受け止められない一撃
教師の許可を得て、二人は模擬戦用の円の中へ入る。周囲の生徒たちも興味津々で集まってきた。
「セイン先輩がまた戦うぞ」
「相手ロゼッタか」
「面白そうだな」
セインは鞭を片手に、いつも通りの笑顔だ。
一方ロゼッタはナイフを逆手に握り、視線だけを相手に向けている。
空気だけが、わずかに張りつめていた。
「始め!」
先に動いたのはロゼッタだった。
一気に間合いを詰める。
届かないなら近付く。それだけだ。
「うわっ、速っ!」
セインが驚いた声を上げる。
だが同時に、ほんの少しだけ立ち位置をずらす。
ロゼッタの踏み込みは、真正面を外れていた。
その違和感に気づいた“次の動き”を、鞭が打った。
パァンッ!
「っ……!!」
前に出た肩口に、鞭が鋭く食い込む。
軽い動きだったはずなのに、当たりだけが鋭い。
ロゼッタは一瞬だけ踏み込みを継続しかけた。
――まだ行ける。
そう判断しかけた直後。
(違う)
前に出る“その瞬間”が、潰されている。
ロゼッタは反射的に飛び退く。
その判断とほぼ同時に、空気が裂けた。
パァンッ!
さっきまで踏み込んでいた位置を、鞭が正確に叩き潰す。
セインが少し目を細める。
「へぇ、察しも良いんだ」
ロゼッタが呼吸を整え、再び踏み込む。
今度は“届く位置”ではなく、“届く瞬間”を狙う。
だが、鞭は真っ直ぐには飛ばなかった。
しなる、曲がる、戻る。
どの軌道にも、触れたくない圧がまとわりつく。
「……っ!」
再び、鞭がロゼッタの腕を打つ。
「っ、痛……!」
当たった瞬間、身体が一拍遅れる。
速さではない。
“動きの開始点”がズラされている。
(……ここに入れない)
踏み込むたびに、その一歩が成立しない。
その隙を逃さず、鞭が腕に絡んだ。
「っ!」
引かれる。
前のめりに崩れた姿勢のまま、動きだけが止められた。
「はい、終わりね」
トン。
鞭の柄先が、うつむいた頭頂に軽く触れる。
勝負あり。
ロゼッタは瞬きをする。
負けた。
理解はできるが、納得はできない。
「なんで」
率直に聞く。
セインは肩を竦めた。
「経験差かなあ」
柄をくるくる回しながらセインは笑う。
「でも普通にビビったよ」
「そう?」
「うん」
珍しく真面目な顔になる。
「あと数週間練習したら、たぶん俺負ける」
周囲がざわつく。セインは嘘を言っているようには見えなかった。
「だからその前にいっぱい勝っとこーっと」
「ずるい」
「戦いにずるいも何もありませーん」
再びいつもの調子で笑う。ロゼッタは少しだけ悔しくなった。
そして――もう1回戦いたいと思った。
――――……
夕暮れに染まる学院の廊下を、ロゼッタは一人歩く。
手には訓練用のナイフ。無意識にくるくると回していた。
負けた。それ自体は珍しいことではない。
だが、なんとなく悔しい。
武器の経験で負けた。
それが胸の奥に引っかかっていた。
「ロゼ」
聞き慣れた声がした。ギルベルトだった。
魔法学の授業が終わったのだろう。
いつも通りの無表情でこちらへ歩いてくると、ギルベルトはじっとロゼッタの顔を見た。
そして言う。
「機嫌が悪いな」
「そうか?」
「うん、悪い」
即答だった。
ロゼッタは少し考える。
確かに少しだけ悔しい。
「負けた」
素直に答えた。
沈黙。
ギルベルトがわずかに目を細める。
「……誰に」
声が少し低い。
「セイン」
「誰だ」
「アーヴィンの助手」
再び沈黙。
ギルベルトは真面目な顔で考え込んだ。
「……殺すか?」
「やめろ」
即答だった。
「なぜ」
「授業だからだ」
「授業なら仕方ないか」
納得した。
その時だった。
「物騒すぎない!?」
背後から聞き覚えのある声が響いた。
二人が振り返ると、そこにはセインが立っていた。なぜかパンを大量に抱えている。
「え、何? ロゼちゃんの彼氏?」
わたわたしながら駆け寄ってくる。
「聞いてたのか。あと、彼氏ってなに」
「たまたま聞いちゃったの!あと彼氏ってのは愛を育んでちゅっちゅって……じゃなくて!何!?殺そうかって!」
ギルベルトはじっとセインを見る。
そしてぽつりと言った。
「お前か。ロゼを負かした人間」
「え~なに超怖いんですけど~!いやいやいや、授業だからね!?」
「知っている」
「模擬戦だからね!?」
「知っている」
「なんでその顔なの!?」
ギルベルトは無表情だった。
セインは助けを求めるようにロゼッタを見る。
ロゼッタは少し考えてから答えた。
「大丈夫だ、今は殺さないらしい」
「今はって何!?」
セインの悲鳴が学院に響く。
しばらくして、セインは大きく息を吐いた。
「もういいや!」
半ば投げやりにそう言うと、ギルベルトへ向き直る。
「ロゼちゃんには自己紹介したけどさ」
にっと笑う。
「俺、セイン・レイフォード!4年生!」
胸を張る。
「アーヴィン先生の助手やってまーす!」
そして当然のように右手を差し出した。
「よろしくね!」
ギルベルトはしばらくその手を見つめた。
やがて無言で握り返す。
その瞬間だった。
「……」
ギルベルトの目がわずかに見開かれる。
膨大な魔力。人間から感じるものではない。
握手を通して伝わってくる魔力の気配は、並の人間など比較にもならないほど濃く、重かった。
しばらくして手を離す。
ギルベルトはセインを見た。セインは首を傾げる。
「ん?」
「……強いな」
ぽつりと呟く。
セインは一瞬きょとんとした後、照れくさそうに頭を掻いた。
「あー、君も分かる?」
「分かる」
即答だった。
「生まれつき魔力が多くてさー。よく驚かれるんだよね」
本人は軽く言う。
だがギルベルトには分かっていた。
これはただ多いだけではない。異常な量だ。
「なるほど」
ギルベルトは頷く。
そして、ロゼッタに視線を向ける。
「理解した。なら仕方ない」
「何が?」
セインが首を傾げる。
「ロゼが負けたことだ」
一瞬、空気が止まった。
「え?」
「え?」
ロゼッタとセインの声が重なる。
ギルベルトは平然と続けた。
「強い相手なら負ける」
当然のような口調だった。
ロゼッタは少し考える。
ドラゴンの世界は力こそすべて。現時点ではセインのほうが自分より圧倒的に実力が上だ。
そして納得したように頷いた。
「そうか」
「そうかじゃないんだよ!」
セインが思わず叫ぶ。
「なんか急に認められてない!?」
「認めた」
「早くない!?」
ギルベルトの表情は変わらない。だが先ほどまでの警戒心は消えていた。
セインは困惑した顔でロゼッタを見る。
「ギルは強いやつが好きなだけだ」
「あっ」
セインは納得した。
「なるほどね!」
そう言って指を二本立てる。
「じゃあ仲良くできそうだ!ええと、名前まだ聞いてなかった」
「ギルベルト。ギルベルト・エヴァンス」
「ギルくんね!って、エヴァンス?あ、兄妹だったんだ」
「そういうことになっている」
セインは一瞬だけ首を傾げて、それ以上は深く踏み込まなかった。
「まあいいや!」
すぐに切り替える。満面の笑みだった。
――翌週。
合同授業の日。ロゼッタは闘技場へ入るなり周囲を見回した。
見慣れた顔を探す。しかし、鞭を持ったうるさい上級生の姿は見当たらない。
もう一度見回す。やはりいない。
「……」
別に会いたかったわけではない。
リベンジがしたかっただけだ。
そんなことを考えながら武器棚へ向かい、迷わず小型ナイフを手に取った。
またしばらく個人的な練習のあと、模擬戦の時間になる。
しかし、誰もロゼッタに近寄ってこなかった。
上級生たちは視線を逸らし、同級生たちは別の相手を探している。
ロゼッタは首を傾げた。
暇だった。
仕方なく壁際へ移動し、訓練用のナイフをくるくる回す。
やることがない。
その時だった。
「珍しいな」
聞き慣れた声が降ってくる。
顔を上げると、声の主はアーヴィンだった。
今日は空界現象学の時の白衣ではなく、動きやすそうな格好をしている。
腰には木剣が一本。
たしか剣術学の教師も兼用していたんだったか。
「セインがいない」
ロゼッタは率直に言った。
「ああ、あいつか」
アーヴィンは納得したように頷いた。
「東の国境だ」
「国境?」
「俺の助手としての任務だ。調査に行ってもらってる」
「……そうか」
ロゼッタはそう言って俯く。
「あいつと模擬戦したのか?」
「うん、負けた」
正直に答える。
アーヴィンは一瞬だけ目を丸くした。
そして小さく笑う。
「なるほど」
納得したようだった。
ロゼッタはナイフを握る。
「暇だ。みんな私と戦うのは嫌みたい。……そうだ!アーヴィン、戦う?」
「慣れると厄介だな。じゃじゃ馬か」
アーヴィンは少し考えた後、
「いいぞ」
と答えた。
ロゼッタの目が少しだけ輝く。
――闘技場の中央。
向かい合う二人を見て周囲がざわつき始める。
「アーヴィン先生だ」
「先生が模擬戦?」
「相手はロゼッタだ。あの子、先生に模擬戦挑むなんて根性あるな」
生徒たちの視線が集まる。
アーヴィンは木剣を肩へ担いだ。ロゼッタは小型ナイフを構える。
「アーヴィン先生、よろしいのですか?」
「問題ない。合図を」
教師は頷き、開始の合図を出した。
「始め!」
先に動いたのはロゼッタだった。
地面を蹴る。一気に距離を詰める。
セインとの戦いを思い出しながら、迷わず懐へ飛び込み、
ナイフを振るう。だが――
カン。
軽い音が鳴った。
木剣がナイフを弾いている。
アーヴィンはほとんど動いていない。
半歩。いや、それ以下だった。
最小限の動きだけで受け流している。
ロゼッタはすぐに体勢を立て直した。
二撃目。
三撃目。
四撃目。
――全て弾かれる。
届かない。
ロゼッタはさらに速度を上げ、踏みこみ、振るう。回り込む。
それでも、当たらない。
アーヴィンは静かだった。
焦る様子もない。呼吸1つ乱れない。
まるでロゼッタの動きが全て見えているかのようだった。
「……!」
今度こそ――!
そう思って踏み込んだ。
その瞬間。
アーヴィンの木剣が、踏み込んだ足首を軽く叩く。
それだけだった。
だが重心がわずかに流れる。
「あっ」
体勢が崩れた。
気付いたときには、喉元に木剣が突きつけられていた。
勝負あり。
ロゼッタは何が起きたのか分からなかった。
「終わりだ」
アーヴィンが木剣を下ろす。ロゼッタは立ち上がりながら首を傾げた。
「なぜだ」
アーヴィンはナイフを指差した。
「お前は武器を使っていない」
「?」
「正確には、武器を持ったまま殴ろうとしてる」
ロゼッタは納得していない顔をする。
アーヴィンは続けた。
「お前の戦い方は素手のままだ」
「そう?」
「そうだ。身体能力で押し切っているだけだ」
アーヴィンは木剣を肩へ担ぐ。
「セインにも教えられただろう」
ロゼッタは少し考えた。
確かにそうだった。
鞭という武器に翻弄され、気付けば負けていた。
「……された」
「なら学べ」
アーヴィンは淡々と言う。
「武器には武器の戦い方がある」
アーヴィンは淡々と言う。
ロゼッタはナイフを見下ろした。
小さい、軽い、邪魔にならない。
それだけで選んだ武器だった。
だがどうやら、それだけでは駄目らしい。
「難しい」
まだ分からないことがたくさんある。そう思うと少しだけ面白かった。
アーヴィンはそんなロゼッタを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「次の合同授業までには、俺に一撃くらい当てられるようになれ」
そして付け加える。
「今のお前じゃ、セインの土俵にすら立てない」
「分かった」
ロゼッタは真剣に頷いた。
その目は、先ほどまでより少しだけ楽しそうだった。




