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配達された完全犯罪の台本  作者: なは


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9/15

過去の傷痕

 二月二十日の夜。


 佐藤を荻窪のアパートに泊まらせてからもう二日目になる。狭い部屋に男二人は、やはり窮屈だった。佐藤は敷布団を借りて床に寝ている。俺はベッドだ。


「明日からどうする。お前のアパートに帰れるか」


「帰りたくない」と佐藤は言った。声には正直な怯えがあった。


「Xデーは過ぎたけど、部屋に一人でいるのが怖い。あの換気扇の傷のこともあるし。誰かが合鍵で入ったかもしれないって思ったら、とてもじゃないけど眠れない」


「わかった。当面はここにいていい」


「すまない」


「謝るな。命の問題だ」


 二月二十一日。火曜日。


 佐藤は普通に出社していった。織田の前では何食わぬ顔をしろと念を押した。


 俺は一人でアパートに残り、調査を始めた。


 まず、織田圭吾の前職について調べる。


 佐藤から聞いた情報では、織田は大手の広告代理店に勤めていて、三年前に退社している。退社理由は「キャリアアップ」と本人は言っているが、経費の不正処理で問題を起こしたという噂がある。


 広告代理店の名前は「ブランドメディカ」。業界では中堅どころの代理店で、医薬品や化粧品のプロモーションを主に手がけている。


 ネットで「ブランドメディカ 不祥事」を検索した。


 直接ヒットする記事はなかった。だが、業界ニュースサイトに三年前の記事が見つかった。


 「ブランドメディカ、営業部門の組織改編を発表。複数の管理職が異動」


 記事の中身は表面的なものだった。組織改編の理由として「業務効率化」が挙げられている。だが、複数の管理職が同時に異動するのは通常の人事では考えにくい。裏に何かがあったと推測するのが自然だ。


 さらに検索を続けると、転職サイトの口コミで気になる投稿を見つけた。


 「営業部の一部で経費の水増しが横行していた。会社は表沙汰にせず、関係者を異動や退職で処理した」


 匿名の口コミだ。信頼性は高くない。だが、佐藤から聞いた噂と一致する。


 仮に、織田がブランドメディカで経費の不正処理に関与していたとする。会社は織田を訴える代わりに、退職を促した。織田は「キャリアアップ」を口実に退社し、佐藤の会社に移った。


 そして、新しい会社でも同じことをしている可能性がある。


 佐藤が経理に織田の接待費の異常について言及した。それが織田の耳に入った。


 前科持ちの人間にとって、過去の失敗が繰り返しバレることは致命的だ。二度目の不正が発覚すれば、今度は退職では済まされない。刑事告発もありうる。


 その危機を回避するために、告発者である佐藤を排除する。


 動機としては十分だ。


 だが、まだ推測の域を出ない。裏を取る必要がある。


 俺は一つの賭けに出ることにした。


 ブランドメディカに電話する。


 ネットで代表番号を調べ、電話をかけた。


「お忙しいところ恐れ入ります。私、フリーランスのライターをしております河瀬と申します。業界誌の記事執筆のため、御社の三年前の組織改編について取材をさせていただきたく、ご連絡差し上げました」


 嘘だ。だが、情報を引き出すにはこうするしかない。


 電話の向こうで、受付の女性が少し戸惑った声を出した。


「少々お待ちください」


 保留音が流れる。二分ほどして、別の声が出た。男性。広報部の人間だろう。


「お電話代わりました。広報の田中です」


「河瀬と申します。業界誌向けの記事で、御社の三年前の組織改編について——」


「申し訳ございませんが、三年前の人事に関するお問い合わせにはお答えできかねます」


 即答だった。用意されていたかのような拒否。


「何か問題がございましたでしょうか」


「いえ。弊社の方針として、過去の人事案件に関する取材はお断りしております」


「では、当時在籍されていた織田圭吾さんについて——」


「個人名についてもお答えできかねます。申し訳ございません」


 電話は切れた。


 拒否されたこと自体が情報だ。


 通常の組織改編であれば、広報が問い合わせを即座に拒否する理由はない。だが、不祥事絡みの人事であれば話は別だ。外部に漏れることを恐れて、一律で取材を断る。


 おそらく、織田がブランドメディカで何か問題を起こしたのは事実だ。


 次に、佐藤の会社について調べた。


 佐藤が勤めている会社は「アスミール」という小規模の広告制作会社だ。社員は二十人程度。主にウェブ広告のデザインと運用を手がけている。


 小さい会社だ。経費管理の体制が甘い可能性がある。織田のような人間には好都合だ。


 佐藤にLINEを送った。


 織田さんの担当案件で、架空の接待先はないか確認してくれ。接待費の領収書に書かれた店名をメモしてほしい。


 返信は昼休みに来た。


 わかった。共有フォルダを見てみる。バレないように気をつける。


 午後三時。もう一つの調査に取りかかった。


 矢島理沙のことだ。


 矢島の勤務先は出版社だと佐藤から聞いている。出版社の名前は「星風出版ほしかぜしゅっぱん」。文芸書を中心に刊行している中小の出版社だ。


 矢島が編集者として担当している作家の名前を、佐藤は一人だけ知っていた。交際中に矢島が話していたらしい。


 その作家が出している小説のジャンルはミステリーだった。


 ミステリー作家の担当編集者。


 遺書の文体は文学的で、構成が練られていた。まるで小説のプロットのように。


 矢島が編集の仕事を通じて、ミステリーの構成技法を学んでいたとすれば。あの遺書のような、トリックとメタファーを織り交ぜた文章を書くことは——可能だ。


 だが、それは矢島に限った話ではない。ミステリー小説を読む人間なら誰でも学べる知識だ。


 俺は矢島のSNSアカウントを調べた。


 Twitterのアカウントが見つかった。公開アカウントで、フォロワーは五百人ほど。投稿内容は仕事に関するものが多い。新刊の告知、書店でのフェアの様子、業界イベントの写真。


 プライベートな投稿も時折ある。カフェの写真、映画の感想、猫の写真。


 猫。


 矢島のTwitterの二週間前の投稿に、猫の写真が二枚あった。一枚は白猫。もう一枚は——黒猫。


 投稿の文面。


 近所で見かけた子。もふもふ。


 黒猫の写真には位置情報はついていない。だが「近所」と書いている。矢島の住所は吉祥寺南町。佐藤のアパートがある三鷹の住宅街とは距離がある。


 矢島の近所の黒猫が、佐藤のアパートの前に現れた黒猫と同一個体である可能性。低いが、ゼロではない。


 あるいは、矢島が黒猫を使って、遺書の「予言」を演出した可能性。餌を使って猫を誘導するのは難しくない。


 推測が広がりすぎている。


 事実だけを並べる。


 一つ。織田圭吾は前職で不正処理の疑い。動機は口封じ。Xデーに佐藤のアパート付近に車があった。

 二つ。矢島理沙は佐藤の合鍵を持っている。ミステリー編集者としてトリックの知識がある。SNSに黒猫の写真がある。


 どちらから先に追い詰めるべきか。


 客観的に見れば、織田のほうが証拠が多い。だが、矢島には合鍵という物理的な優位がある。


 佐藤からLINEが来た。


 織田さんの経費、調べた。三件、怪しい領収書がある。店名で検索しても出てこない飲食店の名前が書いてある。架空の店かもしれない。


 写真が添付されていた。領収書のコピー。三枚。金額はそれぞれ二万八千円、三万五千円、四万二千円。合計十万五千円。


 店名を検索してみた。「和処なかむら」「炭火焼き鳥はなれ」「割烹さくら庵」。


 一件目の「和処なかむら」は検索結果ゼロ。住所も電話番号も見つからない。


 二件目と三件目も同様だった。


 架空の領収書。


 織田は架空の飲食店の領収書を使って、経費を水増ししている。


 前職と同じ手口だ。


 そしてこの事実を佐藤が経理に話したことが、織田に伝わった。


 動機が確定しつつある。


 佐藤に返信した。


 絶対に織田にバレるな。明日、詳しく話す。


 夜十時。俺はノートに今日の調査結果をまとめた。


 織田圭吾。動機あり。架空経費の証拠あり。Xデーに佐藤のアパート付近にいた物理的証拠あり。


 矢島理沙。合鍵を所持。ミステリーの知識あり。黒猫との関連性は不確定。


 現時点での結論。主犯は織田圭吾である可能性が高い。


 だが、まだ確信には至らない。


 足りないのは、決定的な物的証拠だ。遺書の筆跡鑑定、赤い紐の入手経路、練炭の配送伝票。これらのうち一つでも織田に繋がれば、警察を動かせる。


 明日からは、その証拠を掴みに行く。



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