている量は、わずかだった。前回の暴発で限界はわかっている。全部出せば、この体は保たない。それでも——出せる量は出せる。
着替えた。部屋を出た。
アレンがまだ台所にいた。
私を見た。何も聞かなかった。
「アレン」
呼んだ。アレンが答えた。「ああ」と言った。
「私は、ヴァルディアだ」
静かな朝の台所に、その名前を置いた。アレンが動かなかった。私も動かなかった。
「1200年を生きた魔王だ」
アレンの目が、私を見ていた。
「お前に倒され、転生し、お前に拾われた」
言い終えて、少し間が空いた。自分の声が、思ったより落ち着いていた。
「……笑えるだろう」
「笑えない」
アレンが言った。間がなかった。考えた様子がなかった。最初からそこにあった答えを、ただ口にしたような声だった。
私は続けた。
「復讐しようとしていた。ずっと」
「知ってる」
「それでも、お前は——」
「お前が、ディアだから」
台所が静かだった。
私はアレンを見た。アレンは私を見ていた。1200年分の言葉が、全部どこかに行った。残ったのは、今ここにいる自分と、目の前の男だけだった。
私は向きを変えた。
村の外れまで来たとき、すでに騒ぎが始まっていた。
連合軍が村の手前で止まっていた。ゴルダが先頭に出て、何か叫んでいた。シェイドが隣で交渉しているらしかった。リーナが負傷した兵の1人に近づいていた。
その全部が、遠くから見えた。
私は立ち止まった。体の奥から、魔力を引き出し始めた。
(これが最後かもしれない)
そう思った。思ったが、足が止まらなかった。
(1200年分の、これが最後か)
途切れた。
途切れたのは、後ろに気配があったからだった。
振り返らなかった。振り返らなくてもわかった。
アレンが、隣に来た。剣を持っていた。鞘ごとだった。抜いていなかった。ただ、隣に立った。
私はアレンを見なかった。前を見た。
体の奥から、熱が上がってきた。幼女の体が、それに耐えようとしていた。耐えられるかどうか、今はわからなかった。
それでも、前に出た。
何かが、溢れた。
音はなかった。光もなかった。ただ、空気が変わった。風が止まった。連合軍の前列が、足を止めた。止めた理由が自分でもわからない顔だった。後列がその前列にぶつかった。誰かが「何だ?」と言った。答えが返ってこなかった。
私には制御できなかった。
出ているのか出ていないのかも、わからなかった。ただ体の奥が燃えていた。1247年分の何かが、幼女の体の縫い目から滲み出ようとしていた。それが何秒続いたのか、私にはわからなかった。
気づいたとき、膝が地面についていた。
アレンの手が、肩にあった。
連合軍がざわめいていた。その声が、遠かった。だんだん遠くなった。




