表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/99

4番目 秘密の多い兄

 十六歳の春、セレナはある学園に入学した。


 そして入学式から、今日で一週間が経った。


(なんだか体が重いな……ちゃんと休めてるはずなんだけど)


 机に突っ伏し、ため息をつく。すると、机にドスンッと重いものが乗る音がした。

 慌てて体を起こすと、生徒数人がセレナを見下ろしていた。


「これ、次の授業までに運んでおいてちょうだい」

「流石に毎回は! って、行っちゃった」


 机にできた小さな山を眺め、セレナはため息をついた。


(置いておいたら、困るだろうな)


 結局、教科書を運ぶことにしたセレナは、本の列をぐらつかせながらも廊下を歩いていた。


(視界がほとんど見えない!)


 ハルちゃんが代わりに先を見てくれてはいるが、やはりどこか心許ない。やはり、机の上に置いておいて、自分で持ってくるよう言うべきだっただろうか。

 しかし、そうすれば余計に目をつけられかねない。


「はぁ。これからどうしよう」


 腕に力を込め、曲がり角を曲がる。


「きゃっ!」

「わっ!」


 ドンッと大きな音をたて、列が大きく崩れた。本が数冊、空を舞う。


(頭に落ちる!!!!)


 セレナは咄嗟に自身の頭を庇った。

 ドサドサと本が落ちていく音がする。しかし、セレナの体には何の痛みも感じられなかった。


(あれ? どうして、はっ!)


「大丈夫でしたか?」


 目の前には、翡翠の瞳を携えた、人の良さそうな青年がいた。

 それも、セレナの上に覆い被さって。


「だっ大丈夫です!!!!」

「うっ」

「あっ!」


 セレナは羞恥と混乱のあまり、男子生徒を押し退けてしまった。

 よろけた男子生徒はそのまま立ち上がり、セレナへと笑いかける。


「よかった。怪我はないようですね。よければ手伝いますよ」


 セレナの返答を待たずに、男子生徒は教科書を拾い始めた。


「すみません!」

「構いませんよ。一人でこの量は大変でしょう?」

「あ、ありがとうございます」


 まだドキドキとする胸を抑えながら、セレナは青年と一緒に本を拾った。

 すると、心配するようにハルちゃんが頭の上に乗ってきた。 


「かわいいですね。小鳥を飼われているんですか?」

「そうなんです。小さい頃からずっと一緒で」

「へぇ。いいですね、相棒って感じで。こうして外に出しても逃げないなんて、驚きましたよ。名前は何ですか?」


 男子生徒は教科書を抱え、まじまじとハルちゃんを見つめた。


「ハルちゃんです。元々木の下に落ちていた子で、拾って以来、私の側から離れたことがないんです」

「不思議ですね。触ってみても?」

「大丈夫ですよ」

「ではお言葉に甘えて」


 男子生徒はハルちゃんにそっと指を差し出した。ハルちゃんも大人しく首元を寄せる。


「わっ。思っていたよりも柔らかくて、なんだか緊張してしまいます」

「うふふ。気持ちいいですよね?」

「はい。あと、羽艶がよくて、つぶらな瞳も黒真珠のようで美しいです。いい経験ができました。ありがとうございます」


 青年は朗らかな微笑みを浮かべた。


「いえ! こちらこそ、拾ってくださってありがとうございました」


 本を乗せてもらうために、既に持っていた教科書の列を向けると、男子生徒は不思議そうにそれを見つめた。

 少しして「あぁ!」と合点がいったような声を上げた。


「私も届けますよ」

「えっ! そんな、申し訳ないです!」

「こんな量、拾って終わりになんてできませんよ。どうしても気になるなら、ハルちゃんを撫でさせてくれたお礼だと思って下さい」


 さ、教室まで連れて行ってください、と男子生徒は歩き出した。

 セレナも慌てて後を追うのだった。



「あの時は本当に助かったね、ハルちゃん」

「ピッ」


 先日の出来事を思い出しながら、セレナはハルちゃんと廊下を進んでいた。手にはもちろん教科書の山が。


「名前だけでも聞いておけばよかったかな?」

「ピィ?」

「ふふ、ごめんね。ハルちゃんに聞いてもわからないよね」


 再び視線を前に戻し、歩みを続ける。すると、誰がセレナの足を引っ掛けた。


「きゃっ!」


 しかし、本が倒れることはなく、代わりに誰かにぶつかったのだった。


(あれ? 私今、誰かにくっついて――)


「こら。そんなことをしたらいけません。危険でしょう?」


 鼓動を感じて顔を上げると、教科書の列を片手で持ち、もう片方の手でセレナを支える、例の男子生徒の姿があった。

 セレナに足をかけた本人たちを、怖くはないが叱っている。


「だって、平民じゃないですか!」

「平民なら怪我をさせてもいいんですか? 怪我が痛いことは、君もわかっているでしょう?」

「……チッ」


 変わらぬ彼の態度に苛立ったのか、足をかけた生徒たちは舌打ちをして去って行った。


「はぁ。こんなことでは先が思いやられますね。大丈夫でしたか?」

「えっ、あっ、はい! 大丈夫です!」


 再び顔に熱が集まり、セレナは慌てて男子生徒から離れた。

 セレナが熱くなった両頬に手を持っていくと、男子生徒は優しい微笑みを浮かべ、本を両腕で抱え直した。


「また、教室までご一緒してもいいですか?」



――これが、セレナとセオドアの出会いだった。



 心穏やかで、だけど、厳しい時は優しく叱る、みんなの兄のような人だった。

 春の木漏れ日のような、近寄る誰も彼もに安らぎを与えてくれる。そして、密かな芸術家でもあった。

 例え形にせずとも、そのことをセレナは悟っていた。


 町の噴水に腰掛けて、景色を真剣な表情で見つめているセオドア。

 「絵になりそうだ」とでも思っているのだろう。長期休暇中に二人で遊びに行った日も、暁光を見ながらポツリと呟いていたのだが、今の彼の表情は、その時の彼に瓜二つだ。

 セレナは背後から近付いた。


「何を見ているんですか?」

「わっ、セレナさん。もう着いたんだね」

「はい。楽しみで眠れなかったんです」

「ふふ、本当だ。くまができているよ」

「えっ?」


 手鏡で自身の顔を確認すると、確かに目の下がうっすらと茶色くなっていた。


(うぅ……楽しみにしていたのに!)


「そんなに楽しみにしてくれていたのなら、他のプランにすればよかったかな」

「他のプランって、何をする予定だったんですか? 当日まで秘密だと言っていましたよね」

「うん。実はね」

「おにいちゃん。今日はしないの?」

「早くしようよ〜」


 少し恥ずかしげなセオドアの言葉を遮ったのは、先ほどまで近くで遊んでいた子供たちだった。

 彼らの会話の内容に、どうしたのかとセレナは目をパチクリとさせる。


「その、実は私、定期的に彼らに絵本を読んでいるんだ。なんだか君に隠しているような後ろめたさを感じて、いっそのこと打ち明けようかな、と思って……驚いた?」

「はい、驚きました」

「ああ、やっぱり――」

「すっごく素敵じゃないですか!」

「えっ? って、どうして子供たちと一緒に座っているのかな?」


 セオドアが疑問に思う理由が、セレナにはわからなかった。


「だって、今から始まるんですよね?」

「うん。そう……ああ、君も見てくれるんだね」

「もちろんです! さっ、どうぞ!」

「どうぞ!」


 セレナに続き、子供たちも絵本を読むよう催促した。

 セオドアは、さも面白げに笑った後、目尻の涙を拭いた。次いで浮かべたのは、愛おしそうな微笑み。


「じゃあ、始めようかな」


 照れ臭そうだったセオドアの語り口調は、数分も経たないうちに見事なものへと変わった。

 コロコロと変わる彼の声色が面白くて、子供たちを楽しませようとするその心が愛しくて、時折自身を見つめる瞳が優しくて、セレナの心は穏やかな温かみで満たされた。

 彼といる時は、自身の胸に巣食う違和感が嘘のように消えてしまうようだった。



「そういえば、最近はどうだい?」

「ひゃひはへふは?」

「食べてからでいいよ」


 絵本の読み聞かせの帰り道、セレナはセオドアからもらったドーナツを食べていた。


「何がですか?」


 セオドアの提案通り、飲み込んでから、再び口を開く。


「ほら、君は入学式の日から何かと酷いことをされていただろう? 今も続いているのか気になって。私が見ている内はほぼないように思えるんだけど、見えていないだけかもしれないからね」

「大丈夫ですよ。基本的にはもう何もされていません」


 これはすべてセオドアのお陰だ。彼が優しく穏やかに注意してくれるお陰で、周りも彼の纏う温かな雰囲気に巻かれ、大人しくなるのだ。

 ごく稀に、彼に叱られたいからとセレナにちょっかいを出してくる者もいるが、それはセオドアが見ている時だけで、やり方も甘く、わかりやすいものだった。

 結果、セオドアがまたかと軽く叱り、叱られた相手がセレナにお礼の品を渡し、それをセオドアと二人で楽しむ、という変な流れが生まれることとなった。

 なんだかんだ平和である。


「でも、基本的ということは、まだいるんですよね? ルミナス様ですか?」

「それは……」


 セレナは目線を逸らした。「そうだ」と言い切っていいものなのか、悩んだからだ。


「私も彼女を説得しているんだけど、ただ無言で去ってしまうんだよね」


 どうしたものか、とセオドアは頭を捻った。


(無言で……)


 ルミナスはセレナに酷いことを言うことはあったが、それはたまたま会った時のみで、彼女からセレナにコンタクトを取ってくることはなかった。

 なら、いっそのこと何もしなければいいのに。そう思うが、彼女の行動は変わらなかった。


 それよりも気になるのは、彼女の瞳。


 セレナを見つめるルミナスの瞳はいつも、どこか悲しんでいるようで、諦めているようで、苦しそうだった。

 そしてセレナはある時、それら以外の色を、彼女の瞳に見たことがあった。

 優しげな表情で、迷い込んだ犬を外へと逃す彼女の瞳を。


(いつか、その理由がわかるかな?)


「セレナ。食べないのかい?」

「あっ! 食べます!」


 セオドアに声をかけられ、セレナは再びドーナツを頬張ったのだった。

 子供時代に何度も食べた、お気に入りのドーナツは、セレナにはどこか味気なく感じられた。

 何度も食べたといっても、ほんの十数回だろうに、何十回も食べたように感じられたのだ。


(もっと刺激が欲しいな)


 セレナは最後の一口を放り投げた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ついにセオドアの卒業式がやって来た。踊り終え、二人で学園での思い出を語り合う。


「寂しくなるね。そうだ。よかったら今度の冬休み、君を家に招待するよ」

「えっ、いいんですか?」

「うん。弟たちがいて騒がしいとは思うけど、いろいろ見せたいものがあるんだ。あっ。でも、花を見るならやっぱり春かなぁ」

「春にも行ってみたいです!」

「そうしようか」


 クスリと微笑むセオドアにつられ、セレナも笑顔を向けた。


「あれ?」

「どうしたんだい?」


 ふと、ルミナスが外に出る様子が見えた。

 まるで誰かに呼ばれているかのように、ふらりと歩いていた彼女の姿に、セレナの胸がざわついた。

 何故だかわからないが、悪い予感がする。


「私、少し出てきます!」

「あっ、セレナ!」

「すぐ戻りますから!」


 セオドアに手を振り、セレナは外へと出た。


(寒っ! こんな所にコートも着ずに来るなんて、やっぱりおかしい)


 白い息を吐きながら、セレナは辺りを見渡した。


(あ! いた!)


 ルミナスはすぐに見つかった。しかし、セレナはすぐに駆けて行かず、その場で立ち止まっていた。

 道の真ん中に立ち、静かに月を見上げるルミナスの姿があまりにも切なく、儚げで、美しかったからだ。


(どうして、そんな諦めたような目をしているんですか?)


 心の奥の、大切なところを突かれたような心地がする。

 ルミナスがこのまま消えてしまいそうで、セレナはついに彼女の名前を呼ぼうと口を開いた。


「えっ?」


 しかし、次の瞬間には、ルミナスは地に倒れていた。


「ルミナス様?!」


 我に帰ったセレナは、ルミナスの元へと駆け寄った。


(血で濡れてる! はやく光魔法で回復を――)


「きゃっ!」


 手に魔力を込めたその時、ルミナスの血に濡れた手が、セレナの顔を横切った。

 黒い火花のような閃光がビリビリと頬を伝い、セレナは身を離す。

 そしてわかった。今のは、セレナを傷つけようとしたのではない。


(誰?! フードを被ったこの人は!)


――自身を、この謎の人物から守ろうとしたのだと


「つっ!」


 頬についた血が落ちたその刹那、正面から剣が振り落とされた。

 咄嗟に張った魔法防壁が、あまりの魔力に歪み出す。


(だめ! 押し通される!)


 セレナは歯を食いしばった。しかし、抵抗も虚しく、一本の剣が腹部を貫いた。

 瞬く間に胃へと溢れ出した血が、口からゴプリと噴き出す。


 セレナを貫いたのは、正面の人物ではなかった。

 倒れて見えたのは、鎧の足先だったのだ。


(ああ、みんなの悲鳴が聞こえてくる……どうして、どうしてこんなことに?)


 力を振り絞り、体を起こしたセレナの視界の先で見えたのは、光が暴れる会場だった。


(ルミナス様も、もう……えっ?)


――顔を向けて見えたルミナスの表情は、かつてないほど穏やかで、安堵しきっていた。


 気が付けば、セレナはルミナスの元へと這いずり、彼女の側へ寄っていた。


(息は、していない)


 朦朧とする意識の中で感じたのは、微かな落胆。

 彼女の意思で、自身を助けてくれたと思ったのに。


(あ、もう、体が)


 セレナはゆっくりとその場に倒れた。


「ルミ……ナス、様……」


 どうして、今頃になって涙が出てくるのだろう。


(ああ。最後まで、この胸の違和感の正体は、わからないままなんだ)


 そういえば、ハルちゃんはどこへ行ったのだろう。自身を探し、飛び回ってはいないだろうか。


(――あ)


 ふと、自身の手が少し温かいことに気付く。

 頭を力なく横に向ければ、悴んだ自身の指先がルミナスの手に重なっていた。


(体温は、まだ残るんだ……)


 瞼に重みを感じ、セレナは目を閉じた。


(……一人じゃなくてよかった)


 最後に見たルミナスの顔は、泣き出してしまいそうなほど、優しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ