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配達された完全犯罪の台本  作者: なは


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8/15

追跡者の影

 二月二十日。


 朝、佐藤と一緒にファミレスで朝食を取った。昨日と同じ荻窪駅前の店だ。


 佐藤の顔色は昨日より少しだけましだった。Xデーを乗り越えたという安堵が、わずかに表情を和らげている。


 だが俺は安心していなかった。


 台本の日付を過ぎたからといって、犯人が諦めるとは限らない。計画が狂った犯人がどう動くか。撤退するか、修正して再実行するか。どちらの可能性もある。


「今日から犯人を追うと言ったが、具体的に何をするか説明する」


「ああ」


「まず、織田さんの行動を調べる。お前から見て、織田さんの私生活について知っていることを話してくれ」


「織田さんの私生活か……正直、あんまり知らない。仕事の付き合いがほとんどだから」


「飲み会での会話とか、雑談で出た話とかは」


 佐藤がモーニングのトーストを齧りながら考えた。


「そうだな。織田さんは一人暮らしで、調布に住んでるって言ってた。マンションの五階。ペットは飼ってない。趣味は映画鑑賞。休日はだいたい映画を見に行くって」


「調布か。三鷹からは近いな」


「電車で二十分くらいだ」


「車は持ってるか」


「持ってるって言ってた。白のコンパクトカー。車種は聞いてない」


 白の車。昨日、佐藤のアパートの前に停まっていた白のスズキを思い出した。偶然かもしれない。だが確認する価値はある。


「織田の車のナンバーはわかるか」


「明日出社したとき、さりげなく確認してくれ。ナンバーの写真を撮ってLINEで送ってくれ」


「わかった」


「それと、カフェで話した矢島理沙のことも調べたい。部屋の合鍵を持っているとなれば、やはり容疑者だ。矢島の現住所は知ってるか」


「別れる前は吉祥寺に住んでた。今も同じ場所かどうかはわからない」


「連絡先は持ってるか」


「LINEはブロックしてないから、メッセージを送れば届くと思う。電話番号も変えてない」


「矢島に連絡してみろ。何か口実を作って会えないか」


「え、理沙と?」


「矢島の反応を見たい。あの合鍵のトリックを仕掛けたのが矢島なら、Xデーが過ぎたことに対する焦りや苛立ちが表情に出るかもしれない。逆に犯人でなければ、呼び出しても普通の反応をするはずだ」


 佐藤は渋い顔をした。


「いくら怪しいからって、元カノを疑って連絡するのはちょっと……」


「命がかかってる」


「わかった。やる」


 佐藤がスマートフォンを取り出し、LINEを開いた。矢島理沙のトークルーム。最後のメッセージは三ヶ月前で、「荷物ありがとう」の一文だけだった。


 佐藤が文を打ち始める。


「何て送ればいい」


「久しぶり、話したいことがある。会えないか、くらいでいい」


 佐藤が打った。送信。


 既読はすぐについた。


 返信が来たのは一分後だった。


 いいよ。いつがいい?


 佐藤と俺は顔を見合わせた。矢島の即答。久しぶりの元恋人からの連絡に迷いなく応じている。未練があるのか、あるいは別の理由か。


「今日の午後にしてくれ。場所は吉祥寺でいい」


 佐藤がメッセージを送り、午後二時に吉祥寺駅前のカフェで会う約束が決まった。


「俺も行く」


「え。三人で会うのか」


「いや、別のテーブルで見ている。矢島に俺の存在は知らせるな」


「わかった」


 午後一時半、吉祥寺に着いた。


 駅前は昼の買い物客で賑わっている。俺は先にカフェに入り、入り口から離れた奥の席に座った。メニューを広げて顔を隠しつつ、入り口が見える位置。


 午後二時。佐藤がカフェに入ってきた。指定した窓際の席に座る。


 数分後、矢島理沙が現れた。


 はじめて見る顔だった。佐藤から写真を見せてもらったことはあるが、実物は印象が違った。


 小柄な女性だ。百五十五センチくらい。黒のロングコートに白いマフラー。髪は肩までの長さで、片側を耳にかけている。化粧は薄い。目の下に隈がある。佐藤と同じで、よく眠れていない顔だ。


 矢島は佐藤の前に座り、何か言った。遠くて聞こえない。だが、表情は穏やかに見えた。


 俺はコーヒーを注文し、メニューの後ろから二人を観察した。


 まず矢島の手の動き。落ち着いている。テーブルの上に軽く置かれ、コーヒーカップに手を伸ばす所作も自然だ。緊張している人間は、手に余計な動きが出る。爪をいじったり、指を組んだりほどいたりする。矢島にはそれがない。


 次に視線。佐藤の目を見て話している。視線が安定している。嘘をつく人間は、視線が泳ぐことがある。意識的に目を合わせすぎることもある。矢島の視線はどちらでもない。自然だ。


 会話は三十分ほど続いた。時折、矢島が笑った。佐藤も少し笑った。別れた恋人同士としては、悪くない雰囲気に見えた。


 矢島が何度か首を傾げる仕草をした。何かを不思議に思っているような顔だ。おそらく、佐藤が突然連絡してきた理由を訊いているのだろう。


 佐藤は口実として「仕事の相談」を使うと事前に決めていた。矢島は出版社の編集者だ。佐藤の会社が制作するパンフレットのデザインについて意見を聞きたい、という設定。


 二時半。矢島が立ち上がった。帰るらしい。佐藤と短い会話を交わし、互いに小さく頭を下げた。矢島がカフェを出ていく。


 俺はカウンターで会計を済ませ、矢島の後を追った。


 吉祥寺の商店街を歩く矢島の後ろ姿。小柄な体がコートの中に沈んでいる。人混みの中を器用にすり抜けていく。


 距離を保ちながら追った。三十メートルほどの間隔。人混みの中に紛れやすい距離だ。


 矢島は商店街を抜け、住宅街に入った。静かな通りに足音が響く。人通りが少なくなり、尾行のリスクが上がる。


 矢島が一度だけ後ろを振り返った。


 俺は歩道の反対側に移り、スマートフォンを見るふりをした。矢島の視線が俺を掠めて通り過ぎたように見えた。


 矢島はそのまま歩き続け、古いマンションの入り口に消えた。三階建てのマンション。表札にはいくつかの名前が並んでいるが、遠くて読めない。


 建物の前まで行くのはリスクが高い。通り過ぎるふりをしながら、マンション名と住所を確認した。


 吉祥寺南町三丁目。佐藤のアパートがある三鷹からは、中央線で一駅。徒歩でも三十分弱。十分に行動圏内だ。


 俺はその場を離れ、佐藤に電話した。


「どうだった?」


「普通だった。本当に普通。久しぶりって言って、仕事の話をして、じゃあねって帰った。変な感じはまったくなかった」


「終始落ち着いてたか」


「落ち着いてた。別れてからのことも少し話した。仕事が忙しいって言ってた。新しい彼氏がいるかは聞けなかった」


「矢島がお前のことをどう思ってるか、何か感じたか」


「さあ……もう吹っ切れてる感じだったな。未練があるようには見えなかった」


 未練がないように見える。それは犯人として矛盾する。だが、矢島が優れた演技者である可能性も排除できない。


「もう1つ確認。矢島の手を見たか」


「手?」


「手荒れとか、傷とか」


「綺麗な手だったよ。とくに変わったところは……あ、でも右手の人差し指にバンドエイドが貼ってあった」


「それは聞いたか」


「聞いてない。気にならなかったから」


 バンドエイド。指の怪我。何かを作業した痕跡かもしれないし、日常的な怪我かもしれない。これだけでは何とも言えない。


 午後四時。俺は一人で調布に向かった。


 織田の住所は佐藤に調べてもらっていた。会社の従業員名簿に住所が載っている。調布市国領町のマンション。駅から徒歩十分。


 マンションは新しかった。五階建ての鉄筋コンクリート。オートロック。エントランスにはセキュリティカメラが設置されている。


 外から確認できる情報は限られる。共用ポストに「織田」の表札がある。五階の部屋だ。


 マンションの駐車場を覗いた。屋根付きの駐車場に、車が十数台停まっている。白のコンパクトカーが一台あった。スズキのアルト。ナンバーを確認する。


 多摩ナンバー。


 昨日、佐藤のアパートの前に停まっていた車と同じナンバーだった。


 偶然ではない。


 織田圭吾は昨日、佐藤のアパートの前に車を停めていた。


 俺はスマートフォンでナンバープレートの写真を撮った。


 証拠が1つ増えた。


 決定的ではないが、状況証拠としては十分だ。織田がXデーの当日に佐藤のアパート周辺にいた。犯行の下見か、あるいは犯行そのものの準備だった可能性が高い。


 だが、ナンバーが完全一致しているかどうか、記憶だけでは自信がない。昨日のメモを確認する。


 メモ帳を開いた。昨日走り書きしたナンバー。数字を照合する。


 一致した。


 つまり織田は、Xデーの夕方に佐藤のアパート付近にいた。偶然通りかかっただけという言い訳は通用しない。調布から三鷹は近いが、佐藤のアパートがある住宅街は生活圏ではない。


 俺はマンションの前を離れ、駅に向かいながら佐藤に電話した。


「佐藤。織田のことで1つ確認した。織田は昨日、お前のアパートの前にいた可能性が高い」


「何だって?」


「昨日張り込んでいたとき、アパートの前に白い車が停まってた。ナンバーをメモしてたんだが、さっき織田さんのマンションの駐車場にある車と一致した」


「織田さんが俺の部屋の前に……」


「ああ。これで織田さんが怪しいという俺の仮説が裏付けられた」


 電話の向こうで佐藤が息を呑むのが聞こえた。


「でも、それだけで犯人だとは言えないだろ」


「言えない。だがもう1つ、お前の部屋の換気扇に新しい傷があった。ネジを回した跡だ。誰かがお前の留守中に部屋に入って下見をしている」


「合鍵を持ってるのは理沙だけだ。織田さんは持ってない」


「合鍵がなくても入る方法はある。ピッキングや、管理人に嘘をつくこともできる。だが矢島の合鍵の件も気になる。織田さんと矢島が共犯という線も、まだ完全には消せない」


「共犯って……」


「あくまで可能性の1つだ。だが状況的に、メインの容疑者は織田さんだ。動機、機会、手段。3つが揃い始めている」


 佐藤が沈黙した。しばらくして、小さな声で言った。


「職場に行きたくなくなってきた」


「気持ちはわかる。だが、月曜日は普通に出社してくれ。織田に何も気づいていないふりをしろ。泳がせるんだ」


「泳がせる?」


「犯人は計画が失敗したことに動揺しているはずだ。次にどう動くか、観察する必要がある。お前が普通にしていれば、犯人は自分が疑われていないと思う。そうすれば、ボロを出す可能性が高くなる」


「わかった。やってみる」


「俺も月曜日からは別の方向で動く。織田の過去を調べる。前職で何があったのか」


 帰りの電車の中で、窓に映る自分の顔を見た。


 目の充血がひどい。三日連続でろくに寝ていない。


 だが、糸口は掴み始めている。あとは、それを確実な証拠に変えること。


 Xデーは過ぎた。だが、本当の戦いはこれからだ。



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