ねこさんと、はるとの宝物
朝、ひまりが玄関のドアを開けると、そこには昨日と同じ茶色と白の猫が座っていた。
「あっ! 猫さん!」
猫は、ひまりを見ると小さく鳴いた。
「にゃあ」
「おはよう!」
ひまりはしゃがみ込んだ。
けれど、猫はすぐに逃げようとはしなかった。
ひまりが手を伸ばしかけると、猫は少しだけ後ずさりした。
「あ、ごめんね。びっくりしちゃった?」
ひまりは手を引っ込めて、にこにこしながらその場に座った。
「ひまり、学校に行く時間よー!」
お母さんに呼ばれ、ひまりは慌てて立ち上がった。
「猫さん、またあとでね!」
猫は、まるで返事をするように、もう一度鳴いた。
ひまりは嬉しくなって、黄色い帽子をかぶり直した。
今日も、いい一日になりそうだった。
*
学校から帰ると、ひまりはランドセルを置いて、すぐに庭へ出た。
猫は、まだ玄関先にいた。
「まだいたの!?」
ひまりは驚いて、それから嬉しそうに笑った。
お母さんが用意してくれた猫用のご飯を、少し離れた場所に置く。
「ここに置いておくね」
猫はしばらくひまりを見つめていたが、やがてそろそろと近づき、ご飯を食べ始めた。
「おいしい?」
ひまりが小さな声で尋ねる。
もちろん、猫は答えない。
けれど、夢中で食べている姿を見て、ひまりは満足そうにうなずいた。
「よかった!」
「ひまり、また猫とお話ししてるのか?」
声のした方を向くと、学校から帰ってきたはるとが立っていた。
「はるとお兄ちゃん! この猫さん、昨日からいるの!」
「へえ。ずっとここにいるのか?」
「うん! ご飯も食べてくれたよ!」
はるとは猫の様子を見ながら、ゆっくりしゃがみ込んだ。
「どこかのおうちの猫かなあ」
「おうち、ないのかな?」
「まだわからないな。首輪もないし……」
はるとは少し考えてから言った。
「母さんにも相談してみるよ。近所で探してる人がいないか聞いてみよう」
「うん!」
ひまりは元気よく返事をした。
猫はご飯を食べ終わると、二人を見上げて、小さく鳴いた。
「にゃあ」
「おかわりかな?」
ひまりが言うと、はるとは笑った。
「ひまりは、食いしん坊だからなあ」
「はるとお兄ちゃんだって、給食のおかわりするんでしょ!」
「なんで知ってんだよ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
*
次の日、はるとは学校から帰ると、小さな箱を持ってきた。
「ひまり、これ見てみろよ」
「なあに?」
箱の中には、古い写真が何枚か入っていた。
「部屋を片づけてたら出てきたんだ。昔の写真」
はるとは一枚を取り出した。
そこには、まだ小学生だったはるとと、小さな三毛猫が写っていた。
猫を両手で包むように抱き、満面の笑みを浮かべている。
「わあ! かわいい猫さん!」
ひまりは写真をのぞき込んだ。
「この子、ミケっていうんだ」
「ミケ?」
「うん。昔、よく会いに行ってた野良猫なんだよ」
はるとは、写真の端を指でそっとなぞった。
「毎日ご飯をあげたり、雨の日に段ボールを置いてあげたりしてたんだ」
「そうなんだ!」
「でも、ある日、交通事故に遭っちゃってさ」
はるとの声が少し小さくなった。
「助けてあげられなかったんだ」
ひまりは、写真の猫をじっと見つめた。
懐かしい景色だった。
あの路地。
あの段ボール。
そして、いつも優しく笑ってくれた男の子。
ひまりは、思わず写真に手を伸ばした。
「……この猫さん、はるとお兄ちゃんのこと、大好きだったんだね」
はるとは驚いたように顔を上げた。
「え?」
「だって、こんなに優しいお顔してるもん!」
ひまりは、にっこりと笑った。
「きっと、いっぱい嬉しかったんだよ!」
はるとはしばらく黙っていた。
それから、少し照れくさそうに笑った。
「……そうだといいな」
ひまりは写真をもう一度見た。
自分のことなのに、なんだか不思議な気持ちだった。
でも、はるとが悲しそうな顔をしなくなったので、ひまりはほっとした。
「はるとお兄ちゃん!」
「ん?」
「ミケちゃん、きっと今も元気だよ!」
はるとは少し驚いたあと、優しく笑った。
「そうだな。そうだったらいいな」
*
その日の夕方。
ひまりは、玄関先で猫と並んで座っていた。
猫は、ひまりの膝の近くで丸くなっている。
「ねえ、猫さん」
ひまりは、小さな声で話しかけた。
「ミケちゃんっていう猫さん、知ってる?」
猫は、しっぽをゆっくり揺らした。
「はるとお兄ちゃんね、その猫さんのこと、今でも覚えてるんだよ」
ひまりは、空を見上げた。
「だからね、ひまりも、この猫さんのこと、いっぱい覚えておくね」
猫は、ひまりの手に鼻先を近づけた。
そして、ほんの少しだけ、頬をすり寄せた。
「わあ……!」
ひまりは目を輝かせた。
「なかよしになれたね!」
そこへ、はるとがやってきた。
「ひまり、何してんの?」
「見て見て! 猫さんが、すりすりしてくれたの!」
「おお、すごいじゃん!」
はるとは笑って、猫を驚かせないように、そっと手を差し出した。
猫は少し迷ったあと、はるとの指先にも鼻を近づけた。
「お前も、誰かにかわいがってもらってたのかな」
はるとは優しくつぶやいた。
ひまりは、その横顔を見つめていた。
いつか、はるとに本当のことを話す日が来るのだろうか。
自分が、昔のミケだったこと。
はるとの優しさを、今でも覚えていること。
でも、今はまだ、言わなくてもいい。
はるとが笑っていて、猫がお腹いっぱいで、みんなが幸せなら、それでいい。
「はるとお兄ちゃん!」
「ん?」
「明日も、猫さんに会いに来ようね!」
「もちろん!」
二人は笑い合った。
夕暮れの庭で、三人の影が長く伸びていく。
ひまりは猫の頭をそっとなでた。
今度こそ、ずっと一緒にいられますように。
そんな願いを胸にしまいながら。




