西の砂漠
合同授業が終わってからしばらく経った。
学院の並木では色づいた葉が次々と枝を離れ、石畳の上を風に転がっていく。
朝の空気は以前より冷たくなり、季節が確かに進んでいることを感じさせた。
そんなある日。
ギルベルトとロゼッタは学院職員に呼び止められた。
「アーヴィン先生がお呼びです」
ギルベルトとロゼッタは顔を見合わせた。
そして急いで研究棟へ向かう。
アーヴィンの執務室へ入ると、彼は机の上に広げられた資料から顔を上げた。
「来たか」
短い言葉。
ロゼッタは一歩前に出る。
「怪しいとこ、見つかった?」
「ああ」
アーヴィンは頷いた。
机上の魔導投影盤を操作する。空中に地図が浮かび上がった。
西部地域。広大な砂漠地帯だった。
「候補地の1つで異常が見つかった」
「異常?」
ロゼッタが聞き返す。
「空中流脈の魔力が、その地域だけ不自然に滞留している」
簡潔な説明。
だがアーヴィンの表情は真剣だった。
「原因は不明。長期間にわたる蓄積型の現象だ」
ギルベルトが地図を見る。
「空の大潮と関係があるのか」
「断定はできない」
アーヴィンは即答した。
「だが、無関係とも言えない」
短い沈黙。
そして。
「現地調査に向かう」
アーヴィンは二人を見る。
「以前の話を覚えているな」
ロゼッタはすぐに頷いた。
ギルベルトも静かに頷く。
「なら改めて聞こう」
アーヴィンは言う。
「一緒に来るか?」
「行く」
「行く」
二人の返事はほとんど同時だった。
「では、早急に泊りの荷物をまとめ、十六時にもう一度ここに来ること」
――――……
そして十六時。
荷物をまとめたロゼッタとギルベルトは再び執務室を訪れた。
ノックに反応して、扉の向こうから軽い声が飛んでくる。
「来た来た~」
扉を開ける。
部屋の中にはアーヴィンと数人の研究員、そして見慣れた顔がいた。
「いや~、いきなり二人も連れてくって先生が言うから俺びっくりだよ」
ソファから立ち上がりながら、セインがひらひらと手を振る。
ロゼッタが目を瞬く。
「セインも行くのか?」
「うん! 俺がいなきゃ行けないしね!」
セインは親指を立ててにこにこと笑った。
その横で、アーヴィンが大きなリュックを肩に担ぐ。
視線が全員を順に見回した。
「揃ったな」
短く告げる。
「では行くぞ」
その言葉に、ギルベルトとロゼッタが身構える。
――が。
「行くって、どうやって?」
ロゼッタの問いに、セインはにやりと笑った。
「まぁ見ててって」
自信満々にそう言うと、軽く指を鳴らす。
――瞬間。
床に触れた指先から、淡い光が滲んだ。
それは一瞬で部屋全体へ広がる。
円ではない。線でもない。
空間そのものに“構造”が走っていくような、異様な展開だった。
魔法陣が重なり、幾何学的な層が増えていくたびに、空気がわずかに軋む。
ロゼッタもギルベルトも息を呑んだまま動けない。
次の瞬間。
空間が“折れた”。
音が消える。
重力が消える。
視界が裏返るように歪み、世界そのものが一度ほどけて再構築される。
ロゼッタとギルベルトは一瞬だけ、自分の身体の感覚を見失った。
――そして。
風。
乾いた熱を含んだ風が頬を打つ。
ざ、と足元で砂が鳴った。
ロゼッタが反射的に顔を上げる。
そこに広がっていたのは、果ての見えない砂の海だった。
赤く傾き始めた空。
うねるように遠方で立ち上がる砂嵐。
熱い。
本来ならそう感じるはずだった。
だが――
「……?」
ロゼッタは小さく首を傾げる。
不思議と息苦しさを感じなかった。
乾いた空気も、肌を撫でる熱風も。
むしろ身体に馴染むような感覚がある。
初めて来た場所のはずなのに、どこか落ち着く。
理由は分からない。
隣を見ると、ギルベルトも僅かに目を細めていた。
「ギル、どうした?」
ロゼッタが聞く。
ギルベルトは少しだけ間を置いた。
「……いや」
それだけ言って視線を砂漠へ戻す。
だが胸の奥に残る違和感は、ロゼッタと同じだった。
「はい、とうちゃーく!」
セインが軽く手を広げる。
まるで少し遠出した程度の口調だった。
だがその場にいた研究員たちは、誰一人として言葉を挟まない。
ギルベルトは、しばらく足元の砂を見てから、ふと顔を上げた。
「この転移は」
セインが振り返る。
「んー?」
ギルベルトは空間を確かめるように視線を巡らせた。
「これは、どういう理屈で飛んでいる?」
ロゼッタもセインを見る。
セインは少しだけ間を置いてから、いつもの調子で答えた。
「んー、簡単に言うとねぇ」
指を軽く振る。
「1回行った場所って、“座標の印”みたいなのが残るんだよ」
砂漠の風がその周囲を撫でていく。
「そこに魔力を繋げて、空間ごと引っ張る感じ」
ギルベルトの目が細くなる。
「距離は関係ないのか」
「うん」
即答だった。
「近いとか遠いとかじゃなくて、“繋がってるかどうか”だけ」
セインは肩をすくめる。
「だから理屈としては簡単だよ」
ロゼッタがぱっと顔を上げる。
「それ、私でもできる?」
声には迷いがない。むしろ少しだけ期待が混じっていた。
セインは一瞬きょとんとして、それから肩をすくめる。
「んー無理だね」
あっさりとした即答だった。
「魔力が足りない」
風が一段強く吹いた。
砂がざらりと音を立てる。
セインは何でもないことのように続けた。
「というか、普通は成立しない魔法なんだよ」
軽く肩をすくめる。
「だから俺専用ってわけ」
二人に説明し終えたセインは軽く背伸びをした。
「さて、と。仕事仕事っ」
アーヴィンはすでにリュックを下ろし、砂の上に地図状の魔導投影盤を展開していた。
「全員、配置につけ」
その声は短いが、迷いがない。
研究員たちが即座に動き出す。
砂の上に1mほどの杭が突き立てられ、観測水晶が一定間隔で配置されていく。淡い光が点々と灯り、空間に薄い格子状の魔力構造が浮かび始めた。
「観測範囲を拡張。空中流脈の落下角度を補正しろ」
「了解!」
アーヴィンは短く指示を出し続けていた。
研究員たちが砂に追加の観測杭を打ち込んでいく。
一本、また一本。規則正しく。
その時だった。
「……ん?」
ロゼッタが腰に手をやったまま動きを止める。
セインが振り向く。
「どしたのロゼちゃん?」
ロゼッタは少し迷ってから、小さな布袋を取り出した。
「私の宝物、持ってきてしまった」
中から出てきたのは、淡く光を反射する結晶。
――結晶化した竜の鱗。
以前、街のゲーム屋台で手に入れたものだった。
「なんか、変に綺麗だね。それ」
「いつも持ってたから、置いてくるの忘れた」
ロゼッタは軽く言う。
そんな彼女の真後ろで杭の一本が、かすかに震えた。
――ぴくり、と。
「……?」
研究員の一人が手を止める。
「ん?今、反応が……」
次の瞬間。
ロゼッタの手の中の結晶が、ほんの一瞬だけ脈打つように光った。
空気が揺れる。砂の上を走る魔力網が、微かに波打った。
セインの表情が一瞬だけ変わる。
「……あれ?」
ギルベルトが結晶を見る。
「何が起きている」
アーヴィンの声が鋭く飛ぶ。
「観測値を確認しろ」
研究員が投影盤に目を落とす。
「局所共鳴発生!ですが、……」
一瞬、言葉が詰まる。
「起点が特定できません!」
「……起点がない?」
アーヴィンはすぐに投影盤の投影映像を切り替えた。空中流脈の流れが立体図として浮かび上がる。
そこに“異常な一点”は存在している。
だが——
「……確かに、おかしいな」
アーヴィンが小さく呟く。
「普通なら、どこかに“始まり”があるはずだ」
共鳴は、必ずどこか一点から広がる。
だが今見えている反応は、まるで違った。
広がるのではなく、最初からそこに“在る”ように揺れている。
「空中流脈の上には、明確な発生点がない……?」
研究員の一人が報告する。
その言葉に、アーヴィンの目がわずかに細くなる。
「……なら、上じゃないな」
短い沈黙。
ロゼッタが首を傾げる。
「上じゃないって、どういうこと?」
アーヴィンはすぐには答えなかった。
一度、砂漠の地面を見る。
そしてようやく言葉を落とす。
「この異常は、空から来ているように見えるが……」
少し間を置く。
「原因は、下にある可能性がある」
「下?」
ロゼッタが目を瞬く。
ギルベルトが静かに続ける。
「地面の中、ということか」
アーヴィンは短く頷いた。
「あるいは、それより深い場所だ」
アーヴィンは結晶を見る。
ロゼッタの手の中で、それはまだ微かに脈打っていた。
アーヴィンは一度だけ息を吐いた。
「地下観測層を開放する。補助水晶、全点起動」
「了解!」
研究員たちが一斉に動く。
砂に突き立てられた観測杭が順に淡く発光し、地面の下へ向けて魔力探査網が広がっていく。
まるで砂漠そのものに、見えない根を張るように。
数秒後。
「……出ました!」
声が上がる。
「地中魔力反応、検出!」
投影盤が切り替わる。
今度は“地面の下”の構造が可視化されていた。
そしてそこに映ったものを見て、研究員の一人が言葉を失う。
「これ……魔力の層、ですか?」
それは流れではなかった。
地中に“溜まっている”。
まるで砂漠の下に、巨大な器が埋まっているかのように。
「……やはりな」
アーヴィンが低く呟いた、その瞬間だった。
——ぴくり。
ロゼッタの手の中の結晶が、今までとは違う強さで脈打つ。
「っ……」
ロゼッタが思わず手を握る。
「なに、これ……?」
結晶の光が一瞬だけ強くなる。
それに呼応するように、投影盤の地中構造が揺れた。
「……観測値、変動!」
研究員の声が上がる。
「地下層の魔力密度が、局所的に上昇しています!」
アーヴィンの視線が鋭くなる。
「結晶に反応しているのか……?」
セインが珍しく真顔になる。
「最悪だ、嫌な予感が当たりそう」
地面が、ほんのわずかに“鳴った”。
音というより、空気の奥が震えるような感覚。
「なんだ」
ギルベルトが砂を見下ろす。
その瞬間だった。
投影盤の中心が、赤く点灯する。
「警告!地下魔力層、共鳴反応開始!」
アーヴィンが即座に指示を飛ばす。
「全員、魔力安定結界を張れ!」
砂の上に張られていた観測網が、今度は防御用の魔力構造へと切り替わっていく。
地面に刻まれた光の線が、網目のように広がった。
ロゼッタとギルベルトはセインに腕を掴まれ、防御網の中へと引っ張り込まれる。
次の瞬間だった。
――ズン。
地面の奥底から何か巨大なものが身じろぎしたような衝撃が伝わる。
砂漠全体がゆっくりと揺れた。
「っ!」
ロゼッタが思わず足を踏ん張る。
遠くの砂丘が崩れた。
さらさらと流れ落ちるはずの砂が、まるで呼吸をするように脈打つ。
――ズズズ……。
低い振動が続く。
砂の表面を波紋のような揺れが走った。
「地盤振動を確認!」
研究員の声が飛ぶ。
「震源は地下反応と一致!」
その時。
砂漠を吹き抜けていた風が突然向きを変えた。
周囲の砂が宙へ舞い上がる。
「なっ……!?」
巻き上がった砂は普通の砂嵐ではなかった。
淡い光を帯びている。地下から溢れ出した魔力が砂粒に付着し、青白く輝いていた。
無数の光る砂が空中で渦を描く。
まるで何か巨大な存在を中心に集まろうとしているかのように。
「魔力嵐だ!」
アーヴィンが叫ぶ。
「防御網の出力を上げろ!」
観測杭の光が一斉に強まる。
だがその直後。
――ドクン。
ロゼッタの手の中の結晶が心臓のように脈打った。
呼応するように砂嵐がさらに激しさを増す。
ロゼッタが思わず結晶を見る。
「これ、さっきより熱い……」
その言葉に、ギルベルトが即座に反応した。
「原因はそれか?」
セインは結晶と投影盤を見比べたまま、少しだけ目を細めた。
「まあ、原因って言うなら地下だと思う」
セインは軽く砂を蹴った。
「たぶん地下のやつと同じ“感じ”だね」
結界の外では魔力を帯びた砂が渦を巻いていた。青白い光の粒が壁のように視界を覆う。
研究員たちは投影盤にしがみつくように観測を続けている。
アーヴィンが短く言う。
「……見方が違う」
全員の視線が向く。
セインの推測を否定するというより、見方そのものを組み替える声だった。
アーヴィンは投影盤を最大まで拡大した。砂漠の下に広がる魔力の密度分布。
それはただの濃淡ではなく、ところどころに“揺れのまとまり”が浮かび上がっていた。
まるで何かの形を途中までなぞっているように。
「結晶が反応しているんじゃない」
短く区切る。
「“同じもの”が、上下で共鳴している」
ロゼッタが息をのむ。
「同じもの……?」
アーヴィンはそこで一度だけ、言葉を整理するように間を置いた。
「つまり——地下で起きている現象と、この結晶は別物じゃない」
そして続ける。
「同じ性質の魔力反応を持っている」
ギルベルトが目を細める。
「じゃあ、地下にあるのは何だ」
アーヴィンは投影盤の表示をさらに切り替えた。
魔力の“層”が、より構造的に解析されていく。濃度の偏りではなく、“まとまり”として再構成される。
そこに初めて、ある傾向が浮かび上がった。
一定の形を持つように見える領域。それは自然な乱れではなかった。
アーヴィンの視線が止まる。
「……生き物だ」
ロゼッタの動きが止まる。
「生き物……?」
その瞬間。
結晶がもう一度強く脈打った。
――同調。
解析結果の一部が、まったく同じ波形を返す。
アーヴィンの目が細くなる。
「……一致した」
ギルベルトが問う。
「何とだ」
アーヴィンは今度は迷わなかった。
「竜だ」




