17話 手折られたアカシアの花
ルミナスは足を退け、ラルフへと優しく声をかけた。
「シュヴァルツ様かと思ったのよ、ごめんなさい。怪我はない?」
「う、うん。ぼくもごめんね、びっくりさせちゃって」
「いいのよ。ところで、出会ったばかりで悪いのだけれど、体を起こすのを手伝ってもらってもいいかしら?」
「あっ、うん!」
「ありがとう」
ラルフは頷き、ルミナスの背中を手で押した。そのお陰でなんとか状態を起こすことができた。大粒の石が腕に食い込み痛かったが。ということは、ここはおそらく一階だろう。
「それで、貴方はどうしてここにいるの?」
そう尋ねると、ラルフは眉を下げて頭を振った。
「お兄さんが怒ってぼくを入れたの」
「お兄さんさん? ダン、じゃなくて、ダニエル殿下以外にもご兄弟がいるのね」
「ううん。お兄さんはぼくを育ててくれている人だよ。いつも名前を教えてくれないの」
足を引き、ラルフはぐすりと鼻を鳴らした。
「こんなこと初めてで、ぼく……」
ラルフの目からみるみるうちに涙が溢れだす。拭いたくても、手が後ろにあるためできない。
(どうしましょう……そうだわ! 魔法で花を)
「ツッ?!」
「お姉さん?!」
魔法を使おうとした刹那、燃えるような痛みが手首に走った。顔を歪め、肩越しに手枷を見てみる。
ラルフが泣いている顔を上げ、駆け寄った。
「たいへん! お姉さんの手、赤くなってる!」
彼の言う通り、手枷あたりの皮膚が赤く変色していた。すぐに魔法を収めなかったなら、さらにひどい火傷を負っていたかもしれない。
(この手枷も魔道具なの?)
だが、このようなものは初めて見た。警備隊でさえ使っているかどうか怪しい。
(どのようなものなのか、壊せるのか、確かめないと)
「少し離れていてもらえるかしら?」
「う、うん。何するの?」
「これがどんなものなのか確認するだけよ」
安心させるように微笑むと、ラルフは心配そうな表情で離れた。
ルミナスは試しに小さな火魔法を出してみる。手枷から水魔法が出、鎮火されてしまった。
次に水魔法を出してみたが、草が生え、腐り落ちてしまった。おまけに腕を締め付けてくるときた。
(使った魔法を打ち消す属性で返してくるのね……なら、闇属性を出したらどうなるのかしら)
ルミナスはそっと小さな闇魔法を放つ。その瞬間、黒と白の光を放ち、電流のようにビリビリと流れた。
すぐさまやめるも、まだ手に痺れが残っている。
(ほんの少し出しただけでこの威力……! 手枷はビクともしていない。困ったわ)
これ以上使ったなら、腕や手に火傷跡、締め跡が残るだけでは済まないだろう。
「ごめんなさい。魔法を使って脱出しようかと思ったんだけど、難しそうだわ」
そう告げると、ラルフは涙を湛えながら顔を振った。
「……ぼくも魔法を使えたらいいのに」
「あら、そうだったのね、」
「うん。でもね、その代わり魔物とお話しできるんだよ」
「充分すごいじゃない。魔物の血が混ざっているからかしら」
「どうしてそのことを知っているの? 耳は隠しているはずなんだけど」
「あっ」
最後の言葉は呟いただけだったというのに、聞こえてしまっていたようだ。
「えぇと……ごめんなさい。殿下から聞いたのよ」
「兄さんから?」
ラルフはむっとした表情をしている。その理由はなんだろうか。
「そうよ。仲がよかったとも話していたわ。この前だって、貴方に対して威嚇したことを後悔していたのよ」
「……うそだ」
またラルフの目元に涙が浮かぶ。ふと、視界の端、窓の外から何かが煌めいた気がした。
しかし、ラルフへと視線を戻す。
「どうしてそう思うのか、教えてもらってもいいかしら?」
「でも、お姉さんは兄さんの仲間だから」
「貴方とも友達になりたいと思っているわ」
「…………」
ラルフは無言で俯いている。しかし、その瞳には微かに迷いがあるように見えた。次いで肩が震え出した。
「……兄さんは、母上を……母上を、ころしたんだ」
「えっ?」
そう言って、ラルフはぐすぐすと泣き出してしまった。ルミナスは衝撃発言に固まるも、すぐさま意識を取り戻した。
(おかしいわ。ダンから聞いた話と違う。それに、なんのメリットもないのに、殿下がそのような罪を犯すとは思えないわ。詳しく話を聞く必要がありそうね)
「殿下なら女装するなり、他の人間を利用するなりすると思うのだけれど、まさか、犯行現場を見たの?」
そう尋ねれば、ラルフはコクリと頷いた。
「ぼくだって、おかしいとは思ったよ……でも、確かに見たんだ。白い髪をした人が、母上を刺していた姿を。すごい血が出てた。夜だったけど、月の光がでていたから見えたんだ」
「ラルフ様……」
幼い頃にそんなものを見て、ショックを受けないはずがない。ルミナスはそっとラルフに寄り添った。
(白い髪の人、ねぇ)
やはりルミナスにはダンの犯行には思えなかった。普段から離宮へ行っている彼なら、夜に使用人が見つけても怪しまれることはない。犯行は簡単だろう。
だが、やはり彼の姿のまま犯行に及ぶほど彼は間抜けではないだろう。返り血も浴びてしまうだろうし、姿を変えるはずだ。
(それに、幼い頃に人を殺せるのなら、神殿で創造主の言葉に苦しまないはずよ)
後悔だってしないはずだ。
「貴方のお母様の名前を聞いてもいい?」
「……アカシアだと思う。名前にふさわしい美しい黄色の瞳をしてるって、誰かが話してくれたの」
「素敵な名前ね」
小さくて丸い黄色の花をたくさんつける植物だ。そういえば、王宮と学園にも咲いていた気がする。
「優しかったんだよ」
ラルフがそうポツリと呟いたその時、ほんの一瞬だけ、背後から光が差し込んだ。
「ルミナス様」
「殿下?!」
顔を上げると、ダンが窓の外にいた。目が合うと安堵したような表情を見せた。
「どうして此処にいるとわかったのですか」
「ルミナス様と別れたあと、違和感を感じて部屋へ戻ったんです。そうしたらどこにもいないものですから……よかった。光の鎧も使って探し――ラルフ」
ダンの視線が端へ移った。その先にいたのはラルフのようで、ダンの目が微かに見開かれた。隣に座っているラルフが肩を揺らした。
「……怪我はないか」
「えっ」
ダンの言葉に、ラルフは戸惑いの色を見せた。憎みきれていないあたり、もしかしたら彼もダンが本当に罪を犯したのか、疑っている部分があるのかもしれない。
「ぼ、ぼくよりもルミナス様の方が」
少し黙ったのち、ラルフは口を開いた。ダンの視線がルミナスへと戻る。
「時期にディラン様とセレナさんも来るはずです。窓を壊したら回復を――」
ダンは言葉を切った。牢屋の先から足音と声が響いてきたからだ。どこかで聞いたことのある声だ。
ルミナスは慌てて立ち上がり、ダンの耳元へと口を寄せた。
「殿下。もしかしたらアカシア様の事件について何かわかるかもしれません。少しの間様子を見ていてくださいませんか?」
「ですが、怪我をなさっているのでしょう」
「ですが、このままお二人が仲違いをしたままは嫌ですわ」
「それは……わかりました。貴女はそういう方でしたね」
「そういう?」
どういう意味かと尋ねると、ダンは上着のジャケットから小さな宝石を取り出した。アメトリンの嵌め込まれた指輪だ。
「指輪に見せかけた魔道具です。これには僕の魔力が込められていて、居場所がわかるようになっています。側面にあるスイッチを押したら駆けつけますから」
「わかりましたわ」
「どうか、無茶だけはしないでください」
ルミナスが頷くと、ダンは窓から離れた。背後からコツコツと足音が聞こえてくる。
「お兄さん? どうして手に縄を持っているの?」
ラルフのどこか怯えた声に、ルミナスは振り向いた。
「へぇ。貴方、シュヴァルツ様とも関わりがあったのね。……いいえ。ヴァールハイト家も手を染めていたと言ったらいいかしら?」
お兄さんと呼ばれた人物は、ルミナスがかつて魔物オークションで捕まえたはずの商人だった。




