第17話 思い出の味2
空が赤みを帯び始めると、今日もデルが姿を見せた。
「なあ、デル。ご主人に何かあったのかい?」
「ウォン!」
「もしかして、ご病気なのかい?」
「ウォン!」
デルに聞いても分からないとは思うが、聞かずにはいられない。
だが、何を聞いても明るく反応してくれるデルだった。
デルは毎日元気よく屋台に来るのだが、私が屋台を閉めると肩を落として悲しそうに帰っていく。
その姿を見るのが辛かった。
もし男性がご病気なら、デルは男性から離れないからここに来ないだろう。
どういう状況なのだろうか。
「あの、ルマートさんですか?」
「ええ、そうです」
デルを見つめていたら、女性に声をかけられた。
三十代くらいの女性だ。
「父が生前お世話になりました」
記憶を辿るが、女性の顔には見覚えがない。
「あの、失礼ですが――」
「父は……デルの飼い主です」
「え?」
デルが女性にそっと寄り添った。
悲しそうな表情を浮かべる女性のことを心配しているのだろう。
「父は数週間前に亡くなりました。病気でした」
「そ、そうだったんですね」
「生前、ルマートさんの串焼き屋を大変気に入っておりまして、もっと前から行きたかったと言っていました」
「もしかして、お父様はご病気のことを……」
「はい。こちらの屋台に通い始めた時は、本人もすでに病気のことを知っていました。だから身体が動く限り通うと言って、病院帰りに立ち寄っていたんです」
男性は仕事の帰りと言っていたが、まさかそれが通院だとは思わなかった。
「ウォン!」
何も知らないデルは、女性に笑顔を浮かべている。
お嬢さんがしゃがみながらデルの頭をさすった。
「デル、帰ろう」
「ウォンウォン!」
首を横に振るデル。
ここで男性を待つという意思を見せている。
「ね、帰ろう」
「ウォンウォン!」
「お、お父さんは、もういないのよ」
デルは利口だが、男性の死を理解できないのだろう。
お嬢さんは地面に膝をつけ、デルに抱きついた。
「デル、困らせないで。お願いよ……うぅ」
「クウゥゥン」
むしろデルは、頬を濡らすお嬢さんのことを心配しているようだった。
「お嬢さん。もしよかったら、お父さんが好きだった串焼きを食べていかれませんか?」
「え?」
「お父さんは大角鹿の串焼きを懐かしそうに食べていました。子供の頃、誕生日に食べた懐かしい味と仰ってましたよ」
「父の子供の頃……。全然知りませんでした。お父さん何も言ってくれないから。教えてくれればいいのに……」
お嬢さんの表情は少し複雑だった。
笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
父親の子供の頃の話を聞けた嬉しさと、何も言ってくれなかった悲しさを同時に感じているのだろう。
「それと、デルの食事も作っていいですか?」
「デルの食事ですか?」
「お父さんから一度だけ、デルの好物だとレシピを聞いたことがあったんです」
「そうなんですね。じゃあ、ぜひお願いします」
さっそく私は赤羽鶏の胸肉、キャベツ、ニンジンを鍋で茹でた。
柔らかくなったところで取り出し、冷ましながらよく混ぜ、角縞牛の牛乳で和える。
それをデル専用の器に盛りつけた。
「ハッ! ハッ! ハッ!」
笑顔で食べ始めるデル。
「デル、美味しいかい!」
「ウォンウォン! ウォンウォン!」
デルは尻尾を大きく振りながら喜んで食べている。
そして、私は焼き上がった大角鹿の串焼きをお嬢さんに出した。
「わあ、美味しい」
お嬢さんは瞳を閉じながら味を堪能している。
「お父さんと同じ反応ですよ。はは」
「や、やだ……」
頬を赤らめながらも、とても嬉しそうな笑みだ。
だが、ふと何かを思い出したような表情を浮かべた。
「あれ、この味……。記憶があるというか、小さい頃に……」
「もしかして、お祝いで食べたのでは?」
「そ、そういえば、誕生日に……。美味しいお肉を……。こ、この味だった……」
お嬢さんが串焼きを見つめている。
瞳からは涙が溢れ出した。
「お父さん……。お父さん……」
私は大角鹿の串をもう一本焼き始めた。
思い出してもらうためだ。
デルに視線を向けると、満面の笑みを浮かべながら好物を食べている。
「ハッ! ハッ! ハッ!」
「それにしても、旨そうに食べるな。これがデルの思い出の味かい?」
その姿を見ていたら、私は閃いた。
犬用のメニューを作ってもいいかもしれない。
屋台だし、犬連れのお客さんを呼び込める。
「なあ、デル。その好物をデル飯という名で、メニューに載せてもいいかな」
「ウォン!」
「じゃあ、近々お父さんにご報告へ行こう」
「ウォン!」
女性がハンカチで涙を拭い、笑みを浮かべながら私を見つめていた。
「ぜひお願いします。父も喜ぶと思います」
「ありがとうございます」
私は焼き上がった大角鹿の串焼きを皿に載せた。
お嬢さんは昔の記憶を辿るように、瞳を閉じて味わっている。
きっとお父さんとの思い出に浸っていることだろう。
お嬢さんもデルも食べ終わった。
デルは皿まで舐めている。
「ルマートさん。本当にありがとうございました。父の思い出の味を知ることができました」
「それはよかったです」
「あの、お代をお支払いします」
「お代? お父さんから多めにいただいているので大丈夫ですよ。それに、デル飯をメニューにも使わせていただくのですからね。ははは」
「そ、そういうわけには――」
「これくらいのことしかできませんが、私から通ってくださったお父さんへ感謝の気持ちです」
私はお嬢さんの言葉を遮った。
私としても男性には本当に感謝している。
「あ、ありがとうございます」
「ウォン!」
深くお辞儀をしたお嬢さんの隣で、デルも頭を下げていた。
本当に賢い犬だ。
そして、二人は表通りに向かって歩いていった。
お嬢さんに寄り添うデルの姿は誇らしげで、まるで君主を守る騎士の姿そのものだった。
***
私は後日、お嬢さんから伺った男性の墓へ赴き、これまでのお礼を伝えた。
そして、デル飯の報告を行う。
「風?」
報告を終えると同時に力強い風が吹いた。
私の肩を二回叩いたように感じたが、気のせいだろうか。
「ウォンウォン! ウォンウォン!」
いや、きっと男性だ。
デルの反応がそれを物語っている。
「はは、ありがとうございます。また食べに来てくださいね」
私は墓標にそう告げて、営業のために屋台へ向かった。




