3番目 人を惑わす研究家
十六歳の春、セレナはある学園に入学した。
「えっと、ディラン様から貰った参考書と、最近買い換えた杖と……うん! 忘れ物はないみたい」
「ピィッ!」
「わっ!」
鞄の中を確認して、セレナは満足げに頷いた。そこにハルちゃんが飛んできて、クチバシから何かを落とす。
掴んだ掌を開いてみると、回復薬の入った小瓶があった。
「ありがとう。忘れちゃってた」
「ピッ!」
どういたしまして、とハルちゃんは鳴く。
入学して約半年が過ぎ、木々が赤く色付く季節が訪れていた。風に吹かれながら廊下を歩く。
学園生活には慣れてきたようで、もう予定帳を見なくとも、次の移動場所がわかるようになっていた。とはいえ、今から行くのは教室ではない。たまたま授業で知り合ったディランという人物に、魔法を教えてもらいに行くのだ。
「あっ! ハルちゃん!」
今日は何を教えてもらえるのだろう。そう心を踊らせていると、ハルちゃんが突然飛んで行ってしまった。
「どこに行っちゃったのー?」
追いかけて出たのは、中庭に続く廊下だった。
「ハルちゃ、ひゃっ!」
通り抜けようとしたその時、近くから大きな物音がした。
セレナは慌てて視線を移す。そこには、ピンク色の髪をした男子生徒が、倒れた木の前でしゃがみ込んでいた。
「大丈夫ですか?!」
男子生徒の前に腰を下ろし、怪我がないか確認をする。
「俺は大丈夫です」
「よかった。あっ、お花が」
視線を横に逸らすと、プランターから花が飛び出してしまっていた。土にまみれるその姿からは、生命力が感じられない。
男子生徒に目線を移すと、悲しげな瞳で花たちを見つめていた。
「ごめんね」
膝についた土を払いもせず、花たちを集め始める。
「私も手伝います!」
「えっ? でも、あ」
「どうかしましたか?」
土を集めだしたセレナの手に、男子生徒の目が行った。
「今、ミミズを潰した気がします」
「えっ? キャーー?!」
「危ない!」
「ツッ!」
グニュッとした感触がして飛びのいたセレナは、バランスを崩して後ろに倒れてしまった。しかし、間一髪、男子生徒の腕が伸ばされ、セレナを支えたのだった。
「あっ」
男子生徒との距離がグッと近付き、セレナは恥ずかしさのあまり横に転がり落ちた。
(な、なにやってるの私!)
土だらけの手で顔を覆う。すると、背後からクスリと笑い声が一つ聞こえてきた。
足音がセレナの背後で止まる。
振り向くと、目の前に土のついた手が差し出されていた。
「大丈夫ですか? 全身土だらけですよ」
「あ、ありがとうございます」
「はい。こちらこそ」
彼に乗せたセレナの手もまた、土に汚れていた。
――これが、セレナとノアの出会いであった。
さすが神殿に使えるだけあって、彼は穏やかで慈愛に満ちていた。
秋風のように自由気ままで、落ち着いた優しさを持つ人物。ふとした時にセレナを慰め、涙を拭って他所へ消えていく。決して互いを縛ることはない。
「うふふ。今日はノア様に植物園を案内してもらうの」
植物を愛でる心を持ち合わせている彼が、セレナは好きだった。
ハルちゃんに話しかけながら植物園へと向かう。植物園に行くのは初めてではないが、彼は毎度新しい知識を教えてくれるため、全く飽きることがない。
「ハルちゃんは何のお花が気に入った? 私は、きゃっ!」
余所見をしていたせいか、セレナは誰かにぶつかってしまった。
尻餅を吐き、顔を上げる。
「ルミナス様……」
そこには、かつて入学式で見たような、自身を見下ろすルミナスの姿があった。
しかし、彼女の表情は疲れており、黄色の瞳は濁っているように見えた。最初にぶつかった時もどこか疲弊した感じがしたが、ここまでではなかったように思える。
「また余所見をしていたのね。いい加減、気をつけなさい」
「す、すみません」
起き上がり、セレナはスカートについた埃を払った。
「そういえば、お友達は、今日はいらっしゃらないんですね?」
そう聞けば、ルミナスの眉がピクリと上がった。
「貴女に言われたく……そうよ、今日はいないの」
「えっ」
初めて自身の言ったことを受け止められ、セレナは驚きのあまり声を上げてしまった。
「何よ。取り巻きがいないのが、そんなにおかしい?」
「い、いえ。ただ、珍しいなって」
「貴女だって、今日は小鳥がいないじゃない」
「え? あれっ?」
辺りを見てみると、確かにハルちゃんがいなくなっていた。
「さっきまで一緒にいたんですけど、もしかしたら、先に植物園に行ったのかもしれません」
「あぁ、そう」
自分から聞いておきながら、興味なさそうにルミナスはため息をついた。
しかし、どうしてだろう。彼女の瞳の奥から、優しげな温かみを感じる。
「あっ」
(行っちゃった)
セレナから目線を逸らしたまま、ルミナスは廊下の奥へと消えてしまった。
やはり、最近の彼女の様子はおかしい気がする。違和感は出会った頃から感じていたが、日に日にちょっかいを出す頻度が減っていっているのだ。
「どうしたんだろう?」
ルミナスが消えた先を見つめ、呟いた。
「セレナさん」
「あ、はい!」
見知らぬ声がし、セレナは慌てて振り向いた。視線を向けた先にいたのは、見覚えのない女子生徒だった。
「何でしょうか?」
「先生が呼んでいたから、呼びに来たのよ。魔法準備室の裏に今から来てって言っていたわ」
「わかりました! ありがとうございます」
そう言って、セレナはお辞儀をした後、目的地に向かった。
「えぇと、魔法準備室の裏ってここだよね?」
校内マップを確認しながら、辺りを見渡す。魔法準備室の裏は薄気味悪かった。
森が奥に続いており、完全な日陰になっている。生徒も一人として見当たらない。
「せ、先生? どこに――ムグッ?!」
突然、何者かが背後から忍び寄り、セレナの口元にハンカチを当てた。
魔法薬の香りがしたかと思うと、次の瞬間には視界がぐにゃりと歪んだのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うぅ」
セレナは視界がぐらぐらする中、目を覚ました。お腹の奥が疼くような吐き気がし、苦悶の表情を浮かべる。
(また気絶するなんて……また?)
そんなこと、セレナは今まで一度もしたことがない。今回が初めてだ。
(何かを忘れている気がする。この違和感は、何?)
胸の奥がザワザワとするが、何もわからない。
頭を落とすと、自身の体に縄が巻き付けられていることに気付いた。おまけになんと、タオルまで噛まされている。
自身が置かれている状況を認識すれば、一気に脳が覚醒した。
(どこ、ここ?!)
灰だらけ、埃だらけの知らない場所。窓ガラスは割れて粉々で、天井は陥落してしまっている。
逃げないと危ない。そう悟るも、縄はびくともしなかった。
「あら、やっと起きたのね」
「!」
コツリ、コツリと足音が聞こえ、セレナは顔を上げた。
月光が照らした相手の顔は、自身に魔法準備室の裏へ行くよう言った女子生徒だった。
「ングッ!(助けて!)」
「ふっ、何よその顔。私が味方なわけないでしょう?」
「ムッ?!」
パァンっと乾いた音が部屋中に響いた。頬がジンジンと痛み出す。
「その顔、腫れさせて、切り刻んで、ぐちゃぐちゃにしてあげる。ノア様が貴女のことを嫌いになるくらいにね」
「?!」
どういうこと、貴女は誰、何をする気なの、お願いやめて。
頭が思考と恐怖で渦を巻く。掴まれた顔を必死に振るも、また乾いた音が響くだけ。
「大人しくしなさい! 平民のくせに!」
「ンムッ!!」
バシンッとより強い音がなった。
恐怖の目を向けると、ナイフの鋭い光が入った。
涙で視界が滲む。
「動くな!」
「ムーー!!!!」
どうして、どうしてこんなことに――
「セレナ!」
ナイフを振り下ろす、女生徒の手が止まった。
パラパラと粉砕された木の粉から出てきたのは、他でもないノアだった。彼の登場に大粒の涙が溢れ出す。
「ど、どうしてここにノア様が?」
「ある小鳥が教えてくれたんだ」
ナイフを落とし、女生徒はわなわなと震え出した。こちらへと歩き出したノアの足に、縋るように抱きつく。
しかし、ノアの後ろから現れた警備兵たちが、彼女の体を引き離した。
「えっ? ノア様?」
混乱を露わにする彼女を他所に、ノアはセレナへと近付いた。
タオルを取り、次いで縄を解く。
「ノアさ――」
「よかった」
彼の名前を呼ぶより早く、ノアがセレナを抱きしめた。そっと手を回した彼の肩は、震えていた。
「貴女が無事で、本当に、本当によかった――!」
「!」
より強く、彼に抱きしめられる。
学園に来て初めて、セレナは声をあげて泣いた。
そして初めて、生身の人間の怖さを知ったのだった。
「俺は、神殿に使えるものとして失格ですね」
「どうしてですか?」
鼻を啜ってそう尋ねれば、ノアはセレナの首元に顔を埋め、吐息混じりに、鼻声混じりに呟いた。
「――貴女一人のために尽くしたい。そう思ってしまったんです」
ドキリと胸が音を立てた。
それは、今まで感じていた恐怖とはまた違う感覚で、痛いくせに甘かった。
「いけませんよね?」
そう、涙目で月光に照らされるノアの姿は、聖母のように眩しく、神々しかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
誘拐事件の日から一年以上経ち、ディランやルミナスが卒業を迎える日がやって来た。
ディランに挨拶を終え、セレナはすぐにノアを探す。
彼はすぐに見つかった。朧げに窓の外を眺めている。
「ノア様」
「セレナさん。もう別れの言葉をつげて来たんですね」
「はい! 先生としてお世話になったので、ちゃんと伝えて来ました」
「ならよかったです」
静かに微笑み、ノアはセレナに外へ出るよう誘った。どうやら人混みが苦手のようで、了承し、二人してバルコニーへ出ていく。
「来年から私たちが上級生になるんですね。なんだか信じられません」
そう深い森を眺めながら、ノアは言った。
「寂しそうですね」
「そうですか?」
不思議そうにノアは首を傾げた。次いで観念したように笑みをこぼす。
「仕事柄、あまり他人に情を持たないようにしているのですが、やはり出てしまうようですね」
ノアは会場に目を向け、ある人物を指さした。そこにいたのは、緑色の瞳をした好青年で、教師と談笑している。
「幼い頃からの知り合いです。兄のような人で、彼も今日卒業するんですよ」
「それは寂しくなりますね」
ノアは恥ずかしげに笑った。
「あっ。卒業で思い出したんですけど、ルミナス様を見かけませんでしたか?」
「ああ、彼女なら今頃、神殿に向かっていますよ」
「神殿ですか?!」
貴族の彼女が、どうしてそんな場所へ行くのだろう。それも、卒業式をほっぽって。
「彼女、セレナさんを虐めた罪を神殿で償うようですよ。『酷いことをしてごめんなさい』と伝えるよう、言われました」
「そんな……顔を見せずに行ってしまうなんて」
「どうして、貴女がそこまで気にかけるんですか?」
「それは」
セレナは言葉に詰まった。自分でもわからなかったからだ。
何も言えず下を向く。その時、ノアがセレナに寄りかかった。
「ノア様?! いきなりこんな――ウッ!」
腹部に鋭い痛みが走る。
何が起こったのか理解できないまま、セレナはノアと共に後ろに倒れた。
ドクドクと流れる血に染まる中、セレナの頭にある言葉が浮かんだ。
――また、消えてしまうのか。
(あれ? この光、前にも……)
セレナがこの先を思考することは、叶わなかった。




