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ロゼッタの休日

 空界現象学棟、アーヴィン執務室。


 転移が終わると同時に、研究員がその場に崩れるように座り込んだ。

 ギルベルトは無言のまま壁に背を預け、浅く息を吐く。

 ロゼッタも警棒の残骸を握ったまま、床に腰を下ろした。


 今回の調査は、流石に濃すぎた。


 誰もすぐには口を開かない。


 セインだけが、いつも通り軽く息を吐いている。

 

「コーヒー淹れましょうか?」


「悪いな、セイン。頼む……」


「ほーい。みなさん、応接室で待ってますねー」


 コーヒーを作りに給湯室へ向かったセイン。

 

 その異常なまでの余裕は、単なる体力ではない。

 彼の中に蓄えられた魔力総量そのものが桁違いで、消耗と回復の釣り合いが常人と根本的に違っているためだ。


 アーヴィンは持ち帰ったデータを整理し始める。そして静かに目を通しながら、短く息を吐く。


「今日はここまででいい。みな、ご苦労だった。おかげで貴重なデータを手に入れられた、感謝する」


 その言葉に、執務室の空気がわずかに緩む。


 アーヴィンは顔を上げないまま続けた。


「解散だ。あとは各自好きに帰れ」


 それだけ言うと、再び視線は手元へ戻った。


 研究員たちは重い腰を上げ、ぞろぞろと廊下へ向かう。


「お前たちももういいぞ」


「うん。わかった」


 ギルベルトとロゼッタは執務室の扉の前で足を止める。


 少しの沈黙。


「アーヴィン」


 ロゼッタの呼びかけに、アーヴィンは顔を上げる。


「よかったね」


 簡単な一言だった。


 しかしアーヴィンの瞳孔が、かすかに開く。


 呼吸は変わらない。表情も崩れない。

 それでも、ほんの一瞬だけ“揺れ”があった。

 

 すぐにそれはいつもの静けさに戻る。


「……そうだな」


 低い声が落ちる。


 それだけだった。


 けれど、その一言は妙に軽くはなかった。


 ――――……


 女子寮に帰ってきたロゼッタ。

 砂と泥にまみれた制服は元の色が分からないほど汚れている。


 廊下ですれ違った女子生徒たちは、その姿を見るなり慌てて道を空けた。


「うわっ」


「なに、きたな……!」


 近付けば制服まで汚れそうだ。


 誰も悪気はない。ただ本能的に距離を取っているだけだった。


 ロゼッタ自身もそれは理解している。


 むしろありがたい。

 今は一刻も早くこの汚れを落としたかった。


 靴底からぱらぱらと砂をこぼしながら、浴場へ向かう。

 そして浴場の脱衣所へ入った瞬間。


「ろ、ロゼッタ!?」


 聞き慣れた声が響いた。


 振り向く。


 そこにいたのはミレーユだった。


 どうやら風呂に入ろうとしていたらしい。下着を脱いでいる途中だった。


 汚れたロゼッタの姿を見た途端、目を丸くする。


「なにしてきたの!?」


 ミレーユはロゼッタの周りをぐるりと見回す。


「なんでそんな砂だらけなの!?」


「色々あった」


「絶対色々じゃ済まないやつでしょ!?」


 ロゼッタは首を傾げる。


 説明するのも面倒だった。


 というか今は風呂が先である。


「風呂入る」


「あ、うん。それは入った方がいいと思う」


 ミレーユも真顔で頷いた。


 ロゼッタが歩くたび、床に砂が落ちている。


「怪我、はしてないよね?」


 ロゼッタは自分の体を見る。


 砂だらけだが怪我はない。


「してない」


「ならよかった」


 ミレーユはふっと笑った。


 その笑顔を見て、ロゼッタは少しだけ瞬きをする。


 そして短く答えた。


「うん」


 それから二人は一緒に浴場へ向かった。


 ミレーユは頼んでもないのにロゼッタの髪を洗い出す。なんでも、いつも見ていて洗い方が雑だと。


 指先が髪を梳き、泡立てた髪を丁寧に洗っていく。


 力加減も絶妙だった。強すぎず弱すぎず。

 頭皮を揉みほぐすような心地よい感触に、ロゼッタの肩から力が抜けていく。


「ミレーユ、それ気持ちいい」


「でしょう?妹たちからも定評があるの」


 どこか得意げな声だった。


 体の砂も洗い落とし、二人は露天風呂へ浸かる。


 ふぅ、と熱い湯気が夜空へ溶けていく。


「最高……」


 ロゼッタは湯船の縁に顎を乗せながら呟いた。


 ミレーユが苦笑する。


「で、どこに何しに行ってたの?」


「砂漠、アーヴィンの現地調査についてった」


「あ、アーヴィン先生の現地調査!?しかも砂漠!?ここらへんに砂漠なんてないわよ!」


「セインの転移魔法」


「セインって、セイン・レイフォード!?あの変人で有名な!?」


 ミレーユの反応を無視して、ロゼッタは続ける。

 

「あと長くてでかい魔獣がいた」


「ま、魔獣!?」


「追い払えって言われたから殴った」


「ちょ、ちょっともう……。色々と突っ込みたいけど諦めるわ」


 ミレーユは額を押さえる。


「やっぱり空界現象学の人っておかしいわ……。レポートで呼び出されてた辺りから、あなたもギルベルトもアーヴィン先生と急に仲良くなった感じだし」


「そう?」


「そうよ」


 即答だった。


 ロゼッタは首を傾げる。

 ミレーユはそんな彼女を見ながら、深いため息を吐く。


「ロゼッタ」


「なに」


「今度の休日は普通に街へ行きましょう」


「街?なんで?」


「あなた、学院生活が勉強と調査と戦闘だけじゃ勿体無いわよ」


 ロゼッタは少し考える。


「……もっと面白くなる?」


「楽しませる自信はあるわ」


 ミレーユはくすりと笑った。


 露天風呂の上には、静かな夜空が広がっていた。


 ――――……


 休日。


 朝から女子寮の噴水の前でミレーユと待ち合わせ。


 ロゼッタは村にいた頃から着ていた服で待っていた。


 無地のシャツ。動きやすいズボン。

 髪は適当に結んだだけ。


 それを見たミレーユは、


「やり直し」


 即答した。


「なにを」


「その格好で街に出るのはなし。私の部屋に来て」


 結局ミレーユの私服に着替えさせられた。


 白いブラウスに深緑のスカート。


 ハーフアップにされた赤髪には、金色の葉をモチーフにした飾り付きの深緑のリボンまで付けられている。


 正直、ロゼッタには何がいいのかよく分からない。

 だがミレーユが満足そうなので、たぶん成功なのだろう。

 

「よし!完璧!」


「ふーん」


 ロゼッタは鏡を見る。


 映っているのは見慣れた自分のはずなのに、どこか別人のようだった。


「さて、気を取り直して街へ行くわよ!」


 学院を出て街中へ入る。するとロゼッタは思わず足を止めた。

 見覚えのある場所だった。銀暁祭の日に歩いた通りだ。


 だが、あの日とはまるで違う。


 通りを銀色に染めていた無数の銀灯もなければ、そこを覆う屋台もない。

 代わりに並ぶのはパン屋や雑貨屋、仕立て屋といった普段の店々だ。


 店先には買い物袋を抱えた人々。

 親に手を引かれて歩く子供。

 昼下がりの陽射しの中で談笑する学生たち。


 祭りの熱気はない。

 その代わり、穏やかな活気があった。


「まずは服!」


 ミレーユは迷いなくロゼッタの手首を掴んだ。


「飯じゃないの?」


「ダメ」


「なんで」


「その格好だからよ」


 即答だった。


 ロゼッタは自分を見る。


 白いブラウスに深緑のスカート。

 ミレーユに着せられた服だ。


「別に問題ない」


「大問題よ。私の服、貸してあげるのは今日だけなんだから。ちゃんとワンセットくらいはオシャレなやつ持ってなさい」


 そして半ば引きずるようにして服屋へ入る。


 店内には色とりどりの服が並んでいた。


 フリルの付いたもの。

 刺繍の入ったもの。

 落ち着いたもの。

 派手なもの。


 ロゼッタは入った瞬間から少し居心地が悪そうだった。


「帰りたい」


「まだ入って三秒よ」


 ミレーユは呆れながらラックを眺める。


 そして数着引っ張り出した。


「これとか」


 淡い青のワンピース。


「動きにくそう」


 さらに別の服。


「これは?」


 白いカーディガンに花柄のスカート。


「戦えない」


「戦わないのよ!」


 店員が思わず吹き出した。


 ロゼッタは何が面白いのか分からず首を傾げる。


 ミレーユは額を押さえた。


「なんで服を見る基準が戦えるかどうかなの……」


「大事。動きやすさは特に」


「休日に魔獣と戦う予定ある?」


「今のところはない」


「じゃあ忘れなさい」


 ぐいっと肩を掴まれる。


 そして次に渡されたのは――。


 深い紺色のワンピース。

 腰には細いベルト。

 白いカーディガン。

 

 今着ている服より少しだけ落ち着いた大人っぽさのある組み合わせだった。


「ロゼッタは顔立ちが整ってるんだから、変に盛らなくても十分なのよ」


「ふーん」


 そして試着室へ押し込まれる。


 数分後、カーテンが開いた。


「これ、本当に似合ってる?」


 ロゼッタは少し居心地悪そうに立っていた。

 ミレーユはそんなロゼッタをみて頭を抱える。


「やっぱりおかしい?」


「違うの……。似合ってる……というか似合いすぎて、自分のセンスが怖いわ……」


 ミレーユは側にあった髪飾りの棚から一つ選ぶ。

 銀細工の羽飾りにその先に小さな青い羽がついたものだ。


 ロゼッタに着けていた金色の葉の髪飾りを取ると、羽飾りに付け替える。


 そして納得したように頷くと、店員に、


「これ買います!お会計お願いします!」


 そう言ってなんと全額支払ってくれた。


 服と髪飾りが入った袋をロゼッタに渡す。ロゼッタは受け取っていいものか少し戸惑っている。

 

「なによその顔」


「いや、いいのかなって」


 ミレーユは深呼吸する。


「あのね、ロゼッタ。この格好で学院歩いてみなさいよ」


「?」


「みんな振り返るから」


「なんで?」


「なんでって……」


 ミレーユは頭を抱えた。


「本当に分かってないのね……」


 その後、更に靴屋では購入した服に合う靴を。

 雑貨屋ではお出かけ用の小さな鞄を。

 化粧品店では簡単な化粧道具を。


 気付けばロゼッタの両手には袋が増えていた。


「ミレーユ」


「なに?」


「まだ何か買うの?」


「そうねえ……」


 ミレーユは少し考えてから、ロゼッタに笑いかけた。


「美味しいオムレツが食べられる店があるの」


 その瞬間、ロゼッタの目が輝いた。


「行く!」


 即答だった。


 今までで一番返事が早い。


 ミレーユは吹き出した。


「食べ物の時だけ反応が違いすぎない?」


「美味しいの?」


「美味しいわよ、人気店だもん」


「行こう!早く行こう!」


 ロゼッタは先程までの買い物疲れはどこかへ吹き飛んだ。

 軽くスキップするように隣を歩く彼女にミレーユは呆れながらも笑った。


 人気店のオムレツは本当に美味しかった。


 ふわふわの卵に濃厚なソース。


 ロゼッタはほとんど喋らず食べ続け、ミレーユに笑われた。


 その後も二人は街を歩き回った。


 雑貨屋に入っては足を止める。


 ガラス細工、小さなアクセサリー、色とりどりの便箋、銀細工の栞。


 ロゼッタは特に興味がないと思っていたが、意外にも店内を眺めるのは嫌いではなかった。


「これ綺麗」


 思わず手に取ったのは、小さな青いガラス玉だった。


 中に銀色のラメが閉じ込められていて、光を受けるたび星のように煌めく。


「……欲しい」


「珍しい。ロゼッタが欲しいって言った」


「なんか空みたいだった」


 結局、そのガラス玉もミレーユが買ってくれた。


 気付けば荷物はさらに増えている。


 そして夕暮れ。

 二人は学院へ続く石畳の坂道を歩いていた。


 街の喧騒は徐々に遠ざかり、代わりに見慣れた学院の建物が見えてくる。


「あー、楽しかった」


 ミレーユが大きく伸びをした。


「うん、楽しかった」


「本当に?」


「うん。ミレーユとまた遊んであげる」


「あら、それは光栄だわ」


 そんな会話をしながら正門へ近づいた、その時だった。


「あれ?」


 ミレーユが声を上げる。


 前方に見覚えのある男子生徒がいた。


 一人は黒髪に金色の瞳を持つ少年、ギルベルトだ。

 もう一人はミレーユは知らないが、制服を見る限り上級生だろう。


 どうやら何か話しながら歩いていたらしい。

 先にこちらへ気付いたのは上級生の方だった。


「あれ?」


 丸眼鏡の奥の目がぱちぱちと瞬く。


 そしてロゼッタを見る。


「……ロゼッタさん?」


「ん?レオネルとギルベルト」


「ロゼッタ、あの先輩とも知り合い?」


「うん」


 レオネルは驚いた表情を浮かべ、ようやく納得したように肩の力を抜く。


「いや、ごめん。雰囲気が違ったから別人かと思ったよ」


 その言葉にミレーユがにやりと笑う。


 隣のロゼッタは首を傾げていた。

 何が違うのか分かっていない顔だった。


 その間にギルベルトもロゼッタへ視線を向ける。


 白いブラウスに深緑のスカート。

 ハーフアップにされた赤髪に生える金色の葉の髪飾り。

 そして大量の買い物袋。


 数秒ほど見つめた後、


「似合ってる」


 短くそう言った。


 その瞬間。


 ミレーユが勢いよく拳を握った。


「ほら見なさい!!」


「?」


 ロゼッタは首を傾げる。


「俄然、やる気が出てきたわ!」


 ミレーユはビシッとギルベルトを指差した。


「ギルベルト、楽しみにしてなさい!ロゼッタはもっともっと可愛くなるわよ!」


「そうか」


「そうか。じゃないわよ!」


 なぜかミレーユだけが興奮している。


「ミレーユ落ち着け。私は疲れたから早く部屋に帰ろう」


「そ、そうね。ゴホン……それじゃ。」


 胸を張り、ふふんと得意げに笑うミレーユを連れて、ロゼッタは女子寮へ歩いて行った。


 取り残されたレオネルとギルベルト。


「……ロゼッタさんの周りには明るい人が多いんだね」


「うん」


「それにしても、可愛かったね」


 数秒の沈黙。


「ロゼを狙うのか?」


 ギルベルトは少し威圧的にそう言った。


 レオネルは思わず吹き出す。


「狙ってないよ」


 そして女子寮へ消えていった二人の背中を見る。


「でも――」


 小さく笑った。


「すごく嬉しそうだったね」


「?」


 ギルベルトは首を傾げる。


「え、気づいてなかったの?」


 レオネルは小さくため息をついた。


「君に似合ってるって言われた瞬間、一瞬だけ目の光が変わったんだよ。ほんの少しだけどね」


 言われても、ギルベルトはピンと来ていない様子だった。


「……さて、僕たちも帰ろうか」


「ああ」


 夕陽が学院の石畳を赤く染める。


 穏やかな一日の終わりだった。

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