第16話 思い出の味1
西の空が黄金色に染まり始めた。
もう少ししたら、熱せられた炭のような赤色に変わるだろう。
私の屋台は日没が営業終了の合図だ。
「ルマートさん、まだやってるかい?」
「ええ、まだ大丈夫ですよ」
「ああ、よかった。今日も夕飯を食べていくよ」
「ありがとうございます」
年配の男性客が来店した。
慣れたようにベンチに座る。
「お任せで三本もらえるかな」
「はい。今日は珍しい肉が入っているんですよ」
「へえ、そりゃ楽しみだ」
珍しい肉とは大角鹿だ。
鹿肉は脂身が少ない赤身肉で、サッパリしていて肉質が柔らかい。
月に数回しか市場に並ばない稀少な高級肉ではあるが、見かけると必ず仕入れていた。
「大角鹿、長毛鶏、黒毛牛の三本です」
「大角鹿か! まさか大角鹿の串焼きが食べられるとはな……」
男性の表情は、どこか懐かしそうだった。
まず最初に大角鹿の串を手に取り、一切れ口にする男性。
「ああ……。この味……。久々に食べたがやっぱり旨い。思い出すな」
男性は瞳を閉じながら味を堪能しているようだ。
四切れの大角鹿がすぐになくなった。
「このサッパリ具合が何とも言えない。しかもこの肉は上質で柔らかい。臭みもなく、ルマートさんのハーブと相性もいい。焼き加減が絶妙なんだ」
「ありがとうございます」
「今日は調子もいいし、もう少し食べるか……。大角鹿をもう二本追加できるかな?」
「はい、すぐ焼きますね」
男性はこの裏路地が通勤経路だという。
仕事帰りに立ち寄ったことがきっかけで、ほぼ毎日通うようになった。
嬉しいことに「この串焼きを食べることは今の日課」と言ってくれる。
「我々の子供時代、大角鹿は特に高級肉だったんだ」
「私も同じ世代ですよ。はは」
「そうなのかい? ルマートさんは若く見えるよ」
「私ももう六十ですよ」
「俺と五つしか変わらないのか。もっと年下だと思ってたよ。ルマートさんは身体もしっかりしているし、まだまだ現役だろう」
「そんなことないですよ。ただちょっと昔のクセで、今も少しだけ身体は鍛えてます。はは」
私は今も早朝の素振りを欠かさない。
剣は日々の積み重ねが最も大切だ。
焼き上がった追加の大角鹿を皿に乗せた。
男性が串を掴み、懐かしそうな表情で見つめている。
「当時は祝い事でしか食べられなかったんだよ。誕生日に親父が買ってきてくれて、お袋が焼いてくれたっけ。懐かしいな」
男性の瞳が少しだけ潤んでいた。
昔を懐かしんでいるのだろう。
年を取ると、そういった機会が増える。
「まあ今も高級肉には違いないが、こうして値段を気にせず食べられるようになった。俺も出世したもんだ。ははは」
「それは凄いですね。たくさん召し上がってください」
「ルマートさんの串焼きが安すぎるってのもあるがな。もっと値段を上げればいいのに」
「これは適正価格ですよ。それに、ちゃんと儲けは出てますから。はは」
男性と話していると、裏路地の入り口に一匹の犬が姿を見せた。
笑顔を浮かべながら屋台に向かって走ってくる。
「ウォン! ウォン!」
茶色い大型犬が私に挨拶をしてくれた。
「こんにちは、デル」
「ウォン!」
この犬の名はデル。
男性の飼い犬だ。
耳を垂らしフサフサの尻尾を大きく振りながら、お座りをしている。
とても行儀のいい子だ。
男性がデルの頭を勢いよく撫でている。
「デル。いつもお迎えありがとうな」
「ウォン!」
デルはいつもこの時間になると男性を迎えに来る。
そもそも男性が私の屋台に立ち寄った理由はデルだ。
串焼きの匂いに釣られたデルが、屋台の前から動こうとしなかったことで、男性は諦めて屋台に寄ったという。
「ルマートさん。味付けしない大角鹿を焼いてもらえるかな?」
「もちろんです。今日は角縞牛の牛乳も用意してありますよ」
「ありがたい。それもいただくよ」
毎日来るデルのために、私は市場で牛乳も買っておいた。
焼けた大角鹿を冷まし、適当な大きさに切って器に乗せる。
これは私が選んだデル専用の器だ。
そして別の容器に牛乳を入れ、デルに差し出す。
「どうぞ、召し上がれ」
「ウォンウォン!」
デルは私にお礼を伝えると、勢いよく食べ始めた。
私は犬を飼ったことがないが、こうしてみると可愛いと思う。
それに機転が利くというか、ずる賢いというか、とにかく頭がいい。
その証拠に、主人を迎えに来るという従順で献身的な姿を見せつつ、串焼きを食べる欲望も満たしていた。
「デルは頭がいいな。はは」
「飼い主に似たんだよ。がははは」
「そうかもしれませんね。わっはっは」
すぐに食べきってしまったデルが、男性にすり寄った。
「クウゥゥン」
「デル、串焼きは一本までって約束だろ? お前は約束を守れるだろ?」
「ウォン!」
デルが姿勢を正し返事をした。
その姿は、まるで規律を守る騎士だ。
そろそろ日没というところで、男性がお代をカウンターに置いた。
「ルマートさん、牛乳代はいくらだい?」
「ん? 牛乳はサービスですよ。私が勝手に買ってきたのですから。ははは」
「おいおい、この裏路地でそんな商売してたら儲からないぞ。まったく、欲がないんだから」
少し多めにお代を置いた男性。
私が拒否すると、笑顔を浮かべて無言で私に受け取れと促してきた。
「さ、帰るぞ。デル」
「ウォン!」
二人は表通りに向かって歩いていく。
デルは寄り添うように歩き、男性の側を決して離れなかった。
それからも、男性はほぼ毎日屋台に立ち寄ってくれた。
迎えに来たデルは、もちろん串焼きを一本食べていく。
***
「ふう、今日は少し暇だったな」
日没を迎え、私は店の片付けを始めた。
「今日は休みだったのかな」
私はふと男性のことが気になった。
今日は来なかったが、まあ毎日仕事なわけがない。
男性はこの裏路地を通勤に使っているというし、仕事がなければ通らないだろう。
しかし、それからも男性の姿を見ることはなく、一週間が経過した。
「ウォンウォン!」
「ん? あの声は……デルか?」
「ウォン!」
夕方になり、久しぶりにデルが姿を見せた。
以前と変わらず表通りから走ってくる。
「久しぶりだな、デル。といっても一週間しか経ってないけどな。はは」
「ウォン!」
「ご主人は来てないぞ?」
「ウォンウォン!」
定位置にお座りするデル。
私は赤羽鶏の胸肉を焼き、デル専用の皿に乗せて出した。
「ウォン!」
嬉しそうに食べるデル。
この顔を見ると私も嬉しくなる。
「ご主人はどうしたんだい?」
「ウォンウォン!」
結局、この日も男性は来なかった。
私が屋台を閉めると、デルは日が暮れた裏路地をトボトボと歩いていく。
「ご主人に何かあったのだろうか?」
だが、勤め先も名前も知らないお客さんだ。
屋台に来ていただかないと、状況は全く分からない。
それからというもの、夕方になるとデルは毎日姿を見せた。
他のお客さんもデルのことを気に入り、デル用に串焼きを注文してくれるほどだ。
だが、デルは絶対に一本しか食べない。
男性との約束を守っている。
本当に頭がよく、忠実な犬だ。




