9話 お前もか、シュヴァールツ
窓から覗く暗い夜空に、満月がぽっかりと浮かんでいる。
少しの間眺めたあと、ルミナスは深呼吸をして扉を叩いた。
「どうぞ」
扉の奥から聞こえてきたのは、ディランによく似ているが、さらに低く、圧のある声だ。
「し、失礼いたしますわ」
扉を開けると、メガネをかけたシュヴァルツが、書類に目を通していた。彼の側には執事が控えている。
「爺やから貴女が訪ねてくることは聞いています。どうぞ、ご自由におかけください」
「ありがとうございますわ」
ルミナスがソファに座ると、シュヴァルツもメガネを外して反対側へと座った。
(や、やっぱり怖いわ!)
ナイフのように尖った瞳から、ルミナスはそっと目線を逸らした。だらだらと冷や汗が出ている気がする。
ああ。初めて会った日のディランが、彼との比較でかわいく思えてくる。
(でも、どうしても気になるの。しっかりしないと)
ルミナスは密かに息を吸い、気を引き締めた。目的を達成するためには、余計な緊張は除かなければならない。
「いかがされましたか?」
「少し、お聞きしたいことがあって来ましたの」
「なんでしょう?」
ルミナスはニコリと微笑んだ。そうしないと、心臓が口からまろび出そうだったからだ。
(丁寧な口調で話されても、ディランとの会話が思い起こされて、結果的に威圧感を感じてしまうのよね……)
そういえば、ディランは相手が同じ公爵家だろうと、王族だろうと、口調を変えることはなかった。本来はシュヴァルツの扱い方が正しいのだが、どうして兄弟でこうもわかりやすく、口調の扱い方が別れたのだろう。
(まずはディランとの関係から聞いた方がよさそうね。聞く予定をしていた内容も、彼と関係しているし)
「その、シュヴァルツ様は、ディラン様のことをどのようにお考えですか?」
シュヴァルツの片眉が、ほんの一瞬ピクリと動いた。
「どのように、とは?」
(き、機嫌を損ねてしまったしら?)
笑顔を貼り付けたまま、逃げ出したい衝動を抑える。
「そのままの意味ですわ。学園でのディラン様との会話では、お二人は普通の兄弟のように感じましたの。だから、その、どうして口喧嘩をなさるのか……不思議……で」
顔を背けていたとしても、ジーっと降り注ぐ視線に耐えられず、少しずつ言葉に詰まってしまった。
「私が弟を嫌っているのではないかと、そう危惧しているのですね?」
「そ、それは……」
口調は変わらず穏やかだが、より低くなった声に泣き出しそうになる。
(大丈夫よ、ルミナス。今まで何度も殺されて来たのよ。その恐怖に比べれば、知人の兄なんて怖くないわ!)
ルミナスはパッとシュヴァルツの顔を見た。そしてまた戻す。
(今まで見たどの肉食獣よりも怖いわ!)
「いかがされましたか? 先ほどから顔を横に向けていますが」
「その、少し寝違えてしまっただけですので、どうぞお気遣いなく」
「そうですか。実験の際は大変だったでしょう?」
「ど、どうしてそうお思いに?」
「実験の際、あちこちに指示を出していましたから。頭だけ動かす時もありますよね」
たらりと汗がこめかみに垂れた。首を難なく動かしている姿を見られている、ということか。
「お、お昼寝をしていた時に寝違えたみたいでして」
「そうでしたか」
「え、ええ」
ルミナスはガチガチの笑顔で頷いた。
「なら、もうお帰りいただいてけっこうですよ。明日でも構いませんから」
「(次にこの部屋へくる勇気はないわ!) い、いえ! 今治してみせますので、少々お待ちください!」
「はい?」
ルミナスは立ち上がり、首に手をやった。顔を前に戻す動作をし、再び座る。
「治りましたわ!」
「……貴女は整体もできるのですね」
「こ、公爵家の娘として、当然ですわ! それより、ディラン様のことをどう思っていらっしゃるのか、聞いてもよろしくて?」
「……ふむ」
シュヴァルツは口元を片手で多い、頷いた。次いで、執事に外へ出るよう顎を使って指示をする。
(あー! 私を彼と二人っきりにしないで!)
心の中で執事へと叫ぶも、届くはずがなく。無常にも、扉の閉じる音が部屋に響いた。
「質問にお答えする前に、私も一つ」
「なんでしょうか?」
「さっさと本題に入ってください」
シュヴァルツに影が差し、黒い瞳のみに月の光が反射する。
「気づいていましたのね」
「無駄話は嫌いでしてね。それに、本国へ手紙を送ったそうじゃないですか」
「あら、手紙の送付を監視していらっしゃるの?」
「まさか。たまたま耳にしただけですよ」
二人して微笑み合う。
(仕方がないわね。私だって平和に猫をかぶるのは苦手なのよ。怖くとも、いっそのこと全力で強がらせてくれた方が助かるわ)
「単刀直入に言うわ」
ルミナスは懐から一枚の紙を取り出し、机の上にのせた。
シュヴァルツの視線が冷ややかに注がれる。
「貴方、紅茶に睡眠薬を混ぜたわね?」
正確には、睡眠効果のある薬草の抽出液だ。差し出した紙は、ノアによる紅茶と茶葉の成分分析表だ。紅茶のサンプルは、切り取ったハンカチに含ませて送っておいた。
サンプルを送り、分析してもらい、結果をまた送ってもらう。予想以上に時間がかかってしまったが、結果的に切り出せたのでよしとしよう。
シュヴァルツは分析表を手に取り、クスリと笑った。
「私が混ぜた証拠はないでしょう?」
分析表が床へ落ちていく。
「ええ、そうね。でも、貴方がしたとしても、していなかったとしても、どちみち問題でしょう?」
この家には今、他国の王族が一人いる。彼に睡眠薬が盛られたとなれば、アメトリアも、他の貴族たちも黙ってはいないだろう。
ヴァールハイト家は、国内から、国外から、引き摺り下ろされる。
「我が家を脅すおつもりですか?」
「まさか。理由をお聞きしたいだけですわ」
笑顔で火花を散らし合う。せっかくこの世界が平和へと近づこうとしているのだ。邪魔させるわけにはいかない。
「……では、二つ質問をしても?」
「ええ、どうぞ」
シュヴァルツはため息を吐き、より鋭い眼光でルミナスを見つめた。
「なぜ、睡眠薬が入っていると気がついたのです?」
「理由は簡単。ディラン様の幼馴染が、同じものを私に盛ったからよ。その時の香りと味を覚えていたの」
「ああ、なるほど。どうりで……」
シュヴァルツは口元を手で覆い、何かを思案している。そして、合点がいったように顔をパッと上げた。
(急にどうしたのよ?)
「それはカイルですね?」
「あら、お知り合いでしたのね」
「はい。ということは……」
ジーっと見つめられ、ルミナスは体を離した。穴が開きそうである。
「貴方は、ディランのことが好きではないのですね?」
「......」
(すごく、聞き覚えのある質問だわ)
ルミナスは顔に手を吐き、頷いた。
「好きなのですか?」
「その逆ですわ!」
顔を上げ、シュヴァルツを睨む。
「その質問、カイル様からもされましたわ! どうしてお二人とも、彼の側にいる女性に薬を盛るのですか!」
「貴女には関係ありません」
「あらそう! 彼のことを好きな令嬢を知っているけれど、話す必要はなさそうね。彼女、彼に媚薬でも盛ろうかと話していらっしゃったけ――」
「なんだと?!」
シュヴァルツは勢いよく立ち上がり、ルミナスの顔の横に手をついた。
「それはどこのどいつだ」
ルミナスはクスリと笑い、シュヴァルツの腕を握った。
(かかったわね)
客人を前にしてもディランと言い争いを続けること、彼に対する口調は荒いことから、彼があまり理性的でない性格であると、ルミナスは予測した。
また、爺やが「シュヴァルツ様はディラン様を心配している」と言ったこと、カイルと同じ質問をしたことから、さらにある予測をつけた。
そして、予測を確信に変えるために、ルミナスは自身の口調をわざと荒げたのだ。
「貴方、本当は彼のことが心配でたまらないんでしょう? だから、睡眠薬を彼に飲ませたのよね?」
シュヴァルツはグッと唇を噛み、ルミナスを睨んだ。
「……はぁ」
盛大なため息を吐き、ソファからシュヴァルツは手を離した。自分の席へと力なく座る。
ガシガシと頭をかいたことで、彼にほんの少し前髪ができた。その姿はディランに似ている。
「……私は、彼を傷つけることなどしません」
「どうして?」
「そんなことできませんよ」
シュヴァルツは突然、ソファに戻った。下を向く彼の表情は見えない。
「……天使だと、思ったんです」
「……んっ?」




