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配達された完全犯罪の台本  作者: なは


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7/15

張り込み

 三鷹駅に着いたのは午後四時だった。


 二月の夕暮れは早い。もう日が傾き始めている。商店街のアーケードに電灯が点き始め、帰宅途中の人々が足早に通り過ぎていく。


 佐藤のアパートに向かう道を歩きながら、周囲を観察した。


 住宅街の入り口にあるコンビニ。自動ドアの上に防犯カメラが設置されている。角度から見て、店の前の歩道まではカバーしているだろうが、佐藤のアパートまでは二百メートル離れている。そこまでは映らない。


 アパートに近づくにつれ、人通りが減る。古い木造の住宅が並ぶ静かな通り。街灯は五十メートルおきにぽつぽつと立っている。夜になれば暗がりが多い。


 佐藤のアパートの前に着いた。


 二階建ての木造アパート。六部屋。佐藤は二〇五号室、二階の一番奥。外階段を上がった突き当たりにドアがある。


 階段の下から見上げた。ドアの前に不審なものは見当たらない。段ボール箱も、黒猫もいない。


 階段を上がる。足音を殺して。金属の踏み板がわずかに軋んだ。


 佐藤のドアの前に立った。ドアは閉まっている。鍵がかかっているか確認するため、ドアノブに手をかけた。


 動いた。


 鍵がかかっていない。


 佐藤は今朝、仕事に行くときに鍵をかけたはずだ。だが今日は日曜で休みだと言っていた。朝、俺からの電話の後すぐに荻窪に向かったのなら、慌てて鍵をかけ忘れた可能性はある。


 だが、もう一つの可能性がある。


 誰かが合鍵で開けた。


 矢島が合鍵を持っている。


 ドアをゆっくり開けた。ワンルームの部屋。六畳のフローリングにベッド、デスク、小さなキッチン。佐藤が住んでいる部屋そのままだ。


 異質なものがないか、目を走らせる。


 キッチンのシンクに食器が数枚。ベッドは乱れたまま。デスクの上にはノートパソコンと書類が散らばっている。


 ユニットバスのドアを開けた。


 バスタブの中は空だった。排水口にはわずかに水が溜まっている。洗面台の上には歯ブラシと歯磨き粉、シャンプーのボトル。


 練炭はない。昨日俺が処分したのだから当然だ。


 だが、目を引くものがあった。


 ユニットバスの換気扇のスイッチカバー。カバーの上部、ネジの部分に微かな傷。最近つけられた傷だ。ネジを回して外した痕跡に見える。


 換気扇のスイッチカバーを外す理由。


 換気扇の構造を確認するため。あるいは、換気口を塞ぐ方法を検討するため。


 遺書の手順書には、密室を作るために換気口を封鎖すると書かれていた。犯人はすでに下見に来ている。佐藤が仕事に行っている間に、合鍵を使って部屋に入り、換気口の構造を確認したのだ。


 背筋が冷たくなった。


 犯人はこの部屋に入っている。最近。おそらく昨日か今日。


 俺はスマートフォンで写真を撮った。換気扇のスイッチカバーの傷。念のため、部屋全体も数枚撮影した。


 部屋を出て、ドアを閉める。鍵はかけられない。佐藤のスペアキーは持っていない。


 階段を下り、アパートの周囲を歩いた。


 裏手に回る。アパートの裏側は細い路地になっている。隣家のブロック塀との間に人一人が通れる幅がある。雑草が伸び放題で、足元が見えにくい。


 路地を進むと、佐藤の部屋のちょうど真下あたりに、空き缶が数個転がっていた。缶ビールの缶とコーヒーの缶。汚れ具合から見て、ここ数日のうちに捨てられたものだ。


 誰かがここで待機していた形跡。


 アパートの裏から二階の窓を見上げた。佐藤の部屋の窓。カーテンが閉まっている。だが、窓の端にわずかな隙間がある。ここから室内を覗くことはできないが、明かりがついているかどうかは確認できる。


 犯人はここから佐藤の在宅を確認していたのかもしれない。


 空き缶を一つ拾い上げて見た。プルトップの開け方。右利きの人間が開けた形跡。指紋が残っている可能性があるが、俺には調べる手段がない。


 缶を元の位置に戻した。後で警察に相談する際の証拠になるかもしれない。


 アパートの表に戻り、道路沿いを見渡した。


 向かいの家の庭に面した道路に、一台の軽自動車が停まっていた。白のスズキ。ナンバーを確認する。多摩ナンバー。住人の車かもしれないが、念のためメモしておいた。


 五時が近づいていた。日が完全に落ち、街灯の明かりが弱々しく道を照らしている。


 俺は近くの自動販売機で缶コーヒーを買い、アパートの向かいにある公園のベンチに座った。小さな公園だ。滑り台とブランコが一つずつ。子供の姿はない。


 ここからはアパートの入り口と外階段が見渡せる。


 張り込みだ。


 犯人が今夜動くなら、佐藤の部屋に来る必要がある。佐藤はファミレスにいるが、犯人はそれを知らないかもしれない。部屋に明かりがついていないことから留守だと判断するか、それとも予定通り犯行を実行しに来るか。


 缶コーヒーを飲みながら待った。


 五時半。


 六時。


 通行人がときどき通り過ぎるが、アパートに入る者はいない。


 六時半。スマートフォンが震えた。佐藤からのLINE。


 まだファミレスにいる。注文しすぎて店員に怪しまれてきた。


 もう少しいてくれ、と返信した。


 七時。暗闇の中で息を潜めていた。


 公園のベンチは冷たかった。尻から冷気が這い上がってくる。手がかじかんで、スマートフォンの操作がぎこちない。


 それでも動けなかった。ここにいる必要があった。


 七時十五分。


 人影が見えた。


 アパートの前の道路を、一人の人間が歩いてくる。暗くて顔は見えない。コートのフードを被っている。


 歩く速度はゆっくりだ。散歩のようにも見えるが、目線がアパートのほうに向いている。


 俺はベンチの背もたれに体を預け、姿勢を低くした。暗がりに溶け込むように。


 人影がアパートの前で立ち止まった。


 数秒間、アパートを見上げていた。二階の窓を確認しているように見える。


 そして、歩き出した。アパートの前を通り過ぎ、角を曲がって視界から消えた。


 心臓が跳ねた。


 立ち上がり、少し距離を取って角を覗いた。


 もういなかった。路地の先は暗く、人影は見えない。


 偶然の通行人だった可能性はある。この道は住宅街の生活道路だ。住人が通っても不思議ではない。


 だが、立ち止まってアパートを見上げた。それは日常的な行動ではない。


 八時。佐藤に電話した。


「そろそろこっちに来い。荻窪に戻ってくれ。俺も今から戻る」


「わかった」


「部屋の鍵が開いてた。佐藤、今朝鍵をかけたか」


「……かけたと思うんだけど。急いでたから、自信がない」


「わかった。とにかく今日は俺のところに泊まれ。部屋には帰るな」


 三鷹駅に向かいながら、今日見たものを整理した。


 換気扇の傷。裏路地の空き缶。立ち止まった人影。


 どれも決定的な証拠ではない。だが状況証拠として、犯人が佐藤の部屋を下見し、監視していたことを裏付けている。


 中央線に乗り、荻窪に戻る。


 駅の改札を出ると、佐藤が立っていた。手にはコンビニの袋をぶら下げている。


「何買った?」


「つまみとビール。今日は飲ませてくれ」


「ああ」


 二人で俺のアパートに向かった。


 狭い二階建てのアパート。俺の部屋は一階の角部屋。六畳一間にキッチンとユニットバス。男二人が泊まるには狭いが、贅沢は言っていられない。


 部屋に入り、鍵をかけた。チェーンもかけた。


 佐藤は床に座り込み、ビールのプルトップを開けた。


「今日で終わるんだろ、このXデー」


「日付が変われば終わる。あと四時間だ」


「四時間か」


 佐藤がビールを煽った。喉仏が大きく動く。


「河瀬。ありがとうな」


「まだ礼を言うのは早い」


「でも、お前がいなかったら、俺はたぶん部屋に閉じこもって震えてた。台本通りに」


「だから、まだ終わってない」


 俺もビールを開けた。冷たい液体が喉を流れる。二月の夜、友人と飲む安いビール。それだけのことが、今日はやけに特別に感じた。


 十時。十一時。


 テレビをつけて、バラエティ番組を見ていた。佐藤が時々笑った。緊張が少しずつ解けているようだった。


 午前零時。


 スマートフォンのアラームが鳴った。日付が変わった。二月二十日。佐藤が生きている。


「終わったのか」


「終わった。Xデーは過ぎた」


 佐藤がゆっくり息を吐いた。長い、長い吐息だった。


「でも、犯人はまだ捕まってない」


「ああ。台本が外れただけだ。犯人が諦めたとは限らない」


「じゃあ——」


「明日から、犯人を追う」


 佐藤がビールの缶を見つめた。空き缶を握りつぶす。アルミが歪む音がした。


「一緒にやる」


「当たり前だ」


 窓の外では、二月の風が電線を鳴らしていた。



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