インターミッション・かごめかごめ考
青い海がやたらと見たくなるような、そんないやらしいまでに爽やかな、真っ白に晴れた夏の或る日だった。
その日は――。
そんな日だったが、姫緒は朝から書斎にこもっていた。
重厚な書架に、整理された沢山の書物に囲まれ、背もたれの無い一人用の腰掛にかけて、依頼された事件についての文献を、組んだ足の上に乗せた姿勢で閲読する。
「風小。ちょっと休むワ」
部屋の中には姫緒以外の人影は無かったが、彼女はそう呟くと、文書面に走らせていた指をこめかみに添える。
「面白い解釈だけど。忌み忌みしモノの記号の羅列に過ぎないわね」
知的な紅い唇の先端を歪ませ、ふっとため息を付き、立ち上がると本を書架に戻す。
腰まである濡れ羽色の髪が、彼女の物腰に合わせて、黒いワンピースの上をきらきらと流れた。
「もっと。何か根本的な錯覚があるはず。この事件は、矛盾を謎にすりかえようと作為する悪質さが存在している」
そしてまた、肝心の『謎』となるハズの部分はあまりに稚拙であり、そのことが姫緒に苛立ちを与えていた。
『まだ、何かあるのか?』そう思う今の気持ちこそが敵の悪質な作為だと解っていても陥りそうになる。
「気に入らないわね」
思わぬ強敵に苦笑した。
ドアがノックされ風小の声がする。
「おまたせしましたぁ。姫さまぁ、お茶をお持ちしましたデスよ」
メイドの衣装を纏った風小が、茶器を乗せたカートを押して部屋に入って来ると、紅茶の準備を始めた。
「珍しくチャモンのGFOPが手に入ったのでストレートティーで召し上がっていただきますデスよ」
丸みを帯びた白い陶磁器のポットを包んでいた花柄のウォーマーを外し、茶葉を入れ、熱湯を注ぐ。
程よく空調された部屋の中に、深く清々しい紅茶の香気が広がりだした。
「セカンドフラツシュなんですよぉ!」
嬉々としてそう言いながら、風小がジャンピングが始まりだしているであろうポットを愛おし気に眺める。
そのとき。
突然、部屋の中に『スタートレック』のテーマが流れ出す。
「レンレンから?」
姫緒が気怠い視線を風小に向けて尋ねた。
「そのようデスよ」
言うが早いか、風小がメイド服の襟首から手を突っ込み胸の辺りを探り出す。
ややあって、中折れ式の携帯電話を引っ張り出すと、開いて耳に当てた。
「レンレンさん、今晩はお帰りになるんですか?えっ?焼きはまぐり?え?今日食べたんですか?えーっ昨日もぉ?いいなあ!いいなあ!え?姫さまですか?あ、はい、少々お待ちくださいデスよ」
「もしもし?」
「あらん、お久しぶりねん!昨日以来だったかしら?ご機嫌如何ぁん?」
「すこぶる悪いわ」
「どうせまた書斎にこもってコメカミおさえてんでしょう?たまには外出た方がいいわよん」
「御用はなあに?ネモ・レンレン」
冷ややかな姫緒の声にレンレンの背筋に冷たい汗が走る。
「や、やぁねぇ。お茶目な挨拶じゃないのぉ」
「……」
強い威圧の沈黙。
「え、えっとねぇ。ちょっと教えてほしい事があるのよん」
「なに?」
「かごめかごめって知ってるぅ?」
「歌いましょうか?」
「なかなか魅力的なお申し出だけれど。歌の歌詞は知ってるのよん。書いてもらったメモが手元にあるから」
「それで?ナニが知りたいの?」
「えっとぉ。この歌の解釈を『おしえて!姫緒せんせぇ!』」
「……」
「もうやらない!もうやらないからぁー!」
姫緒は小さくため息をつくと口を開いた。
「つまり。その童謡の言葉の意味を解説して欲しいと言う事?」
「うん」
「『とうりゃんせ』(※天涯のキオク参照)の時みたいに?」
「う――」
「無理ね」
「へっ?」
「無理。というか、あなたの知っているその歌に意味は無いわ」
「えーと」
「その歌の最後。こうなっていない?」
そう言うと姫緒が歌い出す。
『つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだあれ?』
「なってるけど?」
「その歌詞はね、明治時代以降に広まったものなの。江戸中期にあった文献の歌詞はこうよ」
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
『つるつるつっぱいた』
「これで終わり」
「なに、なに?なによぉ!その尻切れトンボみたいな歌ぁ」
「昔の人もそう思ったんでしょ。切れてるお尻を継ぎ足したのよ」
「もとの歌と違う?だから意味が通じないということ?」
「そういうことね。最後の『つるつるつっぱいた』というのは、京都の童謡の歌詞にある言葉で、『ずるずると引っ張った』と言う意味よ。方言の意味が理解できなかった当時の人が、語呂を合わせて他の歌詞に変えてしまったのでしょうね」
「あのー。と、いうか意味解っても理解できないんですけど」
「そうね。色々と勘違いされているから、難しいわね。まず、この歌は、調子を整える為に無理なところで文節を切っているのよ。つまり――」
かごめ、かごめ。
かごのなかのとりは、いついつでやる。
よあけのばんに、つるとかめがすべった。
うしろのしょうめんだあれ。
「これが、今、知られているこの歌の文節でしょ」
「え?でもおかしいじゃない?だってそれは捏造版でしょ?」
「いいところに気が付いたわね」
かごめ、かごめ。
かごのなかのとりは、いついつでやる。
よあけのばんに、『つるつるつっぱいた』
「これで、少し整ってきたわね、それじゃ言葉の意味を解説していこうかしら?」
「うん」
「まず、『かごめ、かごめ』これはよく言われてるけど、『かがめ、かがめ』と言うように真ん中のしゃがんで目隠ししている鬼役の子に対して呼びかけているという説と、『囲め、囲め』と言うように、周りをまわる子供達の間で声を掛け合っているという二つの説が有力ね。まあ、どっちでも大差ないし、間違いではないと思うから、とりあえず、今回は『囲め、囲め』と言うことでいいかしら?」
「異論は無いわん」
「結構。では、次の歌詞、『かごのなかのとりは、いついつでやる。』『かご』は『籠』でしょうね、『とり』と言うのはこの時代の風俗からして『酉』つまり鶏を意味していると思われるから」
囲め、囲め。
籠の中の鶏はいついつ出やる。
「問題は次の歌詞。『よあけのばんに、』これが『夜明けの晩に、』では意味が通じない」
「あら、やっぱりそんな日本語は無いんだ?」
「無いわ。そこで注目して欲しいのはこの歌を正しい歌詞にした場合。『つるとかめがすべった』の記述が無くなった為に、『よあけのばんに、』は続く言葉を無くしてしまったと言う事」
「『つるつるつっぱいた』は?」
「夜明けの晩なんてわけの解からない時間に、何をずるずる引っ張るの?」
「鶏」
「……」
「籠?」
「レンレン?その線で話を続ける?」
「うううん。もう、いいです」
「続く言葉が無いということは、そこで終わりと言うことよ。つまり、この歌の正しい文節は」
囲め、囲め。
籠の中の鶏は、いついつ出やる、よあけのばんに。
ずるずる引っ張った。
「なんか、ますます解んなくなっちゃったじゃないよん!大体『ずるずる引っ張った』が独立しちゃったわよん??」
「それでいいのよ。歌の始まりが子供達の動作で始まっているでしょ?終わりも動作で終わっているの」
「ずるずる?」
「そう。囲め、囲めで集まって。手を繋いでずるずると鬼の子の周りを回るでしょ?お互いを引っ張って」
「あ!」
「つまり、この歌は最初と最後に子供達の動作が入り、歌の中身は『籠の中の鶏は、いついつ出やる、よあけのばんに。』の一行と言うことになるのよ」
「でも、その大切な一行がグダグダー!」
「そうね、このままでは繋がらないわ、だって、この歌詞間違ってるんですもの」
「間違ってる?ほんとは『夜明け』だけで『晩』じゃ無いとか、『晩』だけで『夜明け』じゃ無いとか?」
「人の話をちゃんと聞いてる?さっき言ったでしょ?『続く言葉が無いということは、そこで終わりと言うこと』って。つまり、最後なのに格助詞の『に』が使われているから、ここが後に繋がっていると勘違いして、お尻を改ざんしてくっ付けちゃった訳よ」
「えーと、つまりそれは――」
「『よあけのばんに』は最後に『、』ではなくて『。』の付く歌詞でなくてはならないということよ。そう言った理屈で、ここのところだけおかしいの。間違っているのよ」
「なんで?いつ間違ったの?」
「伝承が口伝いだったから――。間違った発音で伝わった。と言うところかしらね。だから、もとの歌詞も非常に似通った言葉であると言うことは解るわね?前の歌詞の繋がりから推測するに、この歌は、籠の中の鶏が出て来る事を待っている歌であると考えられるでしょ?『夜明け』というのが、鶏が出て来るその時間を表しているとすると――」
「『ばんに』は?」
「『ばんにん』」
「は?」
「『ばんにん』よ。番をする人、見張り役の『番人』」
「えええー!」
「歌の節回しの関係で一つ音が消えてしまったのよ。ここの最後の歌詞は『夜明けの番人』つまり、夜明けを告げる一番鳥『籠の中の鶏』の事よ」
囲め、囲め。
籠の中の鶏は、いついつ出て来る、夜明けの番人。
ずるずる引っ張った。
「あっ、なんだか、見えてきたような」
「今風に訳すとこんなところかしらね」
囲め、囲め。
籠の中に居る鶏は、夜が明ければ鳴くことだろう。
(夜が明けるまで)輪になって回ろう。
「で、歌が終わったところで。夜が明けるわけね。まわりの子供が止まり、囲まれている鬼役の子、『鶏』が後ろの子の名前を呼ぶ。つまり、『夜明けの番人』が鳴く。と言うオチが付くわけよ」
「えーっ!妊婦さんはぁ?流産とか、夜明けでも暗い階段とかわぁ?」
「どこの誰に何の話を聞いたの?ネモ・レンレン」
「源九浪のおばちゃんに祟りの話ぃ」
「楽しそうね。ネモ・レンレン」
「最高よん!あっ、それとさぁ。お願いがあるのよん!」
電話が切られた。
ゆっくりと風小がカップに紅茶を注ぐ。
「レンレンさん何やってるんですかねぇ」
確かに、それは姫緒も気になった。
『あの』レンレンが、自分から厄介ごとに首を突っ込むとは到底思え無い。
と、すれば、『組織』絡みか?
『最高よん!』
やけに楽しそうだった彼女の声様に思わず微笑む。
「風小」
「はい?」
ポットをカートの上に戻していた風小が訝しげな表情で応えた。
「旅の支度をしなさい」
「旅行ですかぁ!!!」
「あなたの分だけよ」
「?????」
事の意外さに事態がとっさに理解できず、驚きと当惑でただ目を見開いている風小の姿を見て、姫緒はただ意味ありげに微笑んでいた。




