第15話 優しいスープ3
私は、ベンチで横になる女性に視線を向けた。
顔のアザもそうだが、頬も少し痩けているし心配だ。
「少し早いが、今日は店じまいしよう」
私は早めに店の片付けを済ませた。
湯を沸かし、少しだけ炙った赤羽鶏のもも肉を茹でる。
そして、ニンジン、タマネギ、ジャガイモを小さく刻み鍋に入れた。
塩と胡椒で味付けをして、薬膳ハーブで仕上げる。
赤羽鶏と野菜スープの完成だ。
煮込んだ赤羽鶏は、ホロホロと勝手に身が崩れるほど柔らかい。
「わ、私……」
スープが完成すると同時に、女性が目を覚ました。
「すみません! やだ、寝ちゃったみたいで!」
気絶したことに気づいていないようだ。
女性の様子を見ながら、私はスープを入れたカップを手渡す。
「スープです。召し上がってください」
「あ、ありがとうございます」
きっと女性は昨日から何も食べていないのだろう。
スープなら胃が受け付けるはずだ。
「お、美味しいです」
「赤羽鶏の出汁は優しい味ですよね。薬膳ハーブと小さく切った野菜を入れています。消化もいいですよ」
「ありがとうございます」
「お代わりもあるのでゆっくりどうぞ」
「お野菜が柔らかい……」
「はい、煮込んでありますからね」
女性はゆっくりとスープを飲む。
「う、うぅ。美味しいです。本当に美味しいです」
女性から大粒の涙が零れ落ちた。
涙を拭うことなく、スープを飲んでいる。
「美味しいと言ってくださるのが、一番嬉しいです。はは」
「うぅ、うぅぅ」
「お代わりをどうぞ」
今はとにかくスープを堪能して欲しい。
女性の顔色が少しずつ戻ってきたようだ。
涙を流しながら、二杯目のスープも完食してくれた。
「こんなに美味しくて、優しいスープは初めてです」
「ありがとうございます」
「あの……。私、どうしても仕事に行きたくなくて……」
女性は明言しないが、仕事の内容はもう分かっている。
身体を売ることだ。
「それがあなたの本心です。恐怖で心を支配されていただけなのです」
私が騎士だった頃、とある戦地で小さな村を占領した。
恐怖で支配しても住民は反発するだけだ。
私は炊き出しを行い、料理で交流を図ったことで大きな問題は発生しなかった。
料理は人の心をほぐし、安心を与える。
迷ったような表情を浮かべている女性を見つめていると、屋台の外から人の気配を感じた。
「てめえ! またここにいたのかよ!」
怒声と共に、昨日の男が姿を見せた。
きっと女性を探していたのだろう。
「これから仕事だろうが! 早く来い!」
女性の手を引っ張ろうと、男が手を伸ばした。
私は男の手首を掴む。
「女性を物のように扱うのはやめなさい」
「なんだジジイ! てめえ、殺すぞ!」
「聞こえなかったか? 女性を金づるにするなと言っているんだ」
「い、いてー! 放せよ! ジジイ! 殺すぞ!」
私は男の手首を捻った。
男が片膝をつきながらも、悪態をつく。
「いてーよ! やめろっつってんだろ!」
「私の言ったことが理解できないのか?」
「こいつは俺に惚れてんだ! こいつが勝手に金を持ってくんだよ!」
男が本性を現してきた。
「ち、違……。お金がないって言うから……。私のことが必要って言うから……」
「俺に反抗すんのか! またぶん殴って髪切るぞ!」
「いえ……その……」
女性は完全に脅えている。
これはもう恋愛でもなんでもない。
私は震える女性を見つめた。
「目を覚ましなさい。この男はあなたを金づるとしか思っていない」
私は男の手を放し、女性の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「あなたはその大切な身体を売ることになる。この男に金を渡すためだけに望まない行為をする。あなたに残るものは?」
「私に……残るもの……」
「心と身体に傷が残るだけです」
「傷……」
「あなたの身体も心も、あなたのものです。あなたが心から望むことをやりましょう」
「わ、私……」
女性は右手で左手の手首を握りながら、自分の胸に腕を押しつけている。
少し震えながら、私の顔を見つめてくれた。
「私、ルマートさんの串焼きをもっと食べたいです」
これはただ食べたいという意味ではない。
男の束縛を離れることを決意した言葉だ。
この決断は素晴らしいと思う。
女性の本心を聞いた私は、男に視線を向けた。
「これが彼女の本心だ。もう貴様とは関わることはない」
「て、てめえに言われる筋合いはねえんだよ!」
男が私の左頬を狙って、右拳を振り上げた。
「クソジジイが! 勝手なことを吹き込むんじゃねーよ!」
避けることは簡単だが、私はあえてそれを受ける。
左頬を殴られ唇から血が流れた。
「きゃっ! やめてっ!」
女性が声を上げるが、私は右手で大丈夫という合図を送る。
「上辺だけの言葉、信念のない暴力。私には響かない。痛くも痒くもない」
私は男を睨みつけた。
もう一度私に殴りかかろうとした男が、金縛りにあったかのように動きを止めた。
そう、私は殺気を解放した。
「貴様は人に殴られる恐怖を知っているのか? 暴力で支配される痛みを知っているのか?」
「ま、待って……」
「死ね、殺すなんて簡単に使う言葉ではない。本当に殺す気なんてないだろう? できないだろう?」
「い、いや……」
「これが殺すということだ」
私は剣を抜く仕草を見せた。
そして男に対し、上段から剣を振り抜いた。
もちろん剣は持っていないが、男は真っ二つに斬られた錯覚に陥ったことだろう。
「う、うわああああ!」
男は悲鳴を上げて、走って逃げていった。
「あ、あの……。唇、大丈夫ですか?」
女性が心配そうな表情で、ハンカチを差し出してくれた。
優しい娘だ。
「私のせいでお怪我まで……。本当にすみませんでした」
「あなたのせいではありませんよ。裏路地で商売をやっていると、ああやって因縁をふっかけてくる輩がいるんです。困ったものです。ははは」
「で、でも私のせいで――」
「あの男は、この店が気に入らなかった。それだけですよ。お気になさらず」
私は女性の言葉を遮った。
もうこの女性とあの男は関係ない。
いや、そもそも関係なかったという態度を取った。
「またいつでも食べにいらしてください」
「よ、よろしいのですか?」
「もちろんです。いつでもお待ちしてますよ。はは」
「ありがとうございます」
吹っ切れた女性の表情はとても美しく、瞳は力強く輝いていた。
そして、女性は何度も私にお辞儀をして、表通りへ向かって歩き始めた。
太陽が照らす裏路地は、まるで彼女のこれからの人生を祝福しているようだ。
「もう大丈夫だろう」
彼女は自分の意思で歩いていけるはずだ。
「さて、私もスープをいただくかな」
屋台は人との出会いでもあることを知った。
名前も知らないお客さんだが、その人生に触れることもある。
様々な経験をしてきた私には、この裏路地の屋台は向いているのかもしれない。
「とは言っても、串焼きを焼くだけだがな」
自分で作ったスープを口にした。
「うん、旨い。屋台でスープもいいじゃないか。これを新メニューとして出してみよう。女性にも人気が出るといいな。ははは」
新メニューが決まった。
◇◇◇
「ぐえぇぇぇ。はあ、はあ、はあ」
ルマートから逃げた男は、裏路地の壁際で身体をかがめながら嘔吐していた。
これまで味わったことのない圧倒的な恐怖のせいだ。
よく見ると失禁もしていた。
「くそっ、何だってんだ。だがいい。代わりなんていくらでもいるしな」
男はよろよろと裏路地を進む。
濡れたズボンが恥ずかしく、表通りを歩けない。
「見んじゃねーよ!」
それでも視線を気にして、周囲に対して怒鳴り散らす。
よろめいたことで、男は通行人とぶつかった。
「いってーな! クソが! 殺すぞ!」
男は乱暴な言葉で悪態をつく。
「あ? 殺すだと?」
ぶつかった相手は、男と取引をしていた三人だった。
「なんだ、お前か。丁度いいところで会ったな。お前の売り、もう斡旋できねーんだ」
「な、なんでだよ! 金なら渡してただろ!」
「お前と取引すると、こっちが危ないんだわ」
「え?」
「コルサ一家が、違法な売りを潰しにかかってるんだよ」
「なんだって!」
「コルサ一家に逆らうと、この街で生きていけねえ。分かってんだろ?」
「ま、待てよ! 今まで散々美味しい思いしてきただろ! 金も女も渡しただろ!」
三人の男たちは、うんざりとした表情で溜め息をつく。
「てめえ、小物のくせに生意気なんだよ。さっきの殺すってなんだ? あ?」
「もう利用価値ねーし。クソ生意気だし捨てちまうか」
「だな。もういらねーわ。代わりなんていくらでもいるしな」
「ま、待て! 待って! 女を渡すから! 待って!」
男は裏路地の奥に連れていかれた。
***
後日、一人の男が川で浮かんでいるところを発見された。
顔が判別できないほど、殴打された形跡があったという。
◇◇◇




