ひまりとはるとの、秘密の場所
ひまりが小学生になって、二週間がたった。
毎朝、黄色い帽子をかぶって、ぴかぴかのランドセルを背負って学校へ行く。
お隣のはるとは中学生。
家を出る時間が少し違うので、毎日一緒に登校できるわけではないけれど、ひまりは朝になると、いつもお隣の玄関を気にしていた。
今日も、はるとが出てくるのを待っている。
「ひまり、そんなに見ていたら、はるとくんが出てくる前に学校に遅れちゃうわよ」
お母さんに言われて、ひまりは慌てて時計を見た。
「ほんとだ!」
ちょうどそのとき、お隣の玄関が開いた。
「おはよー、ひまり!」
「はるとお兄ちゃん! おはよう!」
はるとは、いつものように笑いながら手を振った。
「学校、楽しいか?」
「うん! 昨日ね、折り紙でうさぎさん作ったの!」
「へえ、すごいじゃん」
「あとね、給食のカレーがおいしかった!」
「そっちの話のほうが大事そうだな」
「うん! おかわりしたよ!」
ひまりが胸を張ると、はるとは声を出して笑った。
「じゃあ、今日もいっぱい食べてこいよ」
「はーい!」
たったそれだけの会話だったけれど、ひまりは朝からご機嫌だった。
*
その日の放課後。
ひまりが家に帰ると、庭先ではるとがしゃがみ込んでいた。
「はるとお兄ちゃん、なにしてるの?」
「お、ひまり。これ見てみろよ」
はるとの足元には、小さな植木鉢が置いてあった。
土の真ん中から、緑色の芽がちょこんと顔を出している。
「これ、なあに?」
「ひまわり。学校でもらった種を植えてみたんだ」
「ひまわり!」
ひまりは、植木鉢の前にぺたんと座った。
「お花、咲くの?」
「ちゃんと水をやって、お日さまに当ててやればな」
「いつ咲くの?」
「うーん、もうちょっと先かな」
「明日?」
「明日じゃないな」
「じゃあ、あさって?」
「もっと先!」
はるとは困ったように笑った。
「花が咲くまで、毎日お世話してやらないとな」
ひまりは、うんうんとうなずいた。
「ひまりもお手伝いする!」
「ほんとか? じゃあ、一緒に育てようぜ」
「うん!」
ひまりは嬉しくて、ぱちぱちと手を叩いた。
これから毎日、はるとと一緒にお花のお世話ができる。
考えただけで、楽しみで仕方がなかった。
*
それから、二人の新しい日課が始まった。
学校から帰ると、ひまりはランドセルを置いて、お隣の庭へ向かう。
「はるとお兄ちゃーん! お水持ってきたよ!」
「おう、ありがとな」
二人で小さなじょうろを持ち、植木鉢に水をあげる。
はるとは水をあげすぎないように教えてくれた。
ひまりは、土がびしょびしょになるまで水を入れようとして、何度も止められた。
「ひまり、そんなにあげたらお花がおぼれちゃうぞ」
「えっ! お花、おぼれちゃうの!?」
「いや、そういう意味じゃないけど……」
はるとは笑いながら、じょうろを受け取った。
「ちょっとずつでいいんだよ」
「そっかあ!」
ひまりも一緒に笑った。
ある日は、植木鉢の近くに小さな虫がいた。
「はるとお兄ちゃん! むし!」
「お、なんだろうな」
「こわい?」
「別に怖くないよ。小さいしな」
はるとがそっと葉っぱの上に逃がしてあげると、ひまりは目を丸くした。
「はるとお兄ちゃん、すごーい!」
「これくらい普通だって」
はるとは照れくさそうに頭をかいた。
そんな毎日が、ひまりは大好きだった。
*
ある日の夕方。
ひまりがいつものように庭へ行くと、はるとは植木鉢の前に座ったまま、じっと土を見つめていた。
「はるとお兄ちゃん?」
「……あ、ひまり」
「どうしたの?」
はるとは、少し困った顔をしていた。
「芽がさ、なんか元気ないんだよな」
見ると、昨日までぴんと立っていた葉っぱが、少ししおれていた。
「お水、足りなかったのかな」
「ちゃんとあげたんだけどなあ」
はるとは、しょんぼりと肩を落とした。
ひまりは植木鉢をのぞき込んだ。
猫だった頃、雨の日に濡れてしまったことがあった。寒くて、動けなくて、どうしたらいいのかわからなかった。
あのとき、はるとはタオルを持ってきてくれた。
何も言わず、ただそばにいてくれた。
ひまりは、はるとの隣にちょこんと座った。
「……だいじょうぶだよ」
「え?」
「お花さん、きっと元気になるよ!」
ひまりは、にこっと笑った。
「だって、はるとお兄ちゃんが、いっぱいお世話してるもん!」
はるとは、少しだけ目を丸くした。
それから、ふっと笑った。
「……そうだな。もうちょっと様子を見てみるか」
「うん!」
二人は並んで、植木鉢を眺めた。
しばらくすると、はるとがぽつりと言った。
「ひまりって、ほんと元気だよな」
「そう?」
「うん。ひまりがいると、なんか楽しいんだよな」
ひまりは、にぱっと笑った。
「ひまりも、はるとお兄ちゃんといると楽しいよ!」
「そっか」
はるとは、優しくひまりの頭をなでた。
「じゃあ、明日も一緒にお世話しような」
「うん! 約束!」
二人は小指を絡めた。
*
次の日の朝。
ひまりが庭へ出ると、植木鉢の芽は昨日より少しだけ元気になっていた。
「はるとお兄ちゃん! 見て見て!」
はるとも玄関から出てきて、植木鉢をのぞき込んだ。
「おっ、ほんとだ!」
「元気になったね!」
「よかったなあ」
二人は顔を見合わせて笑った。
まだ、お花は咲いていない。
いつ咲くのかも、わからない。
けれど、毎日少しずつ大きくなっていく芽を見るのは、とても楽しかった。
ひまりは、ちいさな葉っぱにそっと手を振った。
「おはよう、お花さん!」
「まだ花じゃなくて芽だけどな」
「じゃあ、おはよう、芽さん!」
はるとは、また大きな声で笑った。
その笑い声を聞きながら、ひまりも一緒に笑った。
お隣同士の二人。
年齢は違うけれど、二人には同じ楽しみができた。
いつか、大きなひまわりが咲く日まで。
明日も、その次の日も。
二人はきっと、ここで一緒に水をあげる。
そして、ひまりはまだ知らない。
この小さな植木鉢が、いつか二人にとって、忘れられない大切な思い出になることを。
今日も、お隣の庭には、二人の笑い声が響いていた。




