刮目!これぞ怪異の力業!
「なんて事すんだい!この娘は!」
怒鳴り声と共に、『ゴキン』と言う、辺りに響き渡る鈍い音がしたかと思うと、肩で息をしながら満足げな笑顔を浮かべていた風小が砂浜に崩れ落ちた。
その傍らには、源九浪から飛び出してきたおばちゃんが鬼の形相で拳を握りしめ立っている。
「グーでぶったぁ!」
頭を押さえながら砂浜に転がる風小が、涙目でおばちゃんを見上げる。
「さっきぶつけたとこぉぉ」
恨めしそうに尚も訴える。
「あらよぉ!お酒を粗末にするなんて!しかも、あのお酒は『ものわけさん』の御神酒だよ!罰が当たる前にさっさと拾っといで!」
えらい剣幕でおばちゃんがそう言うと、真っ直ぐ沖を指さす。
「あえぇぇ。罰ならたった今いただきましたデスぅ」
風小は、そう言いながらもゆっくりと立ち上がり、遠い目をして沖を眺める。
「とはいうものの――」
そのままゆっくりと海に向かって歩き出した。
「確かに食べ物を粗末にいたしますのは関心いたしませんデスよ。私も一時の激情に流されて、やってはいけない事をしましたと、素直に反省させていただきたいと思いますデスよ」
ぶつぶつと呟き、風小は波に揉まれながらゆっくりと海に入っていく。
ざぶざふと腰までの深さまで進んだ時、一際大きな波が風小を飲み込み、彼女の姿が波間から消えた。
やがて、消えた波間に風小が再び現れるのを、波打ち際で待っていたおばちゃんの足下に、ふと気づくと、鼻水と涙にまみれた風小が糸の切れた操り人形のようにぐったりと流れ着き、寄せては返す小波に弄ばれ、もみくしゃにされているのだった。
「あらよぉー!なんだよ、アンタ、泳げなかったのかい!」
風小を波打ち際からすくい上げ、肩を貸しながらおばちゃんがそう言うと、風小は大量の水を吐き出し、激しく咳き込みだした。
「げうぅぅぅえぇぇぇ。じぬうぅぅぅぅ」
尚も苦しみ悶える風小の脇を尻尾の先が折れた蒼灰色の猫が通り抜けて行き、波打ち際まで歩いていくと振り返り、緑色の瞳を風小に向けて、「にゃあ」と鳴いた。
「あえ?オマエさまは確か、駅で――」
猫は、風小が自分に気づいたことを確認するように、再び鳴き声を上げると、ゆっくりと海へと入って行き、犬かき(猫かき?)を始め、器用に波を乗り越えて、沖に向かって泳ぎ始めた。
「な、なるほど!」
暫く、おばちゃんに肩を貸して貰いながら、その様子を見ていた風小は、突然、両手のこぶしを握りしめると叫んだ。
「上方に頭部を上げ、気道を確保!両前足で水を掻き、後ろ足で水を蹴ることによって浮力と推進力を確保するのデスね!」
風小はそう言うと、支えて貰っていた身体をおばちゃんから離し、厳めしく砂地につっ立った。
「完璧です!完璧デスよ!同じ目を持つお猫さま!」
言うが早いか、雄叫びと共に海へと突っ込んでいく!
「あらよぉ!おまちよ!お嬢ちゃん!」
呆気に取られてその様子を見守っていたおばちゃんが、思わず叫んだその時だった。
風小の目の前に高い壁のような波が出現し、激突したかと思うと、再び風小の姿が波間から消えた。
「あらよぉー!」
両手を頬に当てておばちゃんが驚愕の叫びを上げる。
「風小ぉー!」
いつの間にやら浜茶屋から飛び出していた歩夢も、おばちゃんのかたわらで風小を呼んでいる。
ややあって。
水柱のような飛沫が波間に現れたかと思うと、徐々に静まっていき、そこに風小の顔がぷかりと浮いた。
「うおおおおおおおおおおお!」
いさましい叫びと共に、風小が水を掻く両手のスピードを上げると、身体がゆっくりと海面に浮上し始める。
「浮力確保!完了おぉぉぉぉぉぉ!」
そう喚くと、今度は、水面に浮き始めている足の、蹴り出す力を次第に増して行った。
すると、次の瞬間!水を掻く力と、蹴る力のバランスが均等になり、風小の身体は、まるで犬掻きをするホバークラフトの様に激しい水しぶきと共に水面に浮上した。
「後方蹴り足!ぱわー・あっぷデスよ!」
水上に身体を浮かした状態のまま、足が水を蹴る威力が増大されていく!
そして、遂に、風小の身体は推進力を手に入れた!
水面を最初ゆっくりと――。
やがて、滑るように『走り出す』風小!
「な、なんか、全部間違ってるけど!すっげぇー!」
「ああ、あらぁ、よぉ」
歩夢が思わず手を叩きながらはしゃぐと、放心状態でこの有様を眺めているおばちゃんが、つられるように力無くぱちぱちと拍手をする。
大小の白波が、風小の行く手を阻むかのように向かって来たが、そのすべてをまるで切り裂くようにして風小は進んで行く!
やがて、沖合に近づき、波が消え、大きなうねりに変わり始めると、そのうねりに合わせるように、パツパツのスクール水着からハミケツした風小のお尻が、波の力を相殺するかのようにへこへこと上下運動を繰り返し、さらにスピードが増していったかと思うと、ついには見えなくなってしまった。
静かになった海辺で、海水浴客達は一体何が起こったのかが理解できず。
超常現象の類に見舞われたのでは無いかと考える者まで現れて、小さな騒ぎになっている。
無理もない話だった。
何が起こったのかを理解していいるはずの歩夢とおばちゃんですら、海を見つめ、ただその場にたたずむしかなかったのだから。
いつまでそうしていたのだろうか、ふと、おばちゃんは何者かに肩を叩かれ、正気を戻して振り向いた。
そこには、丈の短い浴衣を着込み、脚を露わにする様の隻眼の美女レンレンが立っている。
満面の笑みを浮かべ腕組みすると、赤と黒の琉金の柄が、誇らしげなレンレンを讃え踊るように見えた。
「エントリーするわよん」
沖合に再び大きな水しぶきが立ち始め、こちらに近づいて来るのを見ながら、レンレンの瞳に微笑みが浮かぶ。
「明日の大会に!風小!召喚よん!」
酒瓶を口にくわえ、もの凄いスピードで戻ってくる風小を遠く望みながら、レンレンがそう言って高らかに笑った。




