5話 素直で、いじらしい
濡れた土のにおいと、じんわりと首にまとわりつく湿気。
今日の首都は、一足早い梅雨が来たようだった。
「すまない、遅くなった」
傘を閉じ、鍵のかかっていない小屋へ駆け入る。すると、中で待っていたジャスパーが立ち上がった。
綻んだ彼の表情に、私の広角も自然に上がっていく。
「いえ。もしかして、お友達の息子さんに引き止められていたんですか?」
「ああ。宝石を見せる手を止めたら、まだ見せろと手を掴まれた。まだ一歳になって間もないというのに、彼の観察眼には驚かされるよ」
「かわいいですね。あ、じっとしていてください」
私から受け取った濡れた傘や上着を側へ退けて、ジャスパーが頭へと手を伸ばしてきた。
「急いでくださったんですね。こんなところに葉っぱがついていましたよ」
彼の指は濡れてしおれた若葉を掴んでいる。
リリーの部屋からは木が見える。風に運ばれて入ってきたのかもしれない。
「雨だろうと、君は休まず来るからな。待たせたくなかったんだ」
「でも、アカシア様が風邪をひいて死んでしまったら、それこそ一生後悔します」
「自分のせいだー、って?」
「はい」
「……今のは冗談だったんだけど」
「でも当たっていましたよ」
なんの躊躇いもなく頷かれると、戸惑ってしまう。やはり、慣れないことはしないに限る。
「そういえば、また鍵が開いたままになっていたよ」
「あっ! ごめんなさい」
ジャスパーは頭を下げた。
耳が垂れてしまった頭に手を置き、撫でてやる。
彼には合鍵を渡してあった。雨が降ろうと、風が吹こうと、雪が積もろうと、嵐が来ようと、いついかなる時も小屋にやってきたからだ。天候が悪い日は来なくてもいいと言ったのだが、「貴女に会えるなら、どれだけ待っても構いません。行かなくて後悔するなら、会える日までずっと待っていたいんです」なんてことを言うので、諦めたのである。
故に、彼と会う頻度は週一からほぼ毎日に増えていた。
とはいえ、夫婦関係以外の仕事はきっちりとこなしているため、忙しくて週に一日しか会えない日も度々あるが。
王妃の身であるのに魔物と密会するなど、という罪悪感は感じている。誰かに隠し事をしたこともなかったし、隠すものもなかった私は、初めての秘事にひどい緊張を覚えもした。
それでも、やめられなかった。
「次から気をつけてくれたらいいよ。でも、これは君のためでもあるから、注意して。わかった?」
「気をつけます」
「よし。じゃあ昨日の続きから始めようか」
続き、とは魔道具造りのことである。
この小屋は狩猟道具、魔道具、工具、調理器具など、自身の趣味のために建てられたものだ。その気になれば生活を営むことも可能だろう。今までは一人で楽しんできた。
しかし、私は彼に魔道具造りを教えることを決めた。彼がたまたま見つけた魔道具に興味を示したことがきっかけで、熱心に、そして素直に読み書きを学ぶ姿に嬉しさを感じていた私は、悩むことなく「教えようか」と提案したのだ。
私はジャスパーの頭から手を離し、陳列棚へと目を向けた。
しかし、道具はなかった。不思議に思って彼へと目を向けると、彼は恥ずかしそうに頭をかいた。
「実は、もう用意してあるんです。貴女とのこの時間が、楽しみで……」
「ありがとう。じゃあ、始めようか」
「はい」
嬉しそうに微笑んだ彼に微笑み返し、魔道具の置かれた机へと向かった。
彼は生徒としても、パートナーとしても優秀だった。底を知らない探究心、常識に縛られない柔軟な発想、細かな気遣い、熱心ゆえの集中力。水を吸う、乾いたスポンジのようだった。
気弱だが、質問はしてくれる。アイデアがあったら伝えてくれる。議論が捗ることもあった。そのため、彼との魔道具造りは、一人で造るより、よっぽど楽しかった。
彼は、私が私が魔道具造りにはまった理由も理解してくれた。
一つ目は、魔法が使えない人間(魔物)でも、魔法の真似事ができること。
二つ目は、未知の可能性に気付き、様々な可能性を解き明かしていく楽しみがあること。構造は簡単なものから、複雑なものまで多岐にわたる。効果だって様々だ。これが一番の理由かもしれない。
もしかしたら、どんな願い叶えることができるかもしれない。なんて、夢のような希望が湧いてしまうほどに。
(そういえば)
ある疑問が浮かび、私は工具をいじる手を止めた。
「どうしましたか?」
「少し気になったんだが、もし、願った通りの魔道具を造る技能が今の君にあったとしたら、どんな魔道具を造りたい?」
「願った通り……なんでもいいんですか?」
「ああ。夢は自由だからな」
「なんでも……」
ジャスパーは工具から手を離し、魔道具をじっと見つめた。
核に用意したレッドジャスパーが、部屋の明かりを反射してオレンジ色に光る。
「俺は……この世界が平和になる魔道具を造りたいです。できることなら、人間も魔物も、いがみ合うことなく、仲良く暮らしたい」
人間には嫌な記憶があるはずなのに、彼が語った夢は広大で、あまかった。
彼は、ある組織の実験によって生み出された存在らしい。具体的な内容はわからないらしいが、複数体の魔物を使って一からつくられたと言っていた。逃げ出した先で私と出会ったらしい。だから、人間の言葉を話せたのだ。
「なら、叶えよう」
締め付けられるような思いを胸に、ジャスパーの手を握ってそう伝えた。
「でも、きっと難しいですよね……簡単にできたら、既に広がっているはずですし」
「魔物の気持ちがわかる君と、ただの人間の私がこうして仲良くなれたのだから、きっと、不可能なんかじゃないさ」
魔道具自体、長い歴史の目で見ればつい最近できたようなものだ。諦めるにはまだ早い。
「私は根っからの魔道具好きだ。それに、君と一緒ならできる気がする。魔物だからとか関係なく、そんな気がするんだ」
「アカシア様……ありがとうございます」
ジャスパーはうっすらと目に涙を浮かべて、花のように笑った。
心がじんわりと温まる。
「まずは、もう少し魔道具について知って、造り慣れてからだね」
「はい、頑張ります」
「その意気だ」
私はもう一度、触り心地のいい黒髪を撫でた。
視界の先で、ようやく艶が出てきた尻尾が揺れる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「また何かありましたの?」
「えっ?」
ミルクっぽいにおいが雨に混じる、甘やかな香りを漂わせた部屋で、ダニエルを抱き抱えたリリーが尋ねてきた。
「最近よく王城にいない上、夜中まで起きていらっしゃいますから」
「造りたい魔道具があって、つい調べてしまっていてな。これほどの熱は久しぶりなんだ」
「ふふ。ならよかったですわ。でも、夜更かしは体によくありませんから、ほどほどにして下さいませ」
「そうだな。善処しよう」
紅茶を含むと、疲労効果があるからか、いつもより香りが感じられた。
リリーも椅子に座り、カップを持つ。
「アカシア様はわたくしがここへ来た時から、お仕事を頑張っていらっしゃいましたわね。そのお陰で、なんの苦労もなく過ごせています」
突然真面目な語り口調になったリリー。突っ込まずに先を聞いてみる。
「でも、もうこの生活に慣れましたわ。だから、わたくしにも仕事を手伝わせていただけませんか?」
「何を言うのかと思ったら……いいんだ。私は政務を、君は王の妻としての役目を。今まで二人で妻の役割を回してきたのだから、これからもそれでいいじゃないか」
「でも、あまりにもバランスが悪い気がしますわ。目にクマができていますもの」
鏡を渡され見てみると、確かに茶色いくまができていた。
「私は趣味の時間もたっぷり取れていますわ。もう少し私にも仕事をくださいませ」
「まだ一歳だろう? もっと休まないと」
そう言って紅茶を飲むと、リリーは頬を膨らませた。
「では、貴女が普段どんな仕事をしているのかだけでも教えて下さいませ」
「うーん」
「このままだと私、申し訳ないストレスで弱ってしまいますわ」
「そ、そんなになのか?」
リリーはリスのような姿のまま頷いた。
私はため息を吐き、カップをソーサーに置いた。
「わかった。仕事の内容だけでも教えよう」
「ありがとうございますわ!」
「君のそんな大きい声、初めて聞いたよ」
そう言えば、リリーは嬉しそうに笑った。
(私だって、仕事くらいは完璧にしておかないと、申し訳なさを感じるんだけどな)
ふと、視線を感じて、紅茶へ向けていた視線をリリーへと戻した。
しかし、彼女はクッキーを食べていた。視線を向けていたのはダニエルだったようで、ジーッと真顔でこちらを見つめてくる。
(すべてを見透かして来そうなこの目を、たびたびしているんだよなぁ)
将来どのような王子になるのか、楽しみでもありつつ、不安でもある。
ダニエルから視線を逸らし、窓の外を眺めた。曇っているだけで、雨は降っていない。
「あ」
そういえば、彼の服は少し濡れていた。小川で洗っているのか、ある程度は清潔に見えるが何時も同じ服を着ている。もしかして、もしかしなくとも、彼は服を一着しか持っていないのかもしれない。
「また楽しそうな顔をしていますわ」
「えっ? あぁ、来週辺り、少し出かけようかと思って」
「どこに行かれますの?」
「一度家に戻ろうかと思って。日帰りで行ける距離だからね」
「あら、いいですわね」
「だろう?」
早る気持ちを隠すように、私は紅茶を飲み干した。




