第三話 世界で一番可愛い妹
リリアーナ・アルヴェルト。
五歳。
アルヴェルト公爵家の末娘。
そして――。
「お兄ちゃま!」
朝から全力で抱きついてくる生き物だった。
「苦しい、リリィ」
「やだ!」
「離れない!」
小さな腕とは思えないほど力強い。
ルシアンは苦笑しながら妹の頭を撫でた。
ふわりとした白銀の髪が指をくすぐる。
「本当に元気だね」
「うん!」
「昨日まで泣いてたって聞いたけど」
「泣いた!」
「今日は?」
「もう泣かない!」
笑顔が眩しい。
昨日まで毒殺騒ぎで重苦しかった屋敷とは思えないほど、この子がいるだけで空気が変わる。
ミリアが温かい紅茶を運んできた。
「リリアーナ様、お兄様はまだ安静です」
「知ってる!」
「でしたら、もう少し優しく」
「やさしいよ!」
「どこが?」
「ぎゅーってしてるだけ!」
ぎゅー。
「十分苦しいんだけど」
ルシアンが笑うと、リリィもつられて笑う。
その笑顔を見ていると、不思議と前世のことを忘れられた。
前世では妹がいなかった。
だから、どう接すればいいのか分からない。
けれど。
嫌ではなかった。
むしろ――。
「ねぇ、お兄ちゃま。」
「なに?」
「大好き!」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
照れも。
打算も。
何もない。
ただ、好きだから言う。
そんな当たり前のことを、前世では誰かに言われた記憶がない。
「……ありがとう。」
「お兄ちゃまは?」
「ん?」
「リリィのこと好き?」
答えに困る。
嫌いではない。
もちろん好きだ。
でも。
まだ二日しか一緒に過ごしていない。
自分は転生者だ。
以前のルシアンとは違う。
そんな自分が「好き」と言っていいのだろうか。
少し考えてから答える。
「世界で一番かわいい妹だと思う。」
リリィの瞳が大きくなる。
「かわいい?」
「うん。」
「世界で一番?」
「世界中探しても、一番じゃないかな。」
「えへへ。」
照れたように笑いながら、もう一度抱きついてくる。
「リリィも、お兄ちゃまが世界で一番好き!」
ミリアが優しく目を細めた。
「本当に仲がよろしいですね。」
「そうかな。」
「はい。」
「前もこんな感じだった?」
ミリアは少し考えた。
「以前は……」
「以前は?」
「ルシアン様の方が照れておられました。」
「そうなんだ。」
「リリアーナ様が抱きついても、すぐ離れておられました。」
少しだけ胸が痛む。
今の自分は、前のルシアンではない。
なのに皆は、自分をルシアンとして接してくれる。
それが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
「お兄ちゃま。」
リリィが袖を引っ張る。
「お庭いこ!」
「まだ歩いちゃ駄目って言われてる。」
「じゃあ、お話!」
「何の?」
「昔のお話!」
昔。
ルシアンの記憶を探る。
幼い頃、一緒に庭で花冠を作った。
かくれんぼをした。
絵本を読んであげた。
断片的な記憶しか残っていない。
「覚えてない?」
リリィが寂しそうに聞く。
「少しだけ。」
「じゃあリリィが教えてあげる!」
得意げに胸を張る。
「お兄ちゃまね。」
「うん。」
「泣いてたリリィにね。」
『大丈夫。』
『お兄ちゃんが守る。』
「って言ったの!」
ルシアンは息を呑む。
その言葉は、自分が言ったものではない。
以前のルシアンだ。
でも。
今も同じことを思っている。
この子だけは守りたい。
そう思ってしまう。
「守ってくれる?」
青い瞳が真っ直ぐ見つめてくる。
昨日の自分なら答えられなかった。
未来なんて分からない。
死なない保証もない。
約束はできない。
そう思っていた。
でも今は違う。
「約束する。」
リリィが目を丸くする。
「本当?」
「うん。」
「お兄ちゃんは、できる限りリリィを守る。」
少女は満面の笑みで飛びついてきた。
「約束!」
「約束。」
その光景を、廊下の陰から静かに見つめる人物がいた。
赤い髪。
鋭い瞳。
次兄、レオン・アルヴェルト。
彼は誰にも気付かれないまま、小さく呟く。
「……また始まったか。」
その言葉だけを残し、静かに立ち去っていく。
ルシアンはまだ知らない。
自分が交わしたその約束が、この世界で最も重い約束になることを。




