12話 唯一無二
陽光が差す部屋の明かりと、腕に力を込めるたびに漏れる布の音。悲しいほどに感じる、透き通った甘い香り。
それらから意識を救急箱へと戻し、私は彼の腕の中で身を捩った。
「離してくれ」
「どうしてですか」
昨夜は満月の日で、小屋に入った私は早々に彼の怪我の手当てをしていた。出会ってから約三年も経っているというのに、彼が傷をつけてくることには慣れない。
とはいえ、処置の腕は上がっていた。今日だって、五分もかからなかった。
そして、処置を終えた私を、彼は会いたかったと抱き締めたのだ。疲れたからと構えていなかったからか、ここ最近は遠慮していた抱きしめる力が元に戻っている。本人は気付いていないのだろうが。
私は彼の腕をそっと掴んだ。
「枝で切ったばかりだろう?」
「かまいません」
「処置したばかりなのに、また包帯を変えることになってしまうよ」
「貴女を抱きしめられるなら」
私は深くため息をついた。
「あとで傷を見せてもらうからね」
「はい」
頭上から聞こえてきた返答は、嬉しそうで。仕方がないなと、改めて息をこぼした。
キスをするでも、愛の言葉を囁くのでもなく、ただただ抱き締めあっている。それだけで、心が温まり満たされる。
ふと、彼が力を強めた。グリグリと頭をこすりつけて、力を抜いた。
「幸せですね」
「そうだね」
でも、この幸せな時間は、今日で終わりにするつもりだ。
「ジャスパー」
「なんですか?」
ふふ、と幸せそうに綻んだ彼の表情を見て、言葉に詰まった。
申し訳なさと、胸の苦しさを抑え込んで、言葉を紡ぐ。
「……しばらくここには、来れなくなる」
「えっ?」
たった一音。なのに、彼の声は、悲痛と混乱の両方を表していた。
「しばらくって、どのくらいですか?」
恐らく、ずっと。
それが本当の答えだが、震える彼の声を背にしては、こんな残酷な言葉は言えなかった。
「一年」
「なら」
「もしくは、一年よりずっと先」
隠し事は苦手だ。だから、代わりにと、濁した返答が口を飛び出した。
「っ……わかりました」
そう言った彼の声は涙を湛えていて。
彼の顔を見てはいけない。見ればきっと、覚悟が揺らいでしまう。
「待っていますから」
「それはできない。私が来られなくなる代わりに、使用人たちが掃除をしに来るかもしれないから」
切なげな声を掻き消すように、言葉の終わりに被せて言った。
すると、彼はいっそう抱きしめる腕を強めた。
「なら、貴女が呼んでくれる日を、森の中で待っています」
「そうか」
ありがとうも、ごめんねも言わない。
彼が理由を聞かないのは、きっと、私を信頼しているから。戻ってくると、いなくなるはずがないと。
私は一度、裏切られた。なのに、今度は私が裏切ろうとしている。
でも、今の私には彼を守り通せる自身がなかった。確信がなかった。
下手に全てを話してしまえば、彼を傷つけることになってしまいそうだから。
「貴女がだめだというまで、抱き締めていてもいいですか?」
「うん、いいよ」
きっと、これが最後になるだろうから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
バタバタと廊下を走る音が聞こえてくる。音は次第に大きくなり、自室の扉を開ける音へと変わった。
「アカシア。どういうことだ」
息を切らして入ってきたのは国王で、困惑と微かな怒りをその顔に滲ませている。
私が部屋を片付けている姿を見て、彼の眉間がピクリと動く。次いで、そばに控えていた商人たちに出て行くよう指示をした。
「廃位してほしいとは、本気か?」
「ああ」
「出て行くつもりか」
「ああ」
「そのお腹の子供が、理由か」
「……ああ」
変わらぬ私の返答に、国王が盛大なため息を漏らした。
「誰との子か聞いても、答えてくれないのだろう?」
「ああ」
子を孕んだら、王妃の地位を捨て、王都から遠く離れた小さな町で、子を産み育てる。
ダニエルが育ち、リリーも仕事をすべて(見ただけで)覚えた今なら、私が王宮を離れても大丈夫だろう。
大変なのは百も承知だが、体力には自信がある。学園で学んだ知識もあるし、魔道具だって扱える。職には困らない。少なとも、一人で子を養えるくらいなら。
それが、私が決めた覚悟だった。
(でも、もし、住み着いた町の環境がよかったら)
彼と、再び巡り会える縁があったなら。
その時は、三人でひっそりと暮らしても――
「頼むから、ここにいてくれないか。離宮を用意してもいい」
淡くあまい考えから、はっと意識を戻される。
「私に、ここに留めておく価値があるとは、思えない。むしろ許されないことをしたんだぞ」
荷物を整理する手を止め彼を見れば、ぐっ、と詰まった後、国王は頭をかいた。
「覚えているか?」
「何を」
「学生時代、私に『私は王の君ではなく、ただの人間の君と、友達になったんだ』と言ってくたことを」
そんな昔の言葉を、なぜ今掘り返すのか。
「覚えているが、それがどうした?」
国王は呆れたようにため息をつき、苦笑いを浮かべた。そして、近くの椅子へ腰を下ろす。
「幼い頃から、皆が内心を隠して擦り寄ったり、型破りな発想に心の中で批判したりすること、一定のカテゴリーに分けられる周りの態度に、嫌気がさしていた。
そんな時に、お前と出会った。権力や地位をわけて自分自身を見ようとしてくれたのは、お前が初めてだった」
恐らく二人目は、リリーだろう。
もしかしたら、王の道を歩む中で、より多くの人を見つけているかもしれない。
「学園に入って三年経った頃、私は少しグレた。わからずやばかりでつまらないと。そして、お前に『他と同じなんだろう』と言ってきつくあたったんだ。その時にお前が先程の言葉を言った。容赦のない拳と共にな」
我ながら暴力的である。
昔は今より血の気が多く、周りの目に対する感情もアツアツホカホカだった。マイナスの視線を察知しては睨み返し、馬鹿にされれば、夜な夜な悪夢を見る魔道具を相手の部屋に仕込んだものだ。
そんな私の悪事や仕返しに、彼は面白がってついてきてくれていた。彼が逸脱した行動をし、私が止めることも多々あったけれど。
「皆の態度を仕方がないと分かっていても、それでも、お前の言葉は私の支えになった」
国王はグッと唇を噛み、次いで、肩を大きく上下させた。
「だから、お前の力になりたい。いや、お前がいないと力が出ないのは、私の方か」
国王は目を手で覆い、項垂れた。
それは、彼が初めて見せた、弱々しい姿だった。
「愛しい恋人と、大切な友人。二人がいなければ心を荒ませてしまう王など、情けないだろう?」
王は孤独なもの。そんなことを、誰かが言っていた気がする。
だとしても、孤独を辛いと感じるかどうかは、人それぞれなのだ。
「突拍子のないアイデアを聞いても、長々と惚気話を聞かされても、真剣に応えてくれるのは、お前しかいないんだ」
国王は顔を上げて、まっすぐに私を見つめた。
「二度と会えなくともいい。せめて近くにいてくれ。そして、初めて私に、君を支えさせてくれないか」
初めて知った彼の心情と、初めて見た素直な姿。
決めたはずの覚悟は、諦めではなく、新たな指標へと変わった。




