11話 覚悟を果たす時が来た
ある晴れた昼下がり、ダニエルが授業を終えるまでの時間に、私はリリーとお茶を飲んでいた。
時が経つのは早いもので、彼は既に三歳を迎えていた。学習スピードと発達が速いらしく、もう初等教育並みの計算力と理解力を持っているらしい。聡明そうな目をしていたな、と、そこまで昔でもないことを二人して懐かしむ。
ふと、リリーが顔を上げた。
「魔道具造りは順調ですの?」
「難航しているよ。やっとスタートに立ったあたりかな」
当初の目的に着手してもいいと思えるほどの、魔道具に対する知識と技術をジャスパーは身につけたから。
彼との生活は順調に進んでいた。
最初はもう(同じ王城の範囲内で起こったことなのに)、朝帰りだと騒がれたが、今はもう「魔道具造りに集中しているのね」とあまり気にされないようになっていた。みな適応が速い。有難い限りである。
昨夜も朝から昼だけでなく、夜にも抜け出したところだ。それでも、誰にも何も、言われない。
優美な香りの立ち込めるカップへと指を伸ばし、言葉を続ける。
「どうして急にそんな質問を?」
「昨夜、森の方に歩いていく姿が廊下から見えましたよ」
「ゴフッ」
「あらあら!」
まさか見られていたとは。そして、そのことが話題に挙がるとは。
差し出されたハンカチを大丈夫だからと返し、息を整える。
「もしかして、何かありましたのね?」
彼女の鋭い指摘に、何も飲んでいないのに吹き出しそうになってしまった。
「何もないよ。ただ、見られていたのが恥ずかしかっただけ」
「そうですの?」
「ああ。努力する姿を見られるのは……ちょっとね」
これは本当のことである。特にリリーの前なら尚更だ。
「わたくしには見せてくださってかまいませんのよ。お友達ですもの。陛下も同じことを思っていらっしゃいますわ」
「そうか、ありがとう」
「ええ。ですから、何かあったら頼って下さいませ」
「そうさせてもらうよ」
数は少ないが、私は本当に、いい友達に巡り会えたと思う。こうしてお茶会に誘ってくれて、細かい変化に気づいてくれる。
一口紅茶を飲んで、ソーサーの上に戻した。その時、扉がノックされた。
入ってきたのは、友人と同じ色の瞳を持ち、別の友人に似た髪質の、小さな小さな王子様だった。
「ははうえ、アカシアさま。じゅぎょうがおわりました」
「お疲れ様」
「頑張ったな」
「はい。なので、けいこをつけてください」
ダニエルは近くの棚から小さな木剣を取り出した。
「大丈夫?」
「え?」
「最近、なんだか食欲がないようですから。疲れていらっしゃるのではなくって?」
確かに、ほんの少し食べる量が少なくなった気がする。体も重い。もう歳なのだろうか。
それか、夜更かしをし過ぎたか。あとは、無茶をし過ぎたか。
(でも、昼からするのは、顔がよく見えて好きじゃないんだよなぁ)
だが、最近疲れやすいのは事実。魔道具造りは長い期間が必要そうだし、体が壊れる前に休んだ方がいいかもしれない。
こちらを見上げて待っているダニエルへと、視線を移した。しかし、そこに彼の姿はなくて。
「あれ? ダニエル?」
「彼なら図書室へ行きましたわ。調べたいものを思い出したと言っていましたわ」
「そ、そうなのか」
ふと、ダニエル用の本棚に置かれていた本が目に入った。科学的な単語がチラホラ見受けられる。
(文武両道の王子様か。どんな王様になるかな)
彼は突拍子もない戦略を見せる。楽しみにしていたので、少し残念だ。
三時間くらいなら余裕で動けたのに。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アカシア様」
耳元でジャスパーが囁く声がして、私は目を覚ました。
「最近眠そうですね」
「ん? あぁ、すまない」
顔を起こすと、ネジがコツンと床に落ちた。魔道具造りの最中に寝落ちしてしまったらしい。
鏡に目を向けてみると、頬に手の跡がくっきりと残っていた。
「俺が取りますよ」
私が膝を立てるより早く、ジャスパーが立ち上がった。
「どうぞ」
「ありがとう」
ネジを受け取ると、彼は嬉しそうに目を細めた。私も微笑んだが、すぐに欠伸が出てしまった。
やはり眠い。昨夜は眠れたはずなのに。また、今は昼下がりだ。夜にはまだ早い。
「どこか体調が悪いのでは……今日はもう帰られますか?」
「うーん」
確かに、胃のあたりがグルグルして気持ちが悪く、体が重くてだるい。しかし、押していた仕事を終わらせて、ここへは一週間ぶりに来れたのだ。休みたいが、まだ一緒にいたい。
「いや、ここで少し休んでから帰る」
「わかりました。ベッドに横になりますか?」
「ああ、そうす――」
「わっ」
立ち上がったその時、脳が揺れた心地がして、体がふらりと脱力した。ジャスパーが支えてくれなかったなら、この場に崩れ落ちていたかもしれない。
抱かれたままベッドへ転がされる。
「やっぱり、様子が変ですよ。ちゃんと休まれていますか?」
「……どうだろう」
仕事に追われていた七日間は微妙だが、睡眠は取れている方だと思う。むしろ、取り過ぎているくらいだ。
誤魔化すように体を横に倒すと、ブランケットがかけられた。
「自分の体を大切にしてあげて下さい」
「君が言うか」
「えっ」
「冗談だよ」
振り向いてクスクスと笑えば、ショックそうな顔をしていたジャスパーは、聖母のような微笑を浮かべた。
次いで、私の頭を撫でた。いつもは私が撫でるので、どこか落ち着かない。
「貴女は俺にとって、唯一無二の存在なんです。自分を大切にして、どうか、俺を置いていくなんてことはしないで下さい」
「それは私もだよ」
縋るような彼の目つきに、私は彼の頬を撫でた。反射的に彼の目が閉じられる。その姿がかわいらしくて、いじらしくて、私はそっと、彼の手に、触れるだけのキスをした。
「おやすみ」
「おやすみなさい。いい夢を」
閉じた瞼に落とされた柔い感触が、私を夢へと送り出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
食堂に肉や野菜、トマトソースやチーズの匂いが、嫌といいうほど立ち込める。
いつもなら意気揚々として食べるはずのシチューが、まったく美味しそうに見えない。いや、視覚では美味しいと捉えているのだが、胸の辺りが渦を巻いて拒否をするのだ。
「今日は帰ってくるのが早かったな」
シチューの皿を眺めていると、国王がナプキンを手に話しかけてきた。
「ああ。疲れているみたいで、作業が捗らなかったんだ。今日は早く寝るつもりだよ」
「本当にそれだけか?」
「ああ。だから、今日は昼から夕方まで小屋で寝ていたよ」
彼に嘘はついていない。いつもと同じで、ただ、言っていない情報があるだけだ。
「ここ最近、眠ってばかりではなくって? わたくし、心配だわ」
本当に心配しているのだろう、こちらを見やるリリーの目と眉尻は下がっている。
「食欲もないようだし、仕事を止めようか?」
「それがいいかもしれませんわね。体調がよくなるまでお休みなさっては?」
どこまでも優しい二人の言葉に首を振る。
「大丈夫だよ。妻としての役目を果たさない代わりに、他の仕事はすべてする。それが、国王である君と決めたことなんだから」
この取り決めは、自分がその役目を断った罪悪感を薄めるためのものでもある。故に、この仕事を手放したくはない。
覚悟を果たす時までは。
最初は役目を果たそうとした。しかし、無理だった。二人して無理無理と頭を振ったし、見つめ合えば笑ってしまうし、触れられても「これじゃない」感がすごかった。そしてなにより、気まずくて仕方がなかった。ストレスでお互い吐きそうだった。
要するに、友達としては最高の相性だったが、体は別だったのである。
「アカシア。それはお前が提示したことで、いつだって内容を変えてもいいんだよ。ただの口約束なのだからな」
うんうん、とリリーも頷いて同意する。
「これは私のためでもあるから、大丈夫だよ。ご飯も食べられるしね」
ほら、と言わんばかりに、私はシチューをすくい、口へ入れた。――が、カランと音を立ててスプーンが床で跳ねた。
「うっ」
スプーンを持っていた手は、私の口を塞いでいる。
気持ちが悪い。胃を中心とした体全体で、拒否しているみたいだ。
何も込み上げてきていないのに、吐きそうで仕方がない。
「まさか……」




