銀暁祭
銀暁祭――それは国を挙げて祝われる、年に一度の夏の大祭だ。
隣国との千年に及ぶ戦争が終結した夜、空は銀色の光に包まれ、夜明けとともに戦火は消え去った。
その奇跡のような一夜にちなみ、この祭りは「銀暁祭」と名付けられている。
祭りの期間は二週間。学院も原則として休講となるため、多くの生徒が故郷へ帰省する。
例にもれず、ロゼッタとギルベルトも久々に育った村へ戻ることにした。
見慣れた家の扉を開けた瞬間――。
「おかえりなさい!」
待ち構えていたエマが勢いよく飛びつき、二人をまとめて抱きしめる。
たった数ヶ月離れていただけだ。それなのに、まるで何年も会っていなかったかのような歓迎ぶりだった。
少し大袈裟だと思う。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
隣ではギルベルトが苦しそうな顔をしている。
「……エマ、首が絞まってる」
「あっ、ごめんなさい!」
慌てて腕を離したエマに、ギルベルトは深々と息を吐いた。
奥から大きな肉を抱えたルークが顔を出す。朝採れの新鮮な鹿肉だ。ロゼッタの目の色が変わる。
「肉!肉!」
「二人ともおかえり。とりあえず腹減ってるだろ、先に飯にしよう」
ご機嫌に鼻歌を歌いながら席に座るロゼッタ。学院のパンも好きだが、やはり肉が1番美味い。
調理された鹿肉が目の前に置かれ、全員が席に着く。
「いただきます」
久しぶりに四人の声が重なった。
ロゼッタは早速肉にかぶりつく。
柔らかい。学院で食べる肉も悪くはないが、どこか違う。
味付けだろうか。焼き加減だろうか。それとも――。
「おいしい?」
エマが嬉しそうに尋ねる。
「うんっ」
短く答えると、エマは満足そうに笑った。
向かいを見ると、ギルベルトも黙々と食べていた。
普段と変わらない無表情。けれど皿の上の肉は既になくなりかけている。
「学院ではちゃんと食べてる?」
「食べてる」
「本当?」
「本当だ」
そんな他愛のない会話が続く。
気付けばロゼッタは肩の力を抜いていた。上手く言葉にはできない優しい感覚。
ふと隣を見る。
ギルベルトも珍しく会話に口を挟まず、ただ静かに食事を続けていた。その横顔はどこか穏やかだった。
「そういえば二人とも、街の銀暁祭は連れて行ったことあるっけ?」
ルークが肉を切り分けながら尋ねる。ロゼッタは首を横に振った。
「村のしか知らない」
「そうか、村のしか連れて行ってないか」
「街の祭りって何か違うの?」
エマが笑う。
「全然違うわよ。銀灯の数も多いし、夜には大通り全部が銀色になるんだから」
「そんなに?」
「それはもう綺麗よ」
ルークも頷く。
「せっかくだから、今年は街の方に行ってみたらどうだ?」
「気になる!」
ロゼッタは興味津々。
村の祭りは知っている。
広場に銀灯が並び、屋台が立ち並び、夜になると人々が歌い踊る。
だが街の祭りはそれ以上らしい。
「屋台っていっぱいある?」
ロゼッタが尋ねる。ルークが吹き出した。
「そっちか」
「あるわよ」
エマが答える。
「村とは比べものにならないくらい」
「行く!」
即答だった。
その横でギルベルトが肉を飲み込む。
「ロゼが行くなら行く」
「お前なぁ」
再び笑いが起きた。
気付けば食卓は賑やかになっていた。
学院での話。村での出来事。祭りの話。
どうでもいい会話ばかりだったが、不思議と心地良い。
ロゼッタはふと気付く。
学院は楽しい。よく話かけて来る人間もいる。
けれど、この場所は少し違う。何もしなくても受け入れられる場所。
帰ってくることを当たり前に待っていてくれる人たちがいる場所。
ロゼッタは誰にも気付かれないように小さく息を吐く。
心から悪くないと思った。
⸻……
翌日。
街へ続く道は祭りへ向かう人々で賑わっていた。門をくぐった瞬間、ロゼッタは思わず足を止める。
「……わぁ」
通りの両側には無数の銀灯。昼間だというのに銀細工が光を反射し、街全体がきらきらと輝いて見える。
学院へ入学したあの日の道とは全然見える景色が違う。
「すごい……!」
ロゼッタの足取りが自然と速くなる。
「迷子になるなよ」
「ならない」
「絶対なる」
「ならない!」
数秒後には人混みに向かって走り出していた。
ギルベルトはため息を吐きながら後を追う。
しばらく屋台を見て回り、串焼きや菓子を買い込んだ頃だった。
ふとロゼッタの足が止まる。
「……」
「どうした」
「……」
「ロゼ?」
視線の先。そこには小さなゲーム屋台があった。
輪投げだ。
しかしロゼッタが見ているのは遊び方ではない。景品棚だった。
銀色に輝く結晶。星屑を閉じ込めたような小瓶。光を受けて七色に煌めく髪飾り。
どれも祭りの灯りを受けて宝石のように輝いている。
それに気づいたギルベルトも無言で景品棚を見つめた。
そしてお互い視線を合わせて頷く。
「綺麗だな」
「綺麗」
意見が一致した。
店主がにやりと笑う。
「お、見る目あるねぇ。欲しいか?」
ロゼッタは真剣な顔で頷いた。
「欲しい」
その隣でギルベルトも頷く。
完全にドラゴンだった。
「1回、銅貨三枚ね!まいど!」
輪投げ自体は単純な遊びだったが、二人は思いのほか苦戦した。
力加減を間違えて景品棚の向こうまで輪を飛ばしたり、逆に手前へ落としたりと散々で、店主から「そんなに下手なやつ初めて見たぞ」と呆れられる始末だった。
それでも諦めずに挑戦を続けた結果、ようやく輪が棒へ収まる。
「入った!」
ロゼッタは勢いよく身を乗り出した。
「おめでとう嬢ちゃん。好きなの1つ持っていきな」
景品棚を見回したロゼッタは迷うことなく一番奥を指差す。
「あれ!」
選んだのは銀色の結晶だった。手のひらよりは少し小さく、中には淡い光が揺らめいている。
まるで夜空の一部を切り取って閉じ込めたような不思議な輝きだった。
「そいつか。倉庫整理してた時に出てきたガラクタなんだが、気に入ったなら持っていきな」
店主から受け取った結晶をロゼッタは大事そうに抱える。
「綺麗」
「綺麗だな」
二人は満足そうに眺めていた。
だから気付かなかった。
少し離れた人混みの向こうで、その結晶を見た男の顔色が変わったことに。
――――……
ロゼッタの気の向くままに屋台を巡り、甘い菓子を買い、串焼きを食べ……気付けば日も傾いていた。
銀暁祭の本番は夜からだ。街中に灯された銀灯が少しずつ輝き始めている。
「ロゼ。花火、どこでみる?」
「どうせなら高いとこで見たい。あ、あの時計台とかどう?」
「行くか」
広場から少し離れた高台にある古い時計台。そこへ向かうため大通りを外れた路地へ入った時だった。
「止まれ、ガキども」
声がした。
前方、男が二人。振り返と後ろにも三人。
逃げ道を塞ぐように立っている。
「何だ」
ギルベルトは低い声で威圧する。だが、男たちは怯まない。
「その結晶を渡してもらおう」
「怪我したくなければ大人しく渡せ」
ロゼは即答だった。
「嫌だ」
男の一人が腰からナイフを引き抜いた。刃が銀灯の光を反射する。別の男も武器を抜く。
それを見ても、ロゼッタは一歩も引かなかった。
いつもより少しだけ瞳を細める。
——獲物を狙う竜のように。
「ギル」
「ああ」
ギルベルトも一歩前へ出る。
男たちは気付かない。自分たちが囲んでいる相手が何なのかを。
ロゼッタは結晶を鞄へしまい、静かに拳を握った。
そして、ほんの少しだけ口角を上げる。
「ドラゴンの宝を狙う人間がどうなるか――」
足元の石畳が砕ける。
一歩、踏み込んだだけだった。
「教えてやろう」
次の瞬間、ロゼッタの姿が消えた。
男が反応するより早く懐へ潜り込み、その腹へ拳を叩き込む。
鈍い衝撃音。
男の身体が浮き上がり、そのまま路地の壁へ激突した。
「がっ――!?」
残る二人が慌てて飛び退く。
「なっ……!?」
「化け物か!」
一人がナイフを振り下ろす。
ロゼッタは半歩身をずらした。
刃が空を切る。
その腕を掴み、軽く捻る。
骨が軋む音と共に男の手からナイフが落ちた。
悲鳴が上がる。
その直後、横から別の男がギルベルトへ飛びかかった。
ギルベルトは避けない。ナイフを持つ手首を掴む。
男の顔が引きつった。
まるで鉄に挟まれたように動かない。
「離せ!」
「嫌だ」
ギルベルトは無表情のまま答える。
そして、そのまま男ごと持ち上げた。
「は?」
男の間抜けな声が漏れる。
次の瞬間、地面へ叩きつけられた。石畳が大きく揺れる。
「ぐぇっ!」
残った男たちは顔を青くした。
ようやく理解したのだ。
自分たちが襲ったのは、ただのガキではない。
もっと別の何かだと。
――静寂が訪れる。
立っているのはロゼッタとギルベルトだけだった。
ロゼッタは服についた埃を払う。ギルベルトも特に疲れた様子はない。
対して男たちは路地のあちこちで呻いていた。
「うぅ……」
「い、痛ぇ……」
「肋骨が……」
ロゼッタは即答した。
「加減はした」
ギルベルトも頷く。
実際その通りだった。
二人にしてみれば、本当に加減していたのだ。
この男たちを放置して、時計台へ向かおうと歩き出したその時、遠くから慌ただしい足音が近づいてくる。
「いたぞ!」
「こっちだ!」
金属鎧の擦れる音。路地の入口に数名の警備兵が現れた。
先頭の若い隊員が目の前の光景を見て足を止める。
倒れた男たち。ひび割れた石畳。そして無傷の少年少女。
「乱闘騒ぎの通報が……何があった?」
思わず漏れた声は、警備隊員というより一人の人間としての疑問だった。
ロゼッタは答える。
「襲われた。倒したけど」
「君たちが?」
「うん」
隊員は周囲を見回した。
呻く賊。転がるナイフ。
もう一度ロゼッタたちを見る。
「……君たちが?」
「うん」
「……」
理解が追いつかなかった。
「と、とりあえず事情を聞かせてもらう」
若い警備隊員が言った。
拘束された男たちは既に仲間の隊員へ引き渡されている。
「警備詰所まで同行してくれ」
「今から?」
ロゼッタが首を傾げる。
「今からだ」
隊員は真面目な顔で頷いた。
ロゼッタは不満そうに空を見上げる。
街の至る所で銀灯が輝き始めている。人々の流れも中央広場へ向かっていた。祭りはいよいよこれからだ。
そして、今夜の目玉がある。花火だ。
エマが言っていた、街の銀暁祭の花火は綺麗だと。
「もうすぐ花火なんだけど」
「すまないが、これは決まりなんだ」
「見たい」
「そうか」
「見たい」
「そうか」
話が進まない。隣でギルベルトも腕を組む。
「俺たちは被害者」
「その通りだ」
「なら明日でいいだろ」
「駄目だ」
ギルベルトも納得していない顔だった。
隊員は頭を抱えそうになる。
規則は規則だ。
だが目の前にいるのはどう見ても祭りを楽しみにしていた子供である。しかも被害者。少し罪悪感があった。
とはいえ見逃すわけにもいかない。
その時だった。
「なら俺が預かろう」
聞き覚えのある声がした。全員が振り返る。
路地の入口。銀灯の光を背に、一人の男が立っていた。
銀髪に目の傷、見慣れた無表情。アーヴィンだった。
「あ、あなたは……!」
中堅の隊員が目を見開き、慌てて背筋を伸ばす。
「お久しぶりです、アーヴィン隊長!」
勢いよく敬礼する姿を見て、若い隊員もよく分からないまま同じように敬礼した。
アーヴィンは小さく眉をひそめる。
「その呼び方はやめてくれ。俺はもう一般人だ」
「し、失礼しました!」
恐縮する隊員を横目に、アーヴィンはロゼッタたちの方へ歩み寄った。
「何があった。うちの学生が問題を起こすのは勘弁してほしいが」
「襲われた」
ロゼッタは即答した。
「私の宝を奪おうとしてきた」
「殺してない」
ギルベルトが付け加える。
「宝?」
ロゼッタは鞄を開き、銀色の結晶を取り出した。アーヴィンになら見せても問題ないと思ったのだ。
掌の上で揺れる淡い光を見て、アーヴィンは顎に手を当てる。
「ほう」
結晶を受け取り、軽く角度を変えながら眺める。
そして何でもないことのように言った。
「竜の鱗だな」
「鱗?」
ロゼッタが目を丸くする。
「こんなになるの?」
「長い年月を経ればな。結晶化しているが間違いない」
結晶を返されたギルベルトも覗き込む。
「そんなに珍しいものなのか?」
その一言で、警備隊員たちが揃って固まった。
「め、珍しいどころの話では……」
「本物の竜の鱗なんて博物館級ですよ!?」
若い隊員が思わず声を上げる。
ロゼッタとギルベルトは顔を見合わせた。
そんなに価値のあるものなのだろうか。
二人にとって鱗とは、自分たちの身体を覆うものに過ぎない。人間で言えば爪や髪のような感覚だ。
アーヴィンは小さく息を吐く。
「これをどこで手に入れた」
「ゲームの景品」
「景品?」
「輪投げ!びゅんびゅんって飛ばすやつ」
アーヴィンは沈黙した。警備隊も沈黙した。
しばらくして、アーヴィンは深々とため息を吐く。
「……これだから価値の分からない連中は」
額を押さえながら空を見上げる。
「竜の鱗を景品にするな」




