19話 怒涛の展開とついにやってしまった殿下
ビーシュの姿が変わり、ダンの纏う雰囲気もより濃いものへと変化した。威圧する彼の瞳には混乱の色が混じっている。
「クレナ、さん?」
ルミナスたちの横からラルフの声が聞こえて来た。彼はダンよりも分かりやすく困惑を露わにしており、少しずつ後ずさっていく。
「どうして、母上に使えていたお兄さんが……」
ラルフの呟きに、ビーシュはクスリと小馬鹿にしたように笑った。ダンの持つ剣がより近付く。
その時、セレナがはっと顔を上げた。背後からミシリとした音が聞こえ、ルミナスは振り返る。闇魔法の縄を引きちぎった魔物が、二階へと登り切った姿が目に映った。怒りに満ちた赤い瞳に。
「!」
鋭い爪がルミナスへと伸び、ダンとセレナが切先をビーシュから動かす。
しかし、魔物の爪が引っ掻いたのは、ルミナスではなくビーシュだった。あと少しダンたちが離れるのが遅かったら、ビーシュの反射が遅れていたら、きっと彼は血を吹き出して倒れていただろう。
ビーシュが顔にやった手の隙間から、赤い血がポタポタと垂れていく
「パパやめて! 正気にもどって!」
「グルルルル」
魔物は威嚇をやめない。
(でも、止めようと抱きついているラルフ様を襲わないということは、彼はもう、正気に戻っている?)
「フッ」
ふと、ビーシュが声を上げた。そして、堪らないといった様子で高笑いを始める。
彼の不審な行動に、ダンも、ルミナスも、セレナも警戒の姿勢を強めた。先ほどからシュヴァルツと壁際で睨み合っていたディランでさえも、視線を微かに動かした。
「うっ」
刹那、シュヴァルツがディランを跳ね除けた。ディランがよろめいた隙にビーシュの元へと駆け寄る。
側に寄ったシュヴァルツをチラと見て、ビーシュは再び愉快気な笑を浮かべた。
「そうやってすぐに冷静さを欠くから、あのようなことになるのですよ」
「あのようなこと?」
ルミナスが尋ねたその時、魔物が再びビーシュへと襲いかかった。しかし、ビーシュはそれを杖でいなした。すぐさま電流が魔物に落とされる。
「パパ!」
「ラルフ!」
「はなして!」
「感電するかもしれないでしょう。触ってはいけないよ」
「でも、っ」
駆け寄ろうとしたラルフの肩を、ダンが手を置き止めた。
ラルフはグッと唇を噛み、うめき苦しむ魔物を悔しそうな目で見つめた。袖を握る彼は、今にも泣き出しそうだ。
「相変わらず動きが単純なんですよ」
「気をつけろ。殿下は妙な魔法をお使いになるからな」
逆転とまではいかなくとも、形勢が変わったと、そう思っているであろうビーシュに、シュヴァルツが耳打ちをした。
「妙な魔法。まさか、それがラルフが魔物と共に戻ってきた理由で――」
ビーシュが言い終わる前に、彼とシュヴァルツの首に再び剣が突き立てられた。光の鎧が持つ剣だ。
会場にも出現させたのだろう。貴族たちの悲鳴が再び上がっている。
「なるほど、これですか」
「闇魔法で打ち消そうと、いくらでも出して差し上げますよ。魔道具とは違い、効果は実証済みです」
「この大陸全土を滅ぼせるくらいにはな」
ダンはニコリと微笑んだ。次いでディランも真顔で補足する。
「そのようなお力、殿下にはないはずでしょう?」
「僕の現付き人である貴方に、すべてを見せていたとでも?」
「えっ、兄さんの? どういうこと?」
「そのままだよ。君がいなくなった後に、彼は僕の付き人に選ばれたんだ。あの日、彼はアカシア様から目を離したことを責められたけれど、仕事の腕は確かだったから。でも、そうか」
ダンはふぅ、と息を吐き、ビーシュを真っ直ぐに見据えた。
「貴方が彼女を殺害したのですね。それも恐らく、僕に扮して。なら、クレナは偽名ですか」
彼の衝撃発言に、ルミナスたちは息を呑んだ。
ラルフが当時見たのは、白髪を持つ男性の後ろ姿だった。顔は見ていない。
また、認識阻害魔法を応用させたなら、別の人物に見た目を似せることもできるのかもしれない。ビーシュなら、頻繁に王宮と離宮を行き来するダンの頭髪を見つけることも容易いだろう。
衝撃に固まっていた頭をビーシュへと向けると、彼は焦りを見せながらも未だ微笑みを称えていた。
「御明察でございます、殿下」
「!」
ダンに肩を持たれたままでいたラルフがビクリと体を震わせた。ショックで何も言えず、立ち尽くしてしまっている。
事件がいつ起こったのかまでは聞いていないが、数年は経っているだろう。その間、彼はずっとダンが犯人なのだと、仲良くしていたはずの兄が犯人なのだと思い込んでいたのだ。そのことに疑問を感じ、悔やみきれないでいたとしても。
「続きは然るべき場所で聞きましょう」
「いかがするおつもりで? ここはオブシディアン帝国。アメトリア王国の警備隊が乗り込むためにはまず、皇帝陛下へ許可を得る必要がありましょう。殿下の現れた時間から考えて、ヴァールハイト家からすぐに追いかけて来たのでしょう? 今から許可を得るまでに殿下の魔力が切れるのでは?」
ビーシュは挑発的な眼差しで首を傾げた。しかし、ダンも負けずに冷ややかな瞳で微笑んだ。
「もう得ていますよ」
ダンがそう言った途端、光の鎧たちが消えた。代わりに外から流れ込んできたのは、武装した警備兵たちだった。
アメトリア王国とオブシディアン帝国、両国の国旗が窓の外から揺らめいている。
血相を変えてビーシュは階下を見下ろした。そこでは警備兵たちが貴族たちを捕まえていた。粉塵が二階にまで舞い上がってきている。
「おかしい! 帝都からここへは馬で二時間はかかるはず!」
「こうなることを見越して、あらかじめ兵を呼んでおいたんです」
ふと、ダンのカフスボタンがキラリと光った。よく見てみれば、側面にスイッチのような出っ張りがあるとわかる。
「間違いが起こっていたら問題じゃないですか」
「その時は、彼女を攫った犯人の、より大規模な罪を見つけて差し上げるだけです」
「罪をでっち上げるとは、王族とは思えない発言ですね」
「貴方のおかげでその必要がなくて、なによりです」
憎たらしげにビーシュはダンをひと睨みした。しかし、階段を駆け上がる兵たちの足音が聞こえ、ビーシュは顔を逸らした。そして舌打ちをする。
その時、バキバキと何かが折れるような音がルミナスの耳に聞こえてきた。下からだ。
「えっ、ラルフ様のお父上って……!」
顔を向けると、そこには、初めて出会った日のように、いや、それ以上にボロボロになったジャスパーの姿があった。彼からは狼の尻尾と鋭い爪が生えており、程なくして消えてしまった。
「パパ!」
ラルフがダンの手から離れ、ジャスパーへと抱きついた。もう電流は抜けたようで、彼へと抱きつき涙を流している。
セレナがジャスパーの元へと寄った。回復させるためだろう。
しかし、彼女がラルフに説明しようと手を伸ばした瞬間、乾いた音が辺りへ響いた。
(えっ)
音のした方へ振り向き、ルミナスはギョッとした。
何故なら、ディランがシュヴァルツの頬を往復ビンタしていたからだ。なんの抵抗もしないからか、既にシュヴァルツの顔はパンパンだ。
「さっきから飄々とした態度でいておきながら、彼奴の父親が無事だと分かったら『よかった』だと? 自分のことは棚に上げるつもりか、この犯罪者!」
「ちょっ、ちょっとディラン! 待ちなさい!」
ルミナスは慌ててディランの腕を掴んだ。ビンタは止んだが、代わりに胸ぐらを掴んで揺さぶり始めた。
「何故なにも言わない! お前はいつだってそうだ!」
「!」
ディランの悲痛な叫びに、シュヴァルツは目を見開いた。しかし、苦しげな表情で押し黙ってしまう。
「俺が何も知らない子供だと、本当に、今でも思っているのか?」
そう吐き出すように言ったディランもまた、苦しそうだった。そして、悲しそうで、悔しそうだった。
「それは、どういう――!」
シュヴァルツがようやく口を開いたその時、ついに扉が開かれた。
「ダニエル殿下!」
警備兵がなだれ込んだこの場所に、もう、シュヴァルツはいなくなっていた。
ルミナスはというと、ディラン、セレナ、ラルフと共に空いた口が塞がらないでいた。扉が開く、たった数秒の間に起こった出来事に。
ダンが光魔法の波動を使い、シュヴァルツを窓の外へ吹き飛ばしたからだ。
たいへん爽やかで、貼り付けたような、穏やかな微笑みを浮かべて。
(ダッ、ダンーー?!?!)




