復活!災いの大祭!
旅館の中が静かだ。
静か過ぎた。
部屋の中には人の気配があったし、大声で騒ぐものこそ居なかったが、会話する声もそこかしこから聞こえていた。
今日は行儀のいい客ばかりなのだと、キッコは初めそう思っていた。
「こんばんわ――。生川さん」
キッコが生川の部屋の格子戸の前で声をかける。
返事は無い。
外は暗かったが、そんなに遅い時間でもない。
だから本来なら、まだ宴会のお客や、食事が終わって、お風呂や町に繰り出そうとする客で館内がごった返していてもおかしくない。
昼間のうちに、美土里がキッコの自宅に尋ねて来て、『見せたいものがあるから部屋にきて欲しい』と生川・ルークから伝言されたと伝えられた。
誰にも見つからないようにして欲しいとの事だったので、最初は、静かな旅館の中は好都合であり、期待に胸を高鳴らせていたせいもあって、そんなにおかしいとは思わなかった。
誰にも合わないようにしながら離れへ向かう廊下まで来る間に、徐々に異変に気がついた。
旅館の仲居さんはおろか、一人の客ともすれ違わない。
何か、普通でない兆しを感じたが、それであるからなおの事、生川の部屋に向かうこと以外、キッコには考えつかなかった。
「こんばんわ。生川さん――。入っていいですか?」
再び、今度は少し大きめな声でキッコが声をかける。
すると。
本館の方から、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「美土里さん?」
キッコが小さな声で確認する。
ひたひたひたと近づいて来ていた足音は、段々と大きくなり、裸足でぴたぴたと板の間を歩いてくる音だと気がついた。
美土里ではない。
美土里なら足袋を履いているはずだった。
裸足で歩くものがいるとすれば――。
客か?
キッコは、部屋の前で下を向いてやり過ごそうと身を硬くした。
やがて、足音が自分の前まで来た時に、廊下に視線を落としたキッコの目に映ったものは――。
手――。だった。
下を向いているキッコの目になぜ手が見えるのか?
その気持ちが無意識に反射して、ゆっくりと顔を上げる。
程なくその足音の主と目が合った。
『それ』は、正座をした格好で宙に浮いている薄汚い坊主だった。
前に突き出した自分の手を、足のように使かって廊下をぺたぺたと後ろ向きに進んでいる。
逆立ちをしているのとは違う。
坊主の身体は斜めに浮いており、まるで、身体を手で押し出すようにして歩いているのだ。
その坊主の、廊下に近いところに浮いている顔が上目づかいにキッコを睨んだ。
「美土里さんじゃあ、ないよ」
「いやあああああああー!」
キッコは叫んで、格子戸を開けると中に飛び込む。
「生川さん!生川さん!」
キッコが生川を呼びながら部屋を見渡した。
部屋の中は蛍光灯が点いて明るかったが、中央に描かれた方陣の周りに置かれた蝋燭にも火が燈っていた。
蝋燭はしかし、そのほとんどが燃えかけて、弱々しく揺らいでいるのが見える。
生川の姿は無かった。
「キッこちゃん――。キ――、ッコちゃん」
声がする。
聞き覚えのある声。
「美土里さん?」
キッコが部屋の中へと一歩踏み出す。
声のする方へ視線を向けるが、美土里の姿が無い。
声がする。
「キッコ――。ちゃん」
恐る恐る中へ進み、談話スペースのある奥へと向かう。
途中。
襖の百鬼夜行図が怖くて、目を合わせないように進んだ。
だが。
「きっこ――ちゃ」
呼ばれた気がして、キッコは意識しないまま、声のする方向――、襖に視線を泳がせていた。
絵が変わっていた。
そこには、昨日の晩に見た、あの薄気味悪い異形の物達の姿は無く、沢山の、苦悶の表情をした人間の墨絵が――。
あの、一筆書きのタッチで描かれているのだった。
その中に。
「美土里さん!」
古臭い表現で描かれた墨絵なので、初めはわからなかった。
しかし、旅館の仲居が着る揃いの和服姿とショートカットの髪型。
目付き、顔つき、間違いなくその絵は、美土里の特徴があった。
美土里だけではなかった。
良く良く見れば、襖に描かれた大半の顔は、見覚えのある旅館の従業員のものだったのだ!
「え、え、え?で――」
そう言ってふらふらと襖に描かれた美土里にキッコが近づこうとした時、再び声がした。
「きっこちゃん――」
きょろりと美土里の墨絵の目玉だけが動き、キッコを睨んだ。
「来ィちャあぁぁぁぁぁだ目えェェェェェェェェェっっ!!!!」
そう叫んだ美土里の目から、涙が一筋流れ落ちる。
「 ―― !!」
気がつくと、キッコは頭の中が真っ白になるくらい大声で叫んでいた。
真っ直ぐ廊下に飛び出す!
部屋の外にはあの『手押しの坊主』が待っていた。
「美土里さん居たかい?」
ゾワゾワと全身に鳥肌が立つのをキッコは感じた。
振り払うように再び叫び声を上げると、そのまま走り出す!
「美土里さんじゃないよお」
その声に、走りながら後ろを振り返ると、坊主が後ろ向きにぺたぺたと手で廊下を叩きながら凄いスピードで追いかけてくるのが見えた。
あまりの事に、もう、叫ぶ事も出来ない!
ただひたすら走る!走る!走るしかない!
やがて、宴会場の大広間の前まで来た時、中から盛り上がる客の声と障子に映る沢山の人影が見えた。
叱られることを承知で障子戸を開けて部屋の中に飛び込む!
「たすけて!たすけてください!美土里さんが!みんなが――」
そう言って部屋の中を見回したキッコが、そのまま一歩後ろへ下がる。
其処に居たのは、客ではなかった。
いや、正確には客もいた。
ただし、客たちは全て、襖や畳に描かれた墨絵に変わり果て、客たちが宴会して居たであろう据え膳には、角の生えた物や、狸の顔をしたものや、青い顔や、口しかない顔、顔の三つついているものなど――の、ヒトデナイモノが座って、酒を酌み交わし、肴を食らっているのだった。
「妖怪!」
キッコが叫ぶと、妖怪たちは一斉に笑い出し、ひとしきり笑った後でキッコを見つめて一時に口を開いた。
「「「「「なんか、ようかい?」」」」」
再び宴会場に大爆笑が巻き起こる。
一歩、二歩、前を向いたまま静かにキッコは下がった。
後ろを向いた途端、襲い掛かられそうな気がして。
『ぽん』
と何者かに肩を掴まれ、振り向いて、大声を出しそうになった口を手で塞がれる。
「大丈夫ですか?お嬢さん!」
見覚えのある顔が其処に有った。
旅館の支配人。
稲田の神経質そうな七三分けの顔が今は頼もしい。
「静かに。あいつらを刺激しないように」
塞いでいた口から手を離しながら、稲田がキッコの肩を庇うようにして廊下へ引き戻した。
「稲田さんこれって!」
「しっ!」
稲田はそう言って人差し指を口に当ててキッコに注意すると、声をひそめてしゃべり出した。
「女将さんは無事ですよ。私は今、お嬢さんのところへ行くところでした」
そう言って微笑んだ稲田の両肩にひょっこりと手が現れたかと思うと、次の一瞬。
肩越しに、あの手押し坊主の顔が現れてニタリと笑う。
「美土里さんじゃないよぉ」
そう言うと、動けなくなった稲田の身体をぺたぺたと叩きだす。
すると、稲田の身体はどんどんと薄くなっていき、遂には廊下に張り付いて、そのまま墨絵に変わってしまった。
「いやー!」
キッコが大声を出すと、今気づいたと言うように、宴会場に居た妖怪たちがのそりのそりと廊下に溢れ出してきた。
恐怖のあまり、キッコは足がその場に張り付いて動けない!
角の生えた物、狸の顔をした物、青い顔や、口しかない顔、顔の三つついている物。
手押し坊主!
それらが、のそりのろりとキッコに迫ってくる。
「天来地帰っっっっっー!」
突然の叫び声とともに大量の液体が妖怪たちを襲った!
辺りに酒の匂いが充満する!
「おかあさん!」
振り返ったキッコに、和服にたすき掛け姿で、日本酒『海亀』のビンを振り回す母親――、旅館豊玉の女将の姿が写った!
「天!来!地!帰ー!」
再び妖怪たちに見舞われる日本酒『海亀』!
「があああああああああああ!」
妖怪たちが溶けていく!
「まっずい酒じゃあああああああああああああ!」
「まずいにも程があるううううううううーん!」
逃げ出す妖怪たち!
「竜宮町山の物!特攻隊長!竜神の令子!近くば寄って目にもみよ!」
撒き散らされる日本酒『海亀』の威力!逃げ遅れた妖怪たちが次々に消滅していく!
「どうだい!ものわけさんの御神酒の威力!物の怪風情の出る幕じゃないよ!」
女将はそう言うと一升瓶を脇に置いてキッコを抱き寄せ、涙ぐみながら何度も娘の名前を呼んでかたく抱きしめた。
「お母さん。稲田さんが――。みんなが――」
「ああ。出遅れちゃったねぇ。何がなんだかわからないうちに、あっという間の出来事だったんだよ。一体、どこからこれだけの物の怪が――」
涙を指で拭いながらそう言って、女将は「焼きが回ったねぇ」と自嘲した。
「お母さん、物の怪じゃないよ!妖怪だよ!」
「?」
「生川・ルークだよ!あいつがやったんだ!やるって言ってたんだ!」
「どういうこと?キッコ!お母さんに話してちょうだい!」
キッコは母親に美土里と生川・ルークの部屋に行った時のことを全て話した。
話の難しいところはうまく話せなかったが、生川・ルークが妖怪を作ろうとしていたということだけは伝えることが出来た。
「何てことを」
女将が絶句する。
「りっぱな退魔師様かと思って優遇してあげたのに。恩を仇で返す畜生野郎だったとは」
「えらい言われようでちねー!」
妖怪たちの消えた去った方向。
廊下の暗がりから、ぶくぶくとした巨漢を紫色の紋付はかまに詰め込んだ男。
生川・ルークが現れた。
「えーい!悔しい!生川!さっさと妖怪たちを引っ込めて、お客さんたちを元に戻しなさい!」
女将がキッコを庇うように前に出て生川に啖呵を切ると、そのまま肩越しに、キッコにそっと耳打ちするように話し出した。
「キッコ、いいかい。山の物の血が薄いお母さん一人では、もうこれが限界だ。深山のばあちゃんに――」
そう言ってキッコを静かに突き放すと、叫んだ!
「深山の家に行ってこの有様を伝えなさい!」
目交ぜし間、戸惑うような素振りを見せたキッコが次の瞬間には走っていた。
「早く!」
女将は叫ぶと向き直り、生川を睨んで酒瓶を構えた。
「大丈夫でちよ。娘さんには何もしませんでちよ」
生川がそう言って薄汚い無精髭の生えた口元をぶふぶふと歪めた。
「娘さんには、語り部になってもらうのでちよ」
「語り部?」
女将が聞き返す。
「そうでち!妖怪は恐怖から生まれるのでち!あんたの娘さんには、此処で起こった事をどんどん世間に広めてもらうのでちよ!その恐怖が!新たなる妖怪を世界に生み出すこととなるのでちー!」
「なんて事を!大体!何でうちのキッコなんだい!」
女将が怒鳴りつけたが、生川は怯む様子も無く、それどころか、興奮で頬っぺたを真っ赤にして、潤んだ瞳で天井を仰ぐと、声のトーンを高くして叫んだ!
「貧乳の語り部!!萌えぇぇぇぇぇー!」
聞くだけでもあまりに恥ずかしい生川のその心の叫びに。
「こーの!ど変態やろうー!」
羞恥心で顔を真っ赤にしながらそう叫び、竜神の令子が酒瓶の中身を生川にぶちまけた。
生川はずぶぬれになったが、まったく意に介さぬようにその場に立ち尽くす。
「わたちは何ともないのでち――」
そう言って女将ににじり寄る。
「わたちは何ともないのでち!」
女将の顔が恐怖で引きつる。
「な!ぜ!な!ら!ば!わたちは人間だからあ!あっ!人!間!だからあ!」
「きやあぁぁぁぁぁぁぁぁああ!」
旅館に、女将の悲鳴がこだました!
「ひんぬぅぅぅぅー!もえぇ゛ぇ゛ぇ゛え゛ー!」
生川の叫びもこだました。




