第四話 笑わない兄
朝食の時間だった。
アルヴェルト公爵家では、家族全員が揃って食事をすることは少ない。
公爵であるクラウスは政務に追われ、長兄アレクシスは騎士団や領地の視察、次兄レオンは家庭教師との勉学がある。
だから今日の朝食は珍しかった。
大きな食堂には、公爵家の家族がほぼ全員揃っている。
長いテーブル。
白いクロス。
銀の食器。
窓から差し込む朝日が、磨き上げられた床へ映っていた。
「ルシアン。」
公爵クラウスが口を開く。
「昨日は大事だったそうだな。」
「はい。」
「体調は。」
「問題ありません。」
「そうか。」
それだけだった。
父らしい会話とは言えない。
しかしルシアンは、不思議と昨日ほど冷たい人には見えなかった。
父もまた、感情を表に出せないだけなのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
「お兄ちゃま!」
隣からリリィが小声で囁く。
「パン、おいしい!」
「それはよかった。」
「半分あげる!」
「ありがとう。」
リリィは自分の皿からパンを半分ちぎり、ルシアンの皿へ乗せた。
「リリアーナ。」
クラウスが低い声で言う。
「食事中は静かに。」
「……はぁい。」
しゅん、と肩を落とすリリィ。
ルシアンは思わず口を開いた。
「父上。」
食堂の空気が止まる。
アレクシスまで驚いた顔をした。
「何だ。」
「リリィは悪いことをしていません。」
父は黙る。
「家族と話をしていただけです。」
静寂。
誰も口を開かない。
やがてクラウスはパンを口へ運び、短く答えた。
「……そうだな。」
それだけだった。
しかしリリィは嬉しそうに笑う。
「えへへ。」
アレクシスも小さく微笑んでいた。
ただ一人。
レオンだけは無表情だった。
◇
食事を終え、ルシアンは庭園を散歩していた。
もちろん医師から長時間歩くことは禁止されている。
だからミリアが付き添っている。
「本当に大丈夫ですか?」
「少し歩くだけ。」
「無理はなさらないでください。」
「分かってる。」
庭には色とりどりの花が咲いていた。
リリィが昨日話していた花冠も、この花で作ったのだろう。
その時だった。
「少し話をしよう。」
後ろから声がした。
振り返る。
レオンだった。
今日も整った制服のような服を着ている。
笑っている。
しかし目は笑っていない。
「兄上。」
「歩けるようになったんだね。」
「はい。」
「少し二人で話そう。」
ミリアが不安そうな顔をする。
「ルシアン様……。」
「少しだけ。」
ルシアンは頷いた。
レオンは庭園の奥へ歩き始める。
人のいない噴水の前で立ち止まった。
「昨日は驚いたよ。」
「毒のことですか。」
「そう。」
レオンは噴水を見つめる。
「どうして分かった?」
「嫌な予感がしました。」
「それだけ?」
「はい。」
レオンは笑う。
「嘘だね。」
ルシアンの心臓が跳ねた。
「君は昔から嘘が苦手だった。」
「……。」
「でも昨日は違った。」
レオンは振り返る。
「上手に嘘をついた。」
風が吹く。
噴水の水音だけが響いていた。
「安心して。」
「え?」
「兄上には言わない。」
「何をですか。」
「君が何かを隠していること。」
レオンは優しく笑った。
「秘密くらい、誰にでもある。」
そう言うと歩き出す。
数歩進んだところで足を止めた。
「ただ一つだけ。」
「……。」
「誰も信じすぎない方がいい。」
「兄上も?」
「もちろん。」
「父上も?」
「もちろん。」
「アレクシス兄上も?」
レオンは少しだけ目を細めた。
「特に兄上はね。」
そう言い残して去っていく。
ルシアンはその背中を見つめ続けた。
敵なのか。
味方なのか。
全く分からない。
◇
その夜。
ルシアンはベッドへ横になっていた。
眠れない。
兄たちのことを考えていた。
優しいアレクシス。
何を考えているか分からないレオン。
感情を見せない父。
無邪気なリリィ。
誰もが何かを抱えている。
「……能力。」
ルシアンは静かに呟く。
今日はまだ使っていない。
一日に一度。
誰か一人だけ。
人生で最も深い後悔を見る力。
昨日はリリィには発動しなかった。
では。
レオンなら。
あの言葉の意味が分かるかもしれない。
――弟を信じたこと。
それは未来なのか。
過去なのか。
それとも、これから変えられる運命なのか。
ルシアンは静かに拳を握る。
「明日。」
「レオン兄上の後悔を見てみよう。」
その決意が、新たな真実への扉を開くことになるとは、まだ誰も知らなかった。




