第29話 屋台と酒と男と女
朝は曇りだったが、午後になると本格的に雨が降ってきた。
「これはもう止まないな」
屋台という形態上、雨だとどうしても客足は鈍る。
とはいえ、ありがたいことに、最近は雨でも来店してくれる客がいる。
この屋台にも常連客がついてきた。
「まだやってますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
初めて訪れる若い男性が、一人でベンチに座った。
傘を持っていなかったようで、ずぶ濡れだ。
「おまかせで三本お願いします」
「はい、かしこまりました」
私は男性にタオルを渡した。
「これで身体を拭いてください」
「あ、ありがとうございます」
焼き上がった串焼きを皿に乗せ、カウンターに置く。
男性は軽くお辞儀をして、無言で串焼きを食べ始めた。
「旨い……」
温かい麦茶を出すと、男性が私に視線を向けた。
「あの、酒はありますか?」
「お酒ですか? 実は置いてないんです。申し訳ありません」
「そうでしたか……」
私の屋台は酒を出していない。
屋台だから酒がないのはおかしいと言われるが、私自身酒を飲まないので、酒に関しては全く分からなかった。
それに酒を出さずとも、串焼きだけで売り上げは確保できている。
飲み物は麦茶を無料で出している。
他所の店だと麦茶は有料だから、このサービスは好評だった。
「そういえば……」
私はふと思い出した。
「頂き物なのですが、ウイスキーがあります。飲まれますか?」
「え? いいんですか?」
「ええ。私は酒を飲みませんので、よかったらぜひ。お代は結構ですので」
グラスにウイスキーを注ぎ、チェイサーと一緒に出した。
酒を飲まなくとも、ウイスキーにはチェイサーが必要なことは知っている。
男性がグラスを傾け、口に含んだ。
「くぅぅ、これはキツいですね」
「北部の酒だそうです。大丈夫ですか?」
「はい、美味しいです。串焼きをもう三本いただけますか?」
男性は串焼きを食べながら、ウイスキーを飲み干した。
「もう一杯飲みますか?」
「はい。お願いします」
私はウイスキーをグラスに注ぐ。
男性は片肘をつき、グラスに揺れる黄金色の液体を眺めながら、大きく溜め息をついた。
「自分、彼女と別れまして……」
「そうでしたか」
「酒、沁みますね……」
濡れた髪から水滴が滴る。
頬を伝う雫は雨なのか、それとも。
「結婚、考えていたんです……。だけど仕事と私、どっちが大切なのって……」
「お忙しい仕事なんですね」
「はい……。だからといって、そんなの……、どっちも大切に決まってるじゃないですか」
「確かにそうですね」
男性がウイスキーを口に含んだ。
それを喉に流し込む。
チェイサーは飲まず、少し咳込んでいた。
「マスターは、結婚生活はどれくらいなんですか?」
「私は独身ですよ。お恥ずかしい限りで。ははは」
「そ、それは失礼しました」
この年齢で独身は珍しい。
よく結婚していると思われるので、全く気にしていない。
私は騎士という仕事を選び、自分の意思で独身を貫いてきた。
「私は仕事を選びました」
「え?」
「といっても、お付き合いしている女性もいませんでしたがね。ははは」
「そ、そうだったんですね。仕事を選んで後悔はしませんでしたか?」
「はい。そのおかげで、こうして屋台を開くことができましたから」
男性の表情が少し明るくなった。
確かに失恋は辛い。
酒で紛らわせたり、人に話すことで楽になることもあるだろう。
私のような老人なら、話しやすいこともあるはずだ。
「すみません! 座ってもいいですか⁉︎」
「どうぞ。いらっしゃい」
一組の若い男女がベンチに座った。
雰囲気から恋人同士のようだ。
「この屋台が美味しいんだって」
「クララが言ってたんでしょ?」
「そうそう、今流行ってんだよ」
流行っているのかは分からないが、歌手のクララが公演中にこの屋台のことを言った影響で、若者の客が増えていた。
中には舞台を見た客もいて、握手を求められることもあるほどだ。
恥ずかしいなんてものではない。
***
「屋台っていいな」
「うん、楽しいね。また来ようよ」
「そうだね」
「「ごちそうさまでした」」
二人は数本の串焼きを食べて、一本の傘に身体を寄せ合いながら表通りへ向かっていった。
どうやらデートの途中のようだ。
「いいなあ……」
男性がボソッと呟いた。
グラスは空だ。
「あと一杯飲みますか?」
「そうですね……」
私は男性に三杯目のウイスキーを注いだ。
「私も少しだけいただきましょう」
「え? 付き合ってくれるんですか?」
「ええ、全然飲めませんけどね。そういう気分なんです。はは」
私は自分のグラスに少しだけウイスキーを注ぎ、男性と乾杯した。
「ごほっ。こ、これは確かにキツいですね」
喉の奥がカーッと熱くなる。
私はすぐにチェイサーで流した。
「やっぱり、仕事と恋愛は別物だと思うんですよ」
男性が仕事と恋愛に関して語り始めた。
私は頷きながら、時折自分の仕事論を交え、男性と楽しく盛り上がる。
「ルマートさん、まだやってますか?」
「ええ、どうぞ」
「雨大丈夫だと思ったのに。降ってきちゃってさ。雨宿りさせてー」
常連の若い女性客が一人で来店した。
私は女性にタオルを手渡す。
「あれ? ここってお酒なかったですよね?」
「今日は特別なんですよ。はは」
「えー、いいなあ。私も一杯飲みたいなあ」
「いいですよ」
「わあ、ありがとうございます。ところで、ルマートさんってお酒飲むんですか?」
「下戸です。でも今日はちょっとね。はは」
グラスに酒を注ぎ、女性と乾杯した。
「ねえ、ルマートさん聞いてくださいよ」
「どうされました?」
女性は片肘をつき、溜め息をつきながら手にしたグラスを眺めている。
「仕事と俺、どっちが大切なんだとか言うんですよ」
「ほう、それはそれは」
私は視線を僅かに男性に向けた。
興味ありそうに耳を傾けている。
「だからこの間振ってやりましたよ。どっちを選ぶとかないっつーの。あんな女々しい男、こっちから願い下げよ」
「なるほど。そちらの男性と話が合いそうですね」
「え? どういうことですか?」
男性が事情を説明した。
「確かにねえ。そんな女、別れて正解よ」
「仕事も恋人も大切にする。それでいいじゃないですか」
「その通りよ。分かってるじゃない」
二人は意気投合したようだ。
改めて二人で乾杯して飲んでいる。
楽しそうで何よりだ。
少しだけ手助けしよう。
私は男性に目配せした。
「そろそろ閉店しますね」
男性は残念そうな表情を浮かべたが、私は片目を瞑り、もう一度合図を送る。
ハッとした男性。
どうやら気づいたようだ。
「あ、あの、よかったらこの後飲みに行きませんか?」
「飲み? いいわよ! 今日はとことん飲むわよ!」
男性の表情が明るく変化した。
「マスター、ありがとうございます」
「一本しかないですが、傘を持っていってください」
男性は料金を多めに置いた。
酒代を入れてくれたのだろう。
そして一本の傘に入り、二人で飲み屋街へ向かっていった。
私はその二人の背中を眺める。
「別れがあるから出会いがあるんだ。新しい出会いに乾杯」
グラスを二人の背中に掲げ、残ったウイスキーを一気に飲み干した。
「ごほっ、ごほっ」
やっぱり酒は苦手だ……。
「だが、少しだけ旨く感じてきたな。はは」
たまには酒を出すのもいいかもしれない。
そう思いながら、私は屋台を片付けた。




