撤退の理由
手術室は非常に明るく、清潔感が保たれていた。ただ広い訳ではないため、俺含め六人が入ると非常に狭苦しさがある。
全員が全員の間合いの中にいる状態で、俺は体をいつでも液状化させられるよう、体内を柔らかく保つ。
さて。
長髪のヘンデンは余裕のある笑みを湛えて俺の向かいに座り、残りの面子は緊張した様子で部屋の隅に控えた。俺に用があるのは軍人か研究者だと思っていたが、会話の主導権は彼が握っているらしい。
ヘンデンは膝に手を置いて姿勢を正すと、初手から頭を下げた。
「さて……急にこんな場所へ押し込まれて、さぞかし不愉快な思いをしただろう。まずはその点について謝罪したい」
「いや、何故お前が謝る? お前はあくまで外部の協力者であって、基本的な作戦は国が決めているものだろう。いずれ仕掛けてくるとは読んでいたし、不愉快とは感じていないね」
むしろ同胞を二人殺した俺に対し、何故頭を下げるのかよく解らない。
真意を測りかねていると、ヘンデンは不意に俺へと猛烈な圧をかけた。急変した空気に研究者達が腰を抜かしているが、前後の脈絡が無いため、俺は猶更困惑してしまう。
ジィト兄を超える格と、純粋な暴力の気配。強者の纏う雰囲気としては大したもの――でも、俺はそれを何処か遠くの出来事のように受け流した。無意味な脅しに対し、ただ首を傾げて返す。
「すまんな。アイツ等はお前がどれほどのものか、まるで理解しちゃいないんだ」
「ああ、何の意味があるのかと思ったよ」
なるほど。
要するに、俺がヘンデンに並ぶほどの人間だ、ということを周囲に示したかった訳か。やり合えば護衛対象が巻き込まれるため、危機感を煽っておくのは巧い手だ。上の物分かりが悪いと、下が苦しむのは何処も一緒だな。
とはいえ、やけに俺を持ち上げる……諂いにも似た振る舞いが気にかかった。
「さて。先も言ったが、工国の意図はどうあれ、俺達部族としてはお前と事を構えたくはない。なのでここは一つ、全員が撤退するための時間を貰えないだろうか。勿論、お前に手を出さないよう周知は徹底する」
「なっ、待ちなさい、何を勝手なことを!」
もう下がれないくらい壁際にへばりついているのに、研究者の一人は咄嗟に非難の声を上げる。そりゃ当然だよな、と俺は首肯する。逆に、ヘンデンが戦闘を忌避している方が不自然だろう。
一体何がしたいのか、違和感が拭い去れない。
ここが交渉の肝と判断し、俺は『集中』と『観察』を起動する。
「いや……俺をここに連れて来たのはお前等だろう? それに、依頼主はその提案を認めないようだぞ?」
「何とか納得してもらうさ。……俺は自分の一番の長所が、相手の力を見極める目にあると思っている。だからこそ解るし、断言出来るんだが……俺はお前に絶対勝てない。どう足掻いても、捻じ伏せられている自分の姿しか想像出来ないんだ。幸いなことにお前は話が通じる相手だし、だったら和解すべきだと判断した」
「へえ? 同胞が殺されているのに撤退すると?」
「悔しいとは思っているよ。ただ、悔しいからって全滅を選ぶのは部族の長として間違っている。そもそも、皆には勝てない相手には挑むなと伝えてあったんでな。敵の力量を見誤ったのだから、今回は已むを得ない結果だろう」
おいおい、本気か? いや、何度『観察』しても本気だな。
まあヘンデンが言う通り、やり合えば確実に俺が勝つだろう。どれだけ優れた武術師が揃っていても、液状化すれば打撃は通らないため、ヘンデン一族は俺に魔術戦を挑まざるを得ない。しかし俺を仕留めるつもりなら、シャシィを超える人材が必要となる。
そんな奴なんている訳がない。だから、相手ははっきりと詰んでいる。
……とはいえ大した指揮官だな。
俺の実態を知らなければ、詰んでいるとは気付けない。なのにヘンデンはしっかりと危険を感じ取り、身内の仇を前にした状態で、即座に降参を選んだ。なかなか出来ることではない。
研究者の様子を窺うと、一人は真っ青な顔で逃げようとしており、もう一人は顔を紅潮させてこちらを睨みつけていた。
「ヘンデン、勝手な真似をしないで頂戴。こちらの指示に従えないのなら、報酬は払わないわよ!」
「いや、そうは言うがなヘレディ。それで死んでしまったら、報酬も何も無いだろう」
「順位表にも載らない小僧に何が出来ると? 残念ね、貴方がそこまでの腰抜けだなんて、ッ!?」
しかしどれだけ煽られても、ヘンデンはまるで意思を曲げなかった。それどころか気怠そうに肩を竦め、配下に命じて研究者達の意識を断ってしまった。
「煩いのには黙ってもらったんで、まずは俺達の話をまとめてしまおう。何か要望があるなら遠慮なく言ってくれ。この場ですぐに結論を出したい」
「ふむ……ヘンデン一族が撤退してくれるなら、それだけで成果としては充分なんだがな。じゃあまず、コアンドロ・ス・オインという老人の安否を確認したい。何か情報を持っていないか?」
「コアンドロ? 俺は知らんな……お前等、何か知ってるか?」
話を振られ、配下の一人が静かに手を挙げる。
「我々が工国に到着した時、捕獲を命じられた男ではありませんか? 本人が軍部を訪れた際にそのまま確保されたので、結局、こちらで対応することはありませんでしたが」
思わず舌打ちが出る。
浄化作業が終わり、完了報告のため素直に出頭したのか。カーミン女史を押さえられているとはいえ、人質は生きていないと機能しないのだから、策を練る時間くらいはあっただろうに。
「その後については?」
「ここと同じような実験施設が他にもあるらしく、そちらへ移送されたと聞いております。ただ、三か月ほど前の話なので……」
「生死は定かではない、と」
俺が口にした言葉に、配下の男は目を逸らした。
いや、解っている。学術院の連中は魔術強度が低いのか、人肉を直接抉り出すような方法で穢れを採取している。そして、素材の大元がコアンドロ氏となると、まず生きてはいないだろう。
コアンドロ氏自身、研究のため多くの人間を犠牲にしてきた筈だ。同じことが自分に降りかかって来ただけで、不条理というほどのことではない。彼と長らく対立してきた工国の上層部が、対策を講じるのは当然の流れだ。
……そうだ、当然だ。
頭の中で繰り返す。理解は出来る。承服は出来ない。
意識的に、ゆっくりと呼吸を整える。
顔を上げると、ヘンデン達は服の色が変わるほどの汗を掻いていた。
「すまん、ちょっと物思いに耽ってしまった。……ありがとう、参考になったよ」
「こちらこそ、あまり助けにならなくてすまんな。場所までは把握していないが、もう少し調べようか?」
「いや、ヘレディを尋問すれば済むんで、気にしないでくれ。取り敢えず必要な情報は貰ったんで、撤退についても認めるよ。ただ……お前等は港が欲しくて島から出稼ぎに来たんだよな? 退路は確保出来てるのか?」
「行きは迎えがあったからなあ。こうなると報酬は貰えないだろうし、工国の船を頂戴して帰るしかないだろうな。島にあるものよりは性能が良かったんで、最低限の稼ぎにはなる」
まあこっちに来て数か月は働いただろうし、その間は抑止力として機能していた訳だから、船くらい貰っても罰は当たるまい。海上に出てしまえば簡単には戻ってこられないし、時間があるなら俺も撤退に協力してやりたいくらいだ。
「撤退にはどれくらいの時間が必要だ?」
「明日の夜には全員を集めてこの街を出るつもりだ。後は皆がどこに配属されているのか、そこが問題だな」
「なるほど。俺もお前も確認すべきことがあるようだし、一緒に尋問するか?」
「そっちが良ければ、お言葉に甘えさせてもらおう」
ヘンデンが協調路線を歩んでくれるなら、こちらとしても好都合だ。俺は配下の二人に少し離れてもらい、研究者達の手足を床に埋めて身動きを封じる。地精の権能で石材を固定しているため、これでどんなに頑張っても脱出は不可能となった。
……作業の途中で一部の骨が砕けた気がするが、そこはまあご愛敬だろう。
俺は念のため連中の意識が覚める前に、武器等を隠し持っていないか確認しておく。体のあちこちを探っていると、指先が袖口にある妙な膨らみに触れた。
「おっと、これは……?」
「お前に使う予定だった毒だろうな。迂闊に開かない方が良いんじゃないか?」
「ここに拉致された連中も異物を埋め込まれてたんで、中身の想像はついてるよ。一応没収かな」
冷たい金属の筒を剥ぎ取り、その表面に指先を走らせる――相変わらず、中に入っているであろう穢れの存在は感知出来ない。仕方無いので、俺は筒全体に感覚を伸ばし、素材の構成がどうなっているか理解を深めていった。解析さえ出来てしまえば、穢れの所在くらいは把握出来るようになるだろう。
一歩ずつ着実に事を進めるよう心掛ける。
そうして、意識の七割を筒に残したまま、ひとまず研究者達の頬を軽く叩く。やがて睫毛が微かに震え、ヘレディ等はゆっくりと目を覚ました。
「起きたか?」
「ぐ……っ、ん、何が……ッ?」
気絶させられた時の記憶が曖昧なのか、ヘレディは頻りに目を瞬かせている。もう一人の方はすぐに状況を呑み込んだらしく、舌を噛もうとしたところで配下が指を突っ込んで止めていた。
……特に発言も無いのであまり注目していなかったが、こいつの方が油断ならないかもしれん。怯えが酷いし、ある程度は手心を加えてやるべきか?
「起き抜けのところ悪いが、ちょっとお前等に質問があってな。素直に答えてくれるなら無事に帰してやるんで、協力してくれないか?」
「わっ、私に解ることであれば」
「誰が貴方如きに従うのよ! すぐに私を解放しなさい!」
反応が真逆……さて、何処からどう手をつけようかな。
まずは二人を隔離するところから始めようか。
今回はここまで。
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