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また君にあえた日  作者: 日向


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9/10

ミケは、ここにいるよ

秋が終わりに近づいた、ある日のこと。


ひまりは、学校から帰ってくると、いつものように隣の家へ向かった。


「はるとお兄ちゃーん!」


玄関を開けたはるとは、少し驚いた顔をした。


「おっ、ひまり。今日は早かったな」


「うん! きょうね、せんせいが、どんぐりくれたの!」


ひまりはポケットから、丸くてつやつやしたどんぐりを三つ取り出した。


「三つもあるのか」


「ひとつはね、ひまりの! ひとつは、おかあさんの! もうひとつは、はるとお兄ちゃんの!」


「俺にもくれるの?」


「うん!」


はるとは、どんぐりをひとつ受け取った。


「ありがとう。大事にするな」


「えへへ!」


ひまりは嬉しそうに笑った。


その笑顔を見ながら、はるとはふと思い出した。


最近、ひまりはミケの話をすると、いつも少しだけ不思議な顔をする。


昔の写真を見たときも。


毛布を見つけたときも。


まるで、ミケのことを知っているかのように。


もちろん、ひまりはまだ小さな女の子だ。


猫が好きだから、いろいろ想像しているだけなのかもしれない。


それでも、はるとは一度、聞いてみたくなった。


「なあ、ひまり」


「なあに?」


「ひまりって、ミケのこと、すごく好きなんだな」


「……うん!」


ひまりは、いつもより少し強くうなずいた。


「だいすき!」


「会ったことはないのに?」


その言葉に、ひまりの笑顔がぴたりと止まった。


会ったことはない。


今の自分は、確かにミケに会ったことがない。


でも、ミケは知っている。


はるとのことも。


あの毛布のことも。


雨の日に、段ボールの中で聞いた優しい声も。


ひまりは、はるとの服のすそをぎゅっと握った。


「……はるとお兄ちゃん」


「ん?」


「ひまりね、おはなししたいことがあるの」


はるとは、ひまりの顔をのぞき込んだ。


「うん。どんな話?」


ひまりは、しばらくうつむいていた。


言ってもいいのかな。


ちゃんと聞いてくれるかな。


変だって言われないかな。


小さな胸の中で、いろんな気持ちがぐるぐる回った。


でも、はるとはいつも優しかった。


ひまりが転んだときも。


寂しいときも。


何もできなくて困ったときも。


いつだって、ちゃんと話を聞いてくれた。


だから、ひまりは顔を上げた。


「……ひまりね」


「うん」


「むかし、ミケだったんだよ」


はるとは、目をぱちぱちさせた。


「……え?」


「ひまりね、むかしは、ねこさんだったの」


ひまりは、自分の胸を小さな指でとんとんと叩いた。


「ミケっていう、ねこさん!」


部屋の中が、しんと静かになった。


はるとは、すぐには何も言わなかった。


ひまりは不安になって、はるとの顔を見上げた。


「……はるとお兄ちゃん?」


「ひまり、それは……」


はるとは困ったように笑った。


「夢で見たのか?」


「ちがうよ」


ひまりは首を横に振った。


「ゆめじゃないの」


それから、小さな手をぎゅっと握った。


「はるとお兄ちゃんが、ごはんくれたの。さむいとき、ふわふわのもうふもくれたの」


はるとの表情が変わった。


「……毛布?」


「うん。はしっこが、ちょっとびりびりになってるの」


ひまりは、自分の服のすそをつまんだ。


「ミケね、そこを、ちょいちょいってするのがすきだったの」


はるとは息をのんだ。


古い毛布の端には、確かに小さなほつれがあった。


けれど、それだけなら、昔の写真を見て覚えたのかもしれない。


はるとは、ひまりの話を静かに聞いた。


「それからね……」


ひまりは、ゆっくりと続けた。


「雨の日、はるとお兄ちゃんが、だんぼーるを、こっちにむけてくれたの」


「……!」


「雨がはいらないようにしてくれたの」


はるとは、目を見開いた。


あの日のことは、写真に残っていた。


けれど、段ボールの向きを変えたことまで、写真には写っていない。


「……どうして、それを知ってるんだ?」


はるとの声が、少し震えた。


ひまりは困ったように首をかしげた。


「だって、ひまり、そこにいたもん」


「……ひまり」


「はるとお兄ちゃんが、がっこうにいくときね、またあしたなって、いってくれたの」


ひまりの目に、ぽろりと涙が浮かんだ。


「ひまり、うれしかったの」


はるとは何も言えなかった。


ひまりは泣きながら、それでも一生懸命に話した。


「はるとお兄ちゃんがきてくれると、うれしかったの。ごはんも、おみずも、もうふも、いっぱいくれたの」


小さな手で、目をこする。


「だからね、ミケは、はるとお兄ちゃんのこと、だいすきだったんだよ」


はるとの目にも、涙がにじんだ。


ずっと心の奥にしまっていた思い出。


もっと何かできたんじゃないか。


もっと一緒にいてあげられたんじゃないか。


そんな後悔を、ひまりは何も知らないような顔で、まっすぐに見つめていた。


けれど、ひまりは知っていた。


あのころ、自分がどれだけ安心していたか。


どれだけ、はるとの足音を待っていたか。


そして、どれだけ優しくしてもらったか。


「……ほんとうに、ミケなのか?」


はるとが、そっと尋ねた。


ひまりは、こくんとうなずいた。


「うん」


「……もう、会えないと思ってた」


はるとの声が、かすれた。


ひまりは驚いて、顔を上げた。


はるとの頬を、涙が一筋流れていた。


「はるとお兄ちゃん……ないてるの?」


「……ああ。ごめんな」


「どうして?」


「嬉しいんだと思う」


はるとは、涙を拭いながら笑った。


「もう一度、ミケに会えたみたいで」


ひまりは、しばらくはるとを見つめていた。


そして、小さな腕をいっぱいに伸ばした。


「……ぎゅーしていい?」


はるとは、優しくうなずいた。


「もちろん」


ひまりは、はるとの胸にぽすんと飛び込んだ。


はるとは、壊れものを扱うように、そっとひまりを抱きしめた。


「……おかえり、ミケ」


その言葉を聞いた瞬間、ひまりの目から、また涙がこぼれた。


「……ただいま、はるとお兄ちゃん」


小さな声だった。


でも、はるとには、ちゃんと聞こえた。


*


しばらくして、ひまりははるとの腕の中で顔を上げた。


「はるとお兄ちゃん」


「ん?」


「ひまりね、いまは、ひまりだよ」


「ああ」


「おかあさんも、おとうさんも、だいすきなの」


「うん」


「だからね、ひまりは、ひまりのままでいい?」


はるとは、少し驚いたあと、優しく笑った。


「もちろんだよ」


「……ほんと?」


「ほんと。ひまりは、ひまりだ」


はるとは、ひまりの頭をそっとなでた。


「でも、ミケだったころのひまりのことも、ちゃんと大事にするよ」


ひまりは、ぱっと笑った。


「えへへ! よかったあ!」


そして、何かを思いついたように、はるとの顔を見上げた。


「ねえ、はるとお兄ちゃん!」


「どうした?」


「ひまり、ねこさんみたいに、ごろごろできるよ!」


「えっ?」


ひまりは、はるとの隣に座り直すと、喉を鳴らすまねをした。


「ごろごろ、ごろごろ!」


はるとは、思わず吹き出した。


「ははっ! なんだそれ!」


「ミケのまね!」


「そっか。上手だなあ」


「ほんと!?」


「ああ、すごく上手!」


ひまりは嬉しくなって、もっと大きな声で、ごろごろと言った。


さっきまで泣いていたふたりの間に、いつもの笑い声が戻ってきた。


窓の外では、夕焼けが空を赤く染めていた。


はるとは、ひまりの手をそっと握った。


「なあ、ひまり」


「なあに?」


「これからも、ずっと隣にいてくれるか?」


ひまりは、きょとんとした。


そんなこと、聞かなくてもいいのに。


「いるよ!」


ひまりは、にこにこしながら答えた。


「だって、ひまりのおうち、となりだもん!」


はるとは笑った。


「……そうだな」


「はるとお兄ちゃんも、ずっといてね!」


「ああ。約束する」


ふたりは小指を絡めた。


昔の猫と、少年。


そして今は、ひまりと、はると。


姿も名前も変わったけれど、ふたりの間にあった優しさは、何ひとつ消えていなかった。


ひまりは、はるとの手をぎゅっと握った。


もう、秘密を隠さなくていい。


そう思うと、胸の中がぽかぽかした。


はるとも、もう自分を責めなくていいのだと、少しだけ思えた。


あの日、ミケにしてあげられたこと。


それは、ちゃんとミケに届いていたのだから。

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