38話 光芒放つ月の薔薇 セレナ
「はぁ……」
舞踏会の会場で、セレナは壁に寄りかかっていた。踊る生徒達を見つめる、いわゆる壁の花である。楽しげに頬を染めて踊る生徒達とは真逆に、セレナは寂しさを感じていた。
平民であるセレナをダンスに誘う者は少ない。昨年だって、ディランとセオドア、ノア以外とはほとんど踊っていない。彼らと関わりのある男子生徒(主に子爵家の令息達)が数人だけだ。
とはいえ、そんなこと、セレナは全く気にしていなかった。美しく舞うルミナスを見ていれば、自ずと気が紛れたからだ。早々に踊りを切り上げてきたディランとお菓子を食べるのも、悪くなかった。もちろん、後でそのことがルミナスの耳に入り、はしたないと二人して叱られたが。
しかし、ルミナスは今、ここにいない。
(ルミナス様、どうするつもりなんだろう?)
代替えの儀を行うという話を持ちかけられた際、ルミナスは「少しトラブルがあって、ドレスに着替えることができない」と言っていた。他人になかなか弱味を見せない彼女のことだ。少しとは思えないが、理由は教えてくれるまい。事実、セレナは詳しい話を聞こうとしたが、用意があるからと逃げられてしまった。
「ルミナスがいなくて不満か?」
「ディラン様……」
横から伸びてきたのは、ディランの手だった。シャンパングラス越しに彼の顔が見える。端が伸びたその顔は、元を知らなければ、とてもディランだとは思えないが。
グラスを受け取り、セレナはただ下を向いた。自然と唇が尖ってしまう。
「やはり不満なんじゃないか」
「そういうわけでは……」
「まぁ暇ではあるか」
ディランはチョコレートを手に取った。彼は暇だと言ったが、柱の影からは女生徒達の熱い視線が絶え間なく注がれている。しかし、彼のよくない噂によるものなのか、話しかける勇気はないようだ。ポツポツと他の男子生徒に手を取られ、ダンスに戻っていく。
別に不満というわけではない。何をするでもなく、ただ一人でポツンと立っていること、冷めた視線が音楽に乗せて感じられること。自身ではなくチョコレートに興味を示しているが、こうしてディランが側にいること。それらは、セレナに――
「よっ!」
「ひゃっ!」
突然、背後から声をかけられた。振り向くと、カイルが笑顔で寄ってきた。
そうだ。彼も卒業生なのだった。
シンプルなデザインだが、独特の光沢がある紺色のシャツに、瞳と同じ海色のネクタイ。金のラインが走る白いジャケットから覗く、ロンググローブを着けた手には、どこの御令嬢達から渡されたのか、色とりどりのハンカチが握られている。セレナが個人的に思う、ルミナスに近づけたくない男性ナンバーワンである。
「何故ここに来た。気分良く踊っていた筈だが?」
「オレだって疲れるし、腹も減るんだよ」
「あっ」
カイルは「もーらい」とディランの手からチョコを奪った。
「甘すぎるだろ、これ。虫歯ができるぞ?」
「心配されなくとも大丈夫だ。歯はちゃんと磨いている」
「でもなぁ。オマエさ、甘いもんばっか食ってんじゃん。セオドアもそう思うだろ?」
カイルが振り向いた方を見てみると、セオドアがノアと共に立っていた。
「んー。まぁ、食べないよりはいいんじゃないかな?」
「ミントがおすすめですよ」
苦笑いを浮かべるセオドア。カイルは不満なようで、頬を膨らませている。
てっきり二人も踊っていると思っていた。カイル同様、何故ここに来たのだろう。
「お二人はどうしてここに来たんですか?」
「あぁ、私達もさっきまで踊っていたんだけど、やっぱりルミナス様が心配でね」
「俺達に話してくれた理由が少し引っかかって、セオドアにも話したんです」
「あと、ダンが無事かも気になるしね」
「ああ! 担架で運ばれたんだろ?」
「なるほど……」
まさか、全員が踊りから抜け出して集まるとは。
「じゃあ、皆さんでルミナス様とダン様を――っ!」
セレナがパンッと両手を叩いたその時、オーケストラの演奏が止んだ。
胸がドキリと嫌な音を立てる。
「おい、大丈夫か?」
ディランがチョコレート片手に声をかけてくる。それがまた、セレナの鼓動を速めた。
「顔色が悪いですよ。ラベンダーを持ってきましょうか?」
「保健室で休んでくるかい?」
「いえ、大丈――」
「セレナ・フィオーレさん」
「!……はい」
コツリ、と足音が一つ、会場に響いた。
自身の名前を呼ぶ声は威圧的で、セレナはごくりと生唾を飲み込んだ。
恐る恐る振り向けば、敵意を露わにした令嬢数人が、集団でこちらに歩いてきた。
「ルミナス様が見えませんけど、セレナさんは理由をご存知?」
「よく引っ付いていらしたでしょう?」
ルミナスがドレスの詳細を話さなかったのには、何か理由があるはずだ。勝手に漏らすわけにはいかない。
「知らな――」
「嘘おっしゃい」
集団を率いていた令嬢が、閉じた扇を脅すようにセレナへと向けた。
「貴女が、ルミナス様のドレスを切り裂いたのでしょう?」
会場が一気にざわつく。
好機の目、非難の目、訝しむ目。様々な視線と視線が混ざり合い、セレナただ一人へと集まる。
「そんなこと、していません」
震えそうになるのを堪え、真っ直ぐ令嬢を見詰める。
決して目を逸らしてはいけない。もし逸らせば、より悪く言われてしまうだろう。
セレナの強い声色に、令嬢達は肩を少しビクつかせた。しかし、すぐに立ち直してセレナを睨み返す。
「何人もの生徒が見たと言っているのよ。薄紫色の、肩より上の髪をした女生徒が、ハサミを片手にルミナス様の部屋から出てきたとね」
「目撃証言など、さしたる証拠にはならない」
「それに、鍵を開ける必要があるだろ?」
ディランとカイルがセレナの隣に立った。しかし、よほど自信があるのか令嬢達は話を続けていく。
「この学園の女生徒達の多くは、長い髪を結うか降すかのどちらかよ。なら、貴女しか考えられないじゃない?」
「鍵だって、ルミナス様から盗んだに違いないわ」
「判断材料が不十分です」
「貴女達は、ルミナス様のことを、鍵を盗まれるような間抜けだと思っているのでしょうか?」
「うっ……」
普段は温厚なノアとセオドアの冷静な態度に、令嬢達は瞳に戸惑いの色を見せた。明らかに動揺している。
唇を噛み、より深い皺が彼女達の眉間に刻まれた。
「ル、ルミナス様だって言っていたわよ! 平民から絡まれて鬱陶しいって!」
「昨年の課題試験だって、貴女のせいでルミナス様は命の危機に晒されたと聞いたわ」
「身の程を知りなさい、身の程を」
苦し紛れの言葉だということは分かっている。
しかし、セレナは何も言えず固まってしまっていた。
(違う、違う。そんなことしてない。でも――)
ギュッとセレナが目を瞑ったその時だった。
会場の重い扉が開かれ、空気が軽いものに変わったのは。
「随分と、面白いお話をしていらっしゃるのね」
振り向けば、夜空が見える吹き抜けの廊下を背に、黄金のドレスを身に纏うルミナスの姿があった。
凛とした彼女の声は、静かなる怒気を孕んでいる。しかし、セレナは安堵で今にも泣き出しそうになっていた。
(ルミナス様、貴女はどうして……)
品のあるシャンパンゴールドは、ルミナスが一歩、一歩と歩く度に、シャンデリアの光を反射して輝いた。それが眩しいのか、視界がやけにキラキラしている。
久方ぶりに訪れた静寂に、人々の嘆息と、軽やかな足音だけが響く。
紅色のイヤリングが、ルミナスの耳元でしゃらんと揺れた。




