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配達された完全犯罪の台本  作者: なは


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15/15

燃やされた台本

 三月になった。


 東京にはまだ寒さが残っていたが、日差しの角度が変わった。影が短くなり、昼が少しずつ長くなっている。


 事件から一週間が過ぎた。


 織田圭吾は正式に起訴された。筆跡鑑定の結果、遺書は佐藤の筆跡を模倣したものだと裏付けられた。下書きと合わせて、偽造の事実は動かし難い。


 杉本刑事の話では、織田は取り調べの終盤でようやく殺意を認めたらしい。「佐藤を自分のもとから離さないため」と。最後の方まで、自分の計画がどこで破綻したのかを気にしていたという。犯行の失敗より、台本の完成度。どうしようもなく歪んでいた。


 俺の生活は、事件前とほとんど変わらない。


 相変わらずフリーライターをしている。ウェブメディアに記事を書いて、安い報酬をもらう。家賃を払い、光熱費を払い、コンビニの弁当を食べる。


 ただ一つ変わったのは、カロンの郵便受けの記事を書かなかったことだ。


 編集者にはテーマを変更したいと伝えた。理由は聞かれなかった。代わりに、春のおすすめパワースポット特集を書いた。パワースポットに興味はないが、取材と称して神社を巡るのは悪くない。


 三月の最初の土曜日。佐藤から電話が来た。


「河瀬。週末、暇か」


「暇だ。フリーライターに忙しい週末はない」


「飲もう。今度はちゃんと乾杯しよう」


 約束の土曜日の夜。


 新宿の西口で待ち合わせた。同じ場所だ。二月のあの夜、遺書を見せた場所。


 佐藤は私服だった。ダウンジャケットにジーンズ。いつもの佐藤だ。顔色は良かった。目の下のくまも消えている。


「久しぶりだな」


「一週間ぶりだろ。久しぶりでもない」


「気分的には一年ぶりくらいだ」


 佐藤が笑った。あの笑い方だ。くしゃっと目を細めて、口角を上げる。


 居酒屋に入った。前回と同じ店。カウンター席に並んで座り、生ビールを注文する。


「乾杯」


 ジョッキをぶつけた。薄いグラスのジョッキをぶつけると割れることがあるが、この店のジョッキは頑丈だった。


 ビールを飲む。うまかった。二月にこの店で飲んだ時は、味なんてわからなかった。


「決めたことがある」


 佐藤がジョッキを置いた。


「引っ越す。あのアパートを出る」


「そうか」


「あの部屋にいると、どうしても思い出す。ドアの前に立つ度に、あの夜のことが頭をよぎる。だから、新しい場所に移る」


「いい判断だと思う」


「次はオートロック付きのマンションにする。サムターンにはカバーもつける」


「防犯意識が上がったな」


「お前のおかげだ」


 佐藤は明るく振る舞っていたが、声の奥にはまだ硬さがあった。


 話は普通のことに移った。仕事、映画、共通の友人の結婚。意識して軽い話題を選んでいるのは、二人とも同じだった。


「そういえば、カロンの郵便受けの記事はどうなった」


 佐藤がふいに聞いた。


「書かなかった。テーマを変えた」


「なんで」


「書けなかった。都市伝説として面白がれなくなった」


 佐藤は少し考えてから頷いた。


「だろうな」


「それに、あの記事を書いたら、事件のことに触れないわけにはいかない。お前のプライバシーに関わる」


「別に俺は構わないけどな。名前を変えて書けばいい」


「いや、やめておく。あの台本は誰かに読まれるために書かれたものだった。だがもう、読者は必要ない」


 佐藤がビールを一口飲み、こちらを見た。


「燃やそうぜ」


「何を」


「遺書のコピー。まだ持ってるんだろ。写真で全ページ撮ってあるって言ってたじゃないか。プリントアウトして、燃やそう」


 俺は佐藤の顔を見た。真剣な目をしていた。


「いいのか」


「燃やす。台本を、脚本を、シナリオを。全部灰にする。そうしないと、あの物語はずっと俺の中に残り続ける」


 翌日の日曜日。


 俺はコンビニで遺書のコピーをプリントアウトした。十三枚。あの万年筆の文字が、コピー用紙の上に白黒で再現されている。言葉の重さは原本と変わらないが、紙の質感が違う。安っぽいコピー用紙の手触りが、これがただの記録に過ぎないことを教えてくれる。


 佐藤の新しい部屋はまだ決まっていない。引っ越し前の三鷹のアパートに行った。佐藤はベランダに七輪を出していた。


「どこから持ってきたんだ、それ」


「ホームセンターで買った。練炭トラウマがあるかと思ったけど、意外と平気だった」


 佐藤が笑う。強がりかもしれないが、指摘はしなかった。


 七輪に火を起こした。炭ではなく、新聞紙を丸めて火をつけた。小さな炎が揺れる。


 佐藤がコピーを受け取った。


 一枚目。冒頭の宣言。そのまま七輪に入れた。紙が炎に触れて、端から茶色く変色し、オレンジの炎に包まれた。


 二枚目。動機の記述。同じように燃やす。


 三枚目。手順書の始まり。


 佐藤は一枚ずつ、丁寧に七輪に入れていった。急がず、一枚が燃え尽きてから次の一枚を入れる。


 十三枚目。最後のページ。


 赤い糸で縁を結び、永遠の眠りにつく。


 佐藤がその一行を声に出して読んだ。それから、紙を七輪に入れた。


 炎が紙を舐め、文字を溶かし、意味を消していく。黒い灰が七輪の中で舞い上がり、風に乗って消えた。


「終わった」


 佐藤がそう言った。


「ああ」


「台本は灰になった」


「そうだな」


「これからは、自分の言葉で生きていく」


 佐藤が七輪の火を見つめたままそう言った。


 俺もベランダの手すりに肘をつき、七輪の炎を見つめた。


 小さな火だった。誰かの殺意が込められた文字は、もう読めない。灰になって、風に散った。


 ビールを取りに行こう、と佐藤が言った。


 二人で部屋に入り、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。プルタブを引く音が二つ重なる。


 乾杯はしなかった。自然に、同時に飲んだ。


 窓の外では、三月の風が吹いていた。まだ冷たいが、どこかに春の匂いが混じっている。


 桜にはまだ早い。だが、咲く日は遠くない。


 俺はスマートフォンを取り出して、メモ帳を開いた。


 何を書くのかと佐藤に聞かれた。


「次の記事のネタ」


「何のテーマ」


「春のおすすめ花見スポット特集」


 佐藤が吹き出した。


「お前が花見の記事を書くのか」


「食えないジャンルの筆頭だって言っただろ。たまには食える記事も書かないと」


「花見ならいい場所知ってるぞ。この近くの公園」


「取材に付き合ってくれるか」


「もちろん。花見には酒が必要だからな」


 佐藤が缶ビールを掲げた。


「その時はちゃんと乾杯しよう」


「ああ。ちゃんとな」


 ベランダの七輪は、もう煙を出していなかった。灰だけが残っている。風が吹けば、それすらも消える。


 台本は燃え尽きた。


 物語は、ここから二人で書く。

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