それは普通じゃないらしい
教員は慣れた手つきでナイフを軽く回しながら続ける。
「ナイフの利点、まずは軽い」
「それは分かる」
「携帯しやすい」
「なるほど」
「狭い場所でも扱える」
教員はその場で素早く一歩踏み込んだ。大剣や槍では難しい距離だ。
「建物の中、森の中、人混み。そういった場所では長い武器ほど不利になる」
ロゼッタは頷く。
確かに槍を振り回そうとした時、邪魔だと思った。
「それに抜くのも速い」
シュッ、と音を立ててナイフが現れる。あっという間だった。
「先に攻撃を当てることに関しては優秀な武器だ」
ロゼッタは手元のナイフを見下ろした。
「じゃあ、欠点は?」
教員は少し笑った。
「当然ある」
そして闘技場の反対側を指差した。そこには槍を持った生徒がいた。
「まず届かない」
「……ああ」
すぐに理解した。
ナイフは短い。とにかく短い。
「相手が槍なら近付く前に突かれる」
次に大剣を構えている上級生を指す。
「相手が大剣なら間合いに入るだけで危険だ。しかしナイフは相手に近付かなければ始まらない」
教員はそこで少し真面目な顔になった。
「それが最大の欠点だ」
「近付くことか?」
「そうだ」
ナイフ使いは敵の目の前まで行かなければならない。
相手の攻撃も、殺意も、呼吸も。
全て届く距離へ。
「だから臆病者には向かない」
教員はそう言ってナイフを鞘に収めた。
「だが逆に言えば――」
ロゼッタを見る。
「相手の懐へ飛び込むことを恐れない者にとっては、非常に強力な武器だ」
ロゼッタはしばらく考えた。そして率直な感想を口にする。
「近付けばいいだけでしょ?」
教員は一瞬沈黙した。
「……普通はその『近付く』が難しいんだ」
少し離れた場所から聞いていたセインがまた吹き出す。
ロゼッタには何がおかしいのか分からなかった。
届かないなら近付けばいい。それだけの話だと思ったからだ。
教員だけが、どこか頭痛を堪えるような顔をしていた。
「では実践だ」
下級生たちは、しばらく上級生や教員たちから武器の扱いを学んだ。
その後、教員の号令と共に二人一組に分けられ、模擬戦の準備を始める。
安全のため、全ての武器には魔法が施されていた。
刃は潰され、斬れない。当たれば痛いが怪我はしない。
体術学の授業で使われる訓練用武器だ。
「ロゼッタ」
名前を呼ばれ顔を上げる。相手は上級生だった。
背も高く、体格もいい。手には長槍を持っている。先ほど教員が例に挙げていた武器だ。
「よろしく」
「うん」
軽く挨拶を交わす。上級生はロゼッタの手にある小型ナイフを見て少し驚いたようだった。
「ナイフなんだ」
「軽いからな」
「そういう理由で選ぶ武器じゃないと思うけど……」
困ったように笑う。二人は所定の位置へ移動した。
距離を取る。槍使いにとって有利な間合い。ナイフ使いにとっては最悪の距離だ。
「始め!」
教員の声。同時に――
ブンッ!
槍が一直線に突き出された。
速い。
だがロゼッタは、それを“見てから”動いた。
軽く身体を捻る。穂先が鼻先を掠める。
「っ!?」
上級生の目が見開かれた。
避けられた。
普通なら一度距離を取る場面。
だがロゼッタは、止まらなかった。
むしろ――前に出た。
「なっ!?」
相手が槍を引こうとする。
その動きが“遅く見えた”。
だからロゼッタはそこを掴んだ。
深く考えていない。
ただ、手がそこにあった。
「うわっ!?」
槍が引けない。
バランスが崩れる。
そのまま上級生の体が前につんのめった。
そして――
トン。
ナイフの先端が胸に触れる。
勝負あり。
「……」
「……」
静寂。
一番驚いているのは教員だった。
ロゼッタは首を傾げる。
「終わりか?」
「いや、終わりだが……」
教員は額を押さえる。
「?」
「お前……今の、分かってやったのか?」
「なにが?近づかないとこれ使えないんでしょ」
「……その理解の仕方が一番タチが悪い」
闘技場のあちこちから歓声が上がった。
少し離れた場所では、
「はははははっ!!」
セインが腹を抱えて笑っていた。涙まで浮かべている。
「ロゼちゃん最高!」
「何がだ?」
「ナイフ使いの教本に載せちゃいけない戦い方してる!」
意味が分からない。
ロゼッタは首を傾げる。
届かないなら近付く。近付けないなら捕まえる。
それだけの話ではないのか。
そんな彼女を見て、教員は深いため息をついた。
「いいか。普通の人間は突きを当たらない位置に流して、その戻り際にカウンターを入れるんだ。お前は相手の攻撃範囲の中に自分から入って勝ち筋を作るパワープレイだ」
「そうなのか」
「そうだよ。はぁ……、よし次!」
教員は気持ちを切替えるように手を叩きながら、次の模擬戦の生徒の名を呼んだ。
ロゼッタの模擬戦が終わった後も、闘技場では他生徒同士の模擬戦が続いていた。
剣と剣がぶつかり合う、槍が風を切る、盾を打ち据える鈍い衝撃音。
生徒たちはそれぞれ選んだ武器を手に、教員や経験者から教わった基礎を実践している。
上級生の中には見事な動きを見せる者もいた。
長槍を自在に操る者。大剣を軽々と振り回す者。双剣で相手を翻弄する者。
ロゼッタは壁際で腕を組みながら、その様子を眺めていた。
「ふむ……」
人間は不思議だ。
ドラゴンなら牙も爪も翼も、最初から戦うための形をしている。
だが人間はそれを持たない代わりに、武器を作って戦う。そして同じ種族なのに、戦い方までばらばらだ。
そんなことを考えていると、少し離れた場所から聞き覚えのある声がした。
「よいしょっと。対戦おねしゃーす!」
視線を向ける。
セインだった。相変わらず緊張感がない。
周囲からもひそひそと声が聞こえてきた。
「あの人また帰ってきてたんだ」
「またどっか行ってたんじゃないの?」
「ていうか今期も単位大丈夫なの?」
「授業出てるの初めて見たかも」
「ていうかあの人本当に強いの?」
「強いっていうか、うるさいだけじゃない?」
好き放題言われている。
本人は全く気にした様子もなく、鞭の柄をくるくる回して遊んでいた。
途中で自分の顔に当てる。
「痛っ!」
「何やってんだよ……」
近くの上級生が呆れた声を漏らした。
ロゼッタは思った。やはり変な人間である。
そんな中、教員が次の組み合わせを告げた。
「次。アドルフ・ハルトマン」
「はい」
対戦相手は体格の良い生徒だった。肩幅も広く、鍛え上げられた身体をしている。
手には盾と片手剣。
周囲から小さなざわめきが起きる。
「終わったな」
「体格差やばくないか」
「セイン先輩細すぎるだろ」
「吹っ飛ばされそう」
本人だけがへらへらしていた。
「よろしくお願いします」
対戦相手は真面目そうな男だった。
セインをかなり警戒しているようにも見える。
だがそれ以上に、
『変な奴の相手を押し付けられた』
そんな顔をしていた。
二人は開始位置につく。
教師が手を上げた。
「始め!」
その瞬間、盾を構えたアドルフが一気に踏み込んだ。
速い。
正面から押し潰すような圧力。片手剣が盾の陰から突き出される。
守りながら攻める、理屈の上では完成された戦い方だった。
観戦していた生徒たちも思わず息を呑む。
正面からは崩れない。誰もがそう判断した。
――だが。
「え?」
誰かが声を漏らした。
セインの姿が、正面から抜け落ちていた。
消えた、というよりも、視線が追いつくより先に、そこに“留まっていない”。
圧に真正面でぶつかることを避け、わずかに外へ滑る。
それだけで、アドルフの盾の軌道がほんのわずかに歪む。
しかし彼ははすぐに反応する。盾を回し、死角を潰すように構え直した。
防御はまだ崩れていない。むしろ安定している。
その瞬間。
パァンッ!!
乾いた破裂音。
鞭が盾の縁を叩く。
さらにもう一度。
パァンッ!
同じ一撃なのに、今度は盾の軌道そのものがわずかに狂った。
アドルフの眉が動く。
(――重い)
見た目が先に浮かんでいた。
細身で、無駄な力みもない。踏み込みも軽い。
それなのに。
盾越しに伝わる衝撃だけが、明らかに釣り合っていない。
受けた瞬間、腕が沈む。
守りとして“想定していた位置”から、少しずつ外へ押し出されていく。
(……どこから、こんな圧が出ている)
鞭が振られるたび、構えが微妙に噛み合わなくなる。
崩されているというより、最初から“噛み合う位置”をずらされている感覚だった。
アドルフは盾を握り直す。
次が来るのは分かっている。
(――押し込んでくる気か)
そう思った瞬間。
セインは一歩、踏み込んだ。
その一歩で、アドルフの「受けるための距離」が消えた。
崩れたのは技ではない。
盾が“受け止めるために必要としていた角度”だった。
防御はまだ成立している。
だが、成立したまま意味を失っている。
「なっ――」
片手剣が動くより先に、間合いが潰れる。
セインの鞭の柄先が、アドルフの首元に軽く触れた。
それだけで、勝負は決まった。
数秒、誰も声を出さなかった。
セインは何事もなかったかのように鞭を肩へ担ぐ。
「ありがとうございましたー」
へらりと笑う。いつものセインだ。
だが周囲はそうではなかった。
「……今、何が起きた?」
「盾、崩れてないよな?形はそのままなのに……」
「なんで、後ろに押されてるみたいに見えたんだ?」
ざわめきが広がる。
先ほどまで好き勝手言っていた生徒たちも、今は呆然としていた。対戦したアドルフも信じられないものを見るような顔をしている。
セインは首を傾げた。
「そんな驚くことした?」
「するだろ」
思わず教師が突っ込む。
「特殊な応用を持ってくるな」
「えへへ」
「褒めてない」
即答だった。
ロゼッタはしばらくセインを見つめた。
うるさい人間。鞭を振り回して遊んでいる人間。
そう思っていた。だが、
「お前、思ったより強かったんだな」
率直な感想だった。
セインは目を丸くする。
「え」
一拍置いて、ようやく意味が入る。
そして。
「思ったよりって何!?」
闘技場に大声が響く。
そして、すぐに肩の力を抜くように笑った。
「いやぁ、いろんなところ旅してるとさぁ、いろんな人や魔獣に絡まれるからねえ。だから戦う術はそこで身につけたんだよね」
へらりと笑う。
まるで大したことではないように。だが周囲の生徒たちは納得していなかった。
「……旅って、あんな戦い方するようになるもんなのか?」
ひそひそと声が飛ぶ。セインは聞こえていないふりをした。
あるいは本当に聞いていないのかもしれない。
「今度ロゼちゃんも旅行こうよ!」
「嫌だ」
「即答!?俺フラれたー!」
再び大声が響く。
――――……
合同授業の終了時間も近づいていた。闘技場には疲労の色が見え始めている。
何度も武器を振るい、何度も模擬戦を繰り返したのだ。息を切らして座り込む者も少なくない。
休憩を取ってもいい時間だった。
それでも向上心があるのだろう。多くの生徒は武器を握り続けている。
そんな中、端の壁際に座り込み、のんびり茶を飲んでいる男がいた。
セインである。
「ふぃー」
やる気の欠片もない。
つい先ほど模擬戦で鮮やかな勝利を収めた人物とは思えなかった。
一方、ロゼッタは違った。
小型ナイフを握りしめたまま周囲を見渡している。
誰か、戦ってくれそうな相手はいないだろうか。
しかし目が合うと皆そっと視線を逸らした。なぜか距離を取られる。
心当たりはない。
首を傾げる。そして気付いた。
非常に暇だ――……。
視線の先。大欠伸をしているセインが見えた。ロゼッタは迷わず近付く。
「私と戦え」
「おお!?」
セインが茶を吹きそうになる。
「なんですかなんですか!やる気満々じゃん!」
立ち上がりながら大きく伸びをする。そして近くに置いていた鞭を拾い上げた。
「女の子だからって手加減しないよー?」
にやりと笑う。
「ロゼちゃん強いし」
「当たり前だ」
ロゼッタは頷く。そして真顔のまま続けた。
「人間には負けない」
一瞬の沈黙。
セインが吹き出した。
「なにその言い方!」
腹を抱える。
「おもしろっ!」
意味が分からない。
ロゼッタは首を傾げた。やはり変な人間だった。




