挿話 見事なフラグ建築
神殿の壁にハケを滑らせ、模様をメモ帳に映していた手をノアは止めた。ふぅ、と疲れた様子で息を吐く。
「ルミナス様たち、今頃どうしているかな」
「珍しいね、ノア。君が、ここにいない誰かを気にするなんて」
セオドアがノアの後ろでクスリと笑った。彼の持つ箱の中には、書物の修復(&改ざん)を行うために、粉々になった例の本が入っている。
二人は神殿の探索と、この世界が物語だという証拠の隠滅に精を出していた。
そして、もう少しで休憩時間だということを、セオドアは知らせに来ていた。
「あの方は、みずから物事に足を突っ込むところがあるから……」
ボソリと呟いたノアの言葉に、セオドアは「ああ」と眉を下げて頷く。
「事件に巻き込まれる強運の持ち主でもあるよね」
それは、この世界が物語のシナリオから脱却しても変わらないだろう。
「ディラン様も、理由を告げずに行ってしまったし」
「それでも渋々着いて行くところは、ルミナス様らしいというか、なんというか」
今度は二人揃ってため息をついた。
その時、セオドアの頭にある可能性がよぎる。
「ディラン様がルミナス様に告白しているかもしれないね」
「えぇ? それはないと思うんだけど」
「どうしてそう思うんだい?」
「旅、というか帰省? にはセレナさんや殿下も同行しているから。もし告白するなら、二人がいない時かなって」
「なるほど。それで不安には思っていないんだね」
そうセオドアが言うと、再開していた作業の手をノアは止めた。
「不安には思っているよ?」
「それとは別の不安だよ」
ノアは首を傾げた。彼の言う「不安」とは、「旅先で面倒ごとに巻き込まれないか」という意味だろう。だが、セオドアが言いたいのはその意味ではない。
セオドアは幼児に向けるような、穏やかな微笑みを浮かべた。
「ルミナス様のこと、何も思っていないわけではないだろう?」
「もちろん。美しくて、優しい人だと思うよ。黄薔薇って呼ばれているのにも、納得できる」
表現が悪かったかな、とセオドアは苦笑した。
「そうじゃなくて、単純に、彼女へ好意を寄せているんじゃないか聞いているんだよ」
「それってもしかして……恋愛的な意味で?」
「うん。ここまで言ったらわかったようだね」
ノアはほんの少し、瞬きをした。そしてすぐに顔を曇らせる。
「うーん。どうなんだろう? ルミナス様のことは美しい人だなと思うし、一緒にいると穏やかで、ドキドキした気持ちにもなるけど、それって、花たち向ける思いと何が違うんだろう?」
眉間に皺を寄せて思案してしまったノアを見て、セオドアは仕方がないやつだとため息をついた。
「私が言えることではないけれど、私は君が心配だよ」
それでも、変わると決めたあの日よりは、だいぶ進歩している。セオドアの言葉を受けて、ノアは不思議そうに顔を上げた。
「ルミナス様じゃなくて、俺が心配なの?」
「もちろん、彼女も心配だよ」
今ごろ何をしているのだろうか。
帝国ライフを満喫している、魔物と触れ合っている、セレナに振り回されている。様々な憶測が頭の中を行き交う。それか、本当に誰かに婚約を申し込まれているかもしれない。
(ああ、嫌だな)
こんな余裕のない感情、穏やかでない感情は、自分らしくない。
セオドアは頭を小さく振った。その時、探索員の一人が声をかけてきた。
「す、すみません」
「どうしました?」
「その、お二人はここで魔物と戦われたんですよね?」
「そうですが、何か?」
ノアも立ち上がり、息を整えている探索員の言葉を二人で待つ。
「何かと戦った痕跡はあるのですが、魔物がいた証拠が何一つないんです」
セオドアとノアの額に汗が滲む。
「それはおかしいですね。本当に、すみずみまで確認しましたか?」
「はい。何人も同じ場所を――」
「ありましたー!」
「なに?! すみません、確認してきます!」
「はい。行ってらっしゃい」
遠くから別の声が聞こえ、探索員は戻って行った。
姿が見えなくなり、セオドアとノアはこっそりと、安堵のため息をついた。
「ディラン様から頂いた、魔物の繊維が役に立ったみたいだね」
二人の懐に隠されている袋の中には、魔物の毛の繊維が入っていた。探索すると同時にバレないよう撒いておいたのだ。
彼等を騙すことになるが、本の文字がほとんど消えている今、創造主の存在を立証するものはない。隠し通すと決めたのだから、最後まで遂行してみせよう。
(どうか、ルミナス様がなんのトラブルにも巻き込まれていませんように)




