第9話 静かなる怒り
私は朝から裏路地へ向かった。
今日はフヴィオと土地契約に関する話し合いだ。
ルディの調査によると、最新の取引価格は約百万リアだが、これはさすがに低すぎる。
だから、私はフヴィオの言い値で購入するつもりだ。
屋台に到着すると、すでにフヴィオが待っていた。
だが、様子がおかしい。
「フヴィオさん! どうされたのですか!」
「ルマートさん、申し訳ございません。あの土地は別の方にお売りすることになりました。大変申し訳ございません」
何度も頭を下げるフヴィオ。
「そ、それは構わないのですが、そのお怪我はどうされたのですか?」
顔は痣だらけで包帯を巻いており、左腕は三角巾で吊るしている。
「そ、その……」
「襲われたのですか?」
「い、いえ……」
「ご事情があれば、土地に関してはご縁がなかったということです。しかし、その怪我が襲われたということであれば、放っておくわけにはいきません」
フヴィオが右の拳を握りしめた。
その肩は悔しさと無念さで震えている。
「もうこうするしかないんです……。うう……。私が襲われる分なら我慢できますが……。あいつらは妻まで。うう」
「相手はコルサ一家ですか?」
マフィアと分かっていても、フヴィオは騎士団に通報できないだろう。
仮に通報してしまうと、不当売却は阻止できたとしても、激しい報復が待っている。
結局、脅迫と暴力に負けて、不当な価格で土地を売るしかない。
「そ、それは……」
「言ってください。私が全ての責任を持ちます。ご安心ください」
力なく頷くフヴィオ。
「はい……。コルサ一家です……」
「分かりました。フヴィオさん、コルサ一家との契約の話は決まっているのですか?」
「今日これから役場へ行くことになってます」
「私も同行いたします」
「え?」
「私に全てお任せください」
私は大きく息を吸った。
全身を駆け巡る怒りを冷ますように。
***
土地の売買は、売却者と購入者が揃って役場へ行く必要がある。
フヴィオと一緒に、私はコルサ一家との待ち合わせ場所に同行した。
「爺さん! おせーよ!」
「す、すみません」
威張り散らしているが、どうせ下っ端だろう。
弱い獣ほどよく吠えるというものだ。
私はフヴィオを庇うように、男の正面に立った。
「貴様、コルサ一家か?」
「あ? ジジイが気安く呼ぶんじゃねーよ! 殺すぞ!」
「殺す……か。簡単に言うものだな」
「邪魔すんじゃねーよ! おい、フヴィオ! 行くぞ!」
男が私を突き飛ばそうと、右手を突き出してきた。
「どけっ! ジジイ!」
私はその手を掴み、捻り上げる。
そして、フヴィオを振り返った。
「フヴィオさん。今日は一旦お帰りください。明日の朝、もう一度屋台に来ていただけませんか?」
「し、しかし……」
「私は大丈夫です。あとのことはお任せください。先日だって大丈夫でしたでしょう?」
「た、確かにそうですが……」
私に腕を掴まれながらも、男が暴れている。
「離せよっ! ジジイが! うがっ! いてーよ! いてーって!」
少しうるさい。
私は暴れる男の腕をさらに締め上げた。
「フヴィオさん、お任せください。大変失礼ですが、フヴィオさんがいるとかえって……」
「わ、分かりました」
フヴィオが私の言葉の意図を汲み取ってくれた。
そう、かえって邪魔だ。
私はもう騎士ではないが、マフィアごときに遅れを取ることはない。
フヴィオが何度も頭を下げて、自宅へ帰っていった。
「さて、アジトへ行こうか」
「離せって! 殺すぞ!」
死を知らない者に限って簡単に口にする。
私は大きく息を吸い込んだ。
「黙れっ!」
私は腹の底から低音を響かせ、相手を押しつぶすような音圧で声を発した。
男にとっては、脳天に巨大な岩石を落とされたように感じただろう。
「ひいぃぃ!」
男は肩をビクッと大きく動かし、反抗をやめた。
「連れて行け。逃げたら殺す。脅しではない」
「う、うう……」
「返事は?」
「は、はい」
「声が小さい」
「はい!」
逃げたら死ぬことを、しっかり理解したようだ。
私は男の手を離した。
男の案内によって、私はコルサ一家のアジトに到着した。
四階建ての石造りで、まだ綺麗だ。
新しく建てたのだろう。
「こ、ここです」
壁面に美しい彫刻が施されており、重厚さと繊細さを感じる。
見栄を張るマフィアらしい建物だ。
「先に入れ」
「は、はい」
男が両開きの大きな扉を開け、建物内に入っていく。
続いて私も入る。
「戻ったか! 早かったな! 土地はどうなった!」
「そ、それが……」
数人の男たちが、ロビーに集まってきた。
「ん? なんだその爺さんは? 土地を売った爺さんか?」
「い、いや……。その……」
「何で連れてくんだよ! 取引は終わったんだろうが! バカか!」
怒鳴る男たちに背を向けた私は、扉の鍵をかけた。
誰一人として、ここから逃すつもりはない。
「おいおい、ジジイ。何やって――」
「全員集まれっっっっ!」
私は男の言葉を遮り、大声を発した。
その直後、時間が止まったかのように静寂がロビーを覆う。
「び、びびったー。急に大声出すなよ」
「ってか、何言ってんだ?」
「何だこのジジイ。殺すか?」
数人の男たちが声を上げると、廊下の奥から構成員が集まってきた。
地下水道に蠢く黒這虫のように湧いて出てくる。
二十人は姿を見せただろう。
何人かの男が、私を威嚇するように囲む。
私は独自の呼吸法で、大量の息を吸い込んだ。
「整列っっっっ!」
声量を一切抑えずに、正面にいる男たちに向かって声を解放した。
声は武器にもなる。
前方に向かって放たれた声は、ランス騎兵の突撃のように男たちへ襲いかかった。
全員が心臓を突き抜かれたと感じただろう。
その場に腰から崩れ落ちた男もいる。
何人かは涙を流し、恐怖で汚物を漏らしていた。
「聞こえなかったか? 整列しろ」
「ひ、ひいぃぃぃぃ」
必死に立ち上がろうと足掻く構成員たち。
完全に腰を抜かしている者もいる。
「ボスを呼んでこい」
「わ、分か、分かりました……」
私を案内した男に告げると、這いつくばりながらも、廊下の奥へ進んでいった。
他の構成員も集まってきたが、異様な光景に声も出ないようだ。
さらに全構成員をこの場に呼ぶように命じた。
反論はさせない。
いや、できないだろう。
なぜならば、私は常人でも気づくほどの殺気を解放している。
「これで全員か?」
「は、はい」
ロビーには百人ほどの男が集まった。




