仮初の和解
話を聞く限りだと、拉致被害者の居住区は意外にも環境が整っていた。
曰く、共同とはいえ風呂や便所は確保されており、一人一人に個室が与えられている。食事も日に三回提供され、好き嫌いがあればある程度は調整をしてもらえる。労役等が無いためとにかく退屈なことと、穢れの移植さえ無ければ、贅沢な暮らしと言えるだろう。
どうやら被検体を長持ちさせるため、研究者はかなり気を遣っているようだ。可能な限り正確に、穢れの影響を調べたい――そんな気概を感じる。理解出来てしまう辺り俺の業も深いなと考えていると、モルネクは不意に廊下の真ん中で立ち止まった。
「ここがさっき説明した居住区だ。廊下を進んで左手奥には手術というか、まあ毒を埋め込むための部屋があって、普段は鍵がかかっている。右手奥は椅子や机なんかが並んでいて、食堂として扱われていたが……今となっては使う奴も減っちまった」
それは歩けなくなったという意味なのか、死んだという意味なのか……表情からして、恐らく両方なのだろう。汚染は着々と進行しており、あまり猶予は残されていないようだ。
「処置すべき奴は何人いる?」
「俺を除けば七人だな。ただ手遅れの奴もいるんで、急ぎは母子二人になる。治療をしてくれるならすぐにでも案内するが、魔力は残ってるか? 休憩が必要なら、空いている部屋はあるぞ」
そう言って毛布を取りに行こうとするモルネクを、苦笑しつつ止める。今日は耳飾りを変形させたくらいで、魔力ほぼ使っていない。俺にしては珍しく、ほぼ万全の状態だ。
「休憩は要らないよ。それより、休んでいる間に死人が出たら目も当てられん。先方に問題が無ければ、処置を始めてしまわないか?」
「問題も何も、治療を拒否するだけの元気が無いと思うぞ。ああ、二人はそこの部屋だ」
目的の場所は、俺のすぐ真横にあった。
モルネクが一声掛けて扉を開けると、中では頬のこけた女性が、寝台に腰掛け呼吸を整えているところだった。立ち上がって俺達を出迎えようとしていたようだが、体に巧く力が入らないらしく、目だけが必死に動いている。
そして赤子はその横で、泣き疲れたのか顔を顰めて眠っていた。首回りや腕に赤い斑点が広がっており、自身で引っ掻いた跡が残っている。軟膏等での処置はされていないらしく、とにかく肌荒れが痛々しい。
俺が黙って情報を集めていると、モルネクはケーナムの傍らに控え、ふらつく彼女の肩を支えた。
「無理をするな、ケーナム。そのままゆっくり横になるんだ」
「ふっ、はぁ……ッ、すまない、眩暈が酷くて立ち上がれなかった。こんな格好で悪いね、新人さん」
「フェリス・クロゥレンだ。こちらこそ、辛い時に邪魔をして申し訳ない」
会釈と同時、俺はすぐさま『観察』を起動する。異物は左脇……汚染が肩の方まで広がった所為で、指の動きに影響が出ているようだ。血流も滞っているし、眩暈はその所為もあるか? 末端が元通りになるかはさておき、命については問題無しと判断する。
「こいつが俺の解毒に成功してな。お前も処置してもらえるんじゃないかと思って、連れて来たんだ」
「解毒が出来た? 良かったじゃないか」
モルネクの解毒が成功したと聞き、ケーナムは苦しげだった唇を綻ばせた。自身が助かる可能性を見出したからというより、単純に知り合いの無事を喜んでいる。
自分より他人とは、まだ精神的に余裕があるな。ならば冷静に話を聞いてもらえるうちに、やるべきことを済ませるか。
「取り敢えず、モルネクには説明してあるが……俺は毒素はどうにか出来ても、連中が埋め込んだ異物までは除去出来ない。症状が多少楽になるだけで、完治はしないからそのつもりでいてくれ」
「それでも充分だよ。生きているうちはこの子の力になれる」
「……そうだな。じゃあ早速やってしまおう」
俺はケーナムの服の裾を捲り上げ、患部の位置を確認する。一見してそれと解るほど脇の肉は隆起しており、触れるとすっかり乾燥していた。異物の大きさは指先ほど――相変わらず皮膚にある縫い目は粗く、施術をした人間の腕の悪さを感じさせる。
しかし……妙に体がしっかりしているような? 長期間監禁されていて、かつ穢れを受けているのなら、もう少し筋肉が落ちていそうなものだ。なのに、ケーナムの全身は一定以上の質を維持しているように思える。落ちた上でこれなら、元々かなり鍛えているということになるよな。
長く訓練を続けていた人間の空気……この特殊な状況下での落ち着き……となるとケーナムは軍人か?
疑問を一旦吞み込み手早く穢れを吸い取ってやると、ケーナムは安堵の溜息を漏らした。
「ああ……かなり違うな。肌が突っ張っている感覚が戻って来た」
「なら良かったよ。子供の方もやってしまうぞ?」
「すまない、どうにか頼むよ」
「おう」
次は赤子を起こさないよう、陰術で眠りを深めてから処置に入る。
さて、皮膚疾患については切開の必要が無いため、俺でもある程度の治療が出来そうだ。穢れを吸うだけではなく、冷水で皮膚を冷やし、膿んでいる部分を綺麗にしてやる。引っ掻かなくなれば治りも早いと思うのだが、子供は言って聞くものでもないし、そこは母親の仕事だろう。
うん、毒については終わり。
「ケーナム、手拭いだとか、何か使える布はあるか?」
「それならそこの引き出しにあるよ」
すぐさまモルネクが動き、引き出しから手拭いを出して俺へと放り投げる。俺はそれを軽く浄化して、生成した氷を包み込んだ。結構な魔力を込めたので、一日くらいなら保つだろう。
「子供があまりに痒がるようなら、これを患部に当ててやれ。あまり長く当てないよう、適宜間隔は空けろよ」
「解った。ああ……本当にありがとう、助かったよ。自分はさておき、この子のことがとにかく心配でね。若いのに随分と手際が良いんだな」
「母親が医者でな、応急処置についてはかなり仕込まれたんだよ。残念ながら、本職に出来る程夢中にはなれなかったけどな」
そして、他者との関わりが億劫になった今、改めて学びたいという気にもなれない。今回俺が対処出来る範疇だったのは、ケーナムとこの子の運によるものだ。
ともあれ、二人の症状が落ち着いたなら、情報収集をしておこう。
「なあ。御礼と言ってはなんだが、幾つか質問させてくれ。ケーナムは何故ここに監禁されているんだ?」
「質問に答えるくらいじゃ、御礼にならないよ。まあ聞きたいなら答えるけど……フェリスは名前からして王国民だよな? 王国と工国が戦争寸前だってのは知っているか?」
「知ってる。俺はそれの調査をしている途中で捕まったからな」
「なら話が早い。私は軍部の物資を管理する部署に所属していてね。戦争が近いってんで、過去の帳面やら倉庫やらを色々と確認していたら、一部の在庫が消えているってことに気付いたんだ」
納品書はあり、検品した履歴も残っていて、支払いも済んでいる。何なら自分で倉庫に仕舞った記憶すらある。なのに、現物が何処にも見当たらない。あれこれ調査をした結果、ケーナムは誰が関与しているのかを突き止めた。
突き止めて、そして、相手に気付かれてしまった。
「どうやら、学術院の第三席であるヘレディ・ム・サナハって女の指示で、軍部の人間が動いている。そこまでは解ったのに、相手の動きの方が早くてねえ。……ある日家に帰ったら寝室に敵が待ち構えていて、そこで終わりだよ。この子は人質に取られているし、どうしようもなかった」
「ヘレディ・ム・サナハ……あの女の縁者か? 受付はアナシィ・ム・サナハって名前だった筈だが」
「私は気絶している間に地下へ連行されたんで、受付の女を見たことが無いんだよ。ヘレディの顔も知らないし……その辺はどうなんだい、モルネク?」
「名字は一致するな。確かに言われてみれば、手術室にあの女と似たような顔の奴がいた気もする。そうだよな、あの女だって拉致の実行犯な訳だから、繋がりはありそうなもんだ」
となると俺が相手をすべきは、軍部ではなく学術院になるのかね? ヘレディ本人がここで手術をしているなら、いずれは捕まえられそうだ。そうでなくとも、関係者は誰かしら顔を出すだろう。
「ところで、旦那の話は何処に行った?」
「旦那も軍人だけど地方の配属だからね。こっちにはいないよ」
「なるほど……ああ、すまん。どうやら待ち人が来たみたいだ。何があるか解らんから、部屋から出ないようにしてくれ」
「ヘレディが来たのか?」
恐らく、という意味を込めて首肯し、俺は廊下へ出る。
明らかに素人と思しき気配が二つと、洗練された静かな気配が三つ、上からゆっくりと降りてくる。鍵のかかっている手術室の奥にも、どうやら階段があるらしい。
敢えて気配を隠さず待っていると、短棒を握り締めた男達が扉の隙間を抜けるようにして姿を現す。そのうちの一人、長い黒髪を後ろで縛っていた男が、俺の顔を見て苦笑を漏らした。
「おっと、待たせてしまったか?」
「そうでもないさ、先達にここの案内をしてもらっていた」
奇襲を警戒していた構えを解き、男は自然な笑顔で俺へ握手を求める。それに応じて骨ばった手を握り返すと、強い力を込められている訳でもないのに、巨木のような雄大さを感じた。見た目は筋肉質という訳でもなく、どちらかと言うと細身でありながら、圧倒的な存在感がある。
間違いない。これが、この男こそがヘンデン・コダーンだ。
いやはや、対応するのが俺で良かった。申し訳無いが、ジィト兄では七割方負けだったろう。
「フェリス・クロゥレン。最近は色々と活躍しているらしいな? 工国が頭を抱えるだけはある。お前ほどの男が、どうして無名なんだ?」
「ヘンデン・コダーン。そっちも強いって噂が王国まで届いているよ。実物は噂以上だな」
まずは友好的な会話を楽しむ。
同族殺しを咎められるかと思いきや、そういった雰囲気ではないらしい。ヘンデンは脇の二人を下げ、武器から手を離すよう命じた。
「なあ……少なくとも、この場での直接的な争いは止めないか? 俺達には理性がある、話し合いで解決出来る部分をお互い探っていきたい」
「素晴らしい提案だ、心から賛成するよ。お前が好戦的でなくて本当に良かった」
何が狙いか不明だが……お互い周囲を巻き込みたくない、という点は一致しているようだ。俺達は戸惑う研究者や護衛の面々を無視して、和やかに手術室へと踏み込んだ。
今回はここまで。
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