第26話 天使達と影武者
化粧部屋。そこには異様な空気が流れていた。
粘り気のある空気に邪魔されて、息を吸うこともままならない。
「貴様らの失態は聞き飽きた」
シロ様の影武者が全員、床に跪いている。2号である私も含めて3人。3号と4号もそこにはいた。
目線を下に向けて膝を地面に着ける私たち。
その前に立っているのは大陸の礎。天使様だった。
赤い目を光らせて、私たちを睨みつけるアレガルド様。
それを前に、私たちはただ小刻みに震えることしか許されない。
隣にいた3号が過呼吸の発作を起こしている。
シロ様の脱走。その罪を問われて、私たち影武者はこの化粧部屋に呼ばれていた。
「なぜ貴様らは言いつけを守れない?守る気がないのか?それとも自分たちの役割を忘れたか?」
空気がよどむ。重くて喉を引っ掻く空気の質感。
「申し訳ございません、申し訳ございません」
そう言う他なかった。
天使様の御家族が集まるこの日。大陸から来賓してくる要人の方々を前にして、シロ様の失踪は最悪な罪だった。
逃した私たちの罪もまた重く。私たちではどうすることも出来ない重圧が身に降りかかっていた。
「謝れとは言っていない。お前たちの役割はなんだと聞いている。答えろ」
顎が震えて、奥歯が鳴るのを止められない。
恐ろしい。その言葉に尽きる。この天使様を前にして、私という存在はあまりにも小さい。
影武者だろうが、使用人の私たちが一人二人殺されても、誰も文句は言わないだろう。
シロ様の脱走。その罪の責任は大きすぎる。
「そうか忘れたか」
そしてアレガルド様は軍刀に手を伸ばした。
「お待ちください。私たちの役目はシロネフェリア様の身の安全ですっ」
勢いよく、そう言った。勢いをつけなければ発言することもままならなかった。
隣の3号はもう意識を保っていることさえ難しい。私がアレガルド様の問いに答えるほかなかった。
「そうだ。シロの安全を守る。それがお前たちの仕事だろう。なぜそれをしない?」
重圧がかかる。物理的に何かされている訳ではない。しかし胸を押しつぶすような感覚が止むことはなかった。
「どうやらお前たちは何か勘違いをしているようだな?」
アレガルド様は軍刀を鞘から引き抜いた。抜き身の真剣が顔を出す。
「さっき聞いたぞ、影武者の一人がここから脱走したと。親元が恋しくなったなど理由にならない。自分の責務に対して、お前たちは真剣さが足りていないようだ」
足抜け。仕事場を放棄して抜け去ることは他のところでも見られる。影武者の仕事ならなおさらだった。
私の前にいた影武者1号もその一人だ。
「シロと同じ姿になっているからと言って。自分たちも天使になったつもりか?」
アレガルド様は、軍刀を振って私たち3人の間の地面を切った。地面がズレて、カーペットが木材ごと吹き飛ぶ。
「下劣極まりない、愚行だ」
アレガルド様から発せられる空気がより重くなる。
「シロと同じ飯を食べ。シロと同じ湯に浸かり。シロと同じ服を着て。シロと同じ屋根の下で寝る。そうか、勘違いするのももっともだ。分かった。俺がお前らの甘い考えを払拭させてやろう」
アレガルド様は激怒していた。その空気がこの部屋いっぱいに充満している。
「申し訳ございません」先ほどから、この言葉を繰り返し喋っているが、目の前にいる天の使いは聞く耳を持たない。
「貴様らの一人を選べ。その一人の腕を切り落とす。影武者なんぞ数人もいらない。自分の腕、同僚の腕が家畜の餌になってるのを見れば目が醒めるだろ」
そう言って。アレガルド様は私たちの返答をまった。
その言葉を聞いて3号は涙を流しながら泡を吹く。
水が滴る音。鼻を刺す臭い。4号が失禁をして、そのまま気絶した。
怒る天使。
それを前にして誰がまともでいられるだろうか?
「そうか全員死にたいか」
そう言って。軍刀が振り上げられた。
死ぬ。走馬灯に近いものを見た。自分の人生、酸いも甘いもあったが。納得いける人生ではなかった。それだけは確かだ。
生きたい。その願いが通じてか軍刀が振り下ろされることはなかった。
「アレガルド殿。そこらへんで・・・」
アレガルド様の腕を掴む一人の男性がいた。いつ部屋に入っているのかは分からない。
それを不満気に睨むアレガルド様。
「使用人の躾を邪魔するな。城内の規律が緩む。城内の規範形成に口出しする気か?」
そう眉間に皺を寄せる天の使いに、慣れたように男性は答える。
「それがでやんすね。これ、城主様の命令なんですわ。畏れ多いのは分かっていますが上司の命令は無視できやせんので」
その言葉にアレガルド様が目を大きく見開いた。驚いているご様子だ。
「父さんが?」
「はい。ウィスパー様から、止めてやってくれ、と。あとアレガルド様に来賓された方の対応を任せたいと仰ってまして」
その言葉を聞くとアレガルド様は静かに腕を下ろした。
そして大きなため息を吐く。
「父さんは従者に甘すぎる。使用人よりもシロの方が大切だろ・・・」
憎むように雑言を吐くが、しかしアレガルド様はそれ以上に抵抗を示さなかった。
「貴様らの処遇は父に任せる」
そう言うと、軍刀を鞘に収めて渋々と部屋から出ていってしまった。
助かった・・・。そう思った。今度こそ死ぬと思ったが、またしても生き残る。なんと悪運の強い人生なのだろうか。
「そこのお嬢さん」
先ほど、アレガルド様の掴んでいた男性に声をかけられる。
「ちょっと私についてきてくれやせんか?あなたをお呼びするように城主様から申しつけられているんですわ」
そう手招きする男性。
失神する二人の同僚を除いて、彼が呼ぶ人物は私以外にいなかった。
足に力が入らない。緊張で腰から下の感覚がなかった。
それを見かねたのか、男性が私の腕を持った。そして軽々と持ち上げると、おぶるようにして私を運んだ。
「大変でやんすね。影武者の皆さんも」
そう男の人は言った。
私はなんて返そうか迷ったが。
「いえ。私たちの実力不足です」
という定型文しか思い浮かばなかった。
「ははっ。実力不足なんてもんはありやせん。私から言わせてもらえば、本気で脱走する天使様を止められる方がおかしいでやんすよ。だから従者のみなさんも気の毒だ」
そういって、男の人は私を担いだまま早足で城の中を歩いた。
「抜け出す従者の気持ちも分からんでもないでやんすな」
そのまま歩き続ける。
「しかし、アレガルド様の御心も考えて下さい。一月ぶりに帰ってきたと思ったら最愛の妹さんが城から抜け出したなんて聞いたら、乱心の一つや二つ起こしますよ」
男性は足を止める。一つの書斎。その手前で立ち止まった。
そこで私を降ろす。足の痙攣は治まり、もう一人で立つことが出来た。
「旦那様、影武者さんをお連れしやしたよ」
そういって扉を開けた。この城の城主様。今まで一度しかお会いしたことがない方だった。
シロ様、アレガルド様の父君にして、この国の主柱。
曰く、この大陸の最高権力者。ウィスパー・サンシャイン閣下。その人が、扉の向こうで椅子に座っていた。
机の上、大量の書類に目を通している。それを囲むよ
うに大柄の男たちが3人並んでいた。
ウィスパー様の護衛だろう。大柄の男性陣は全員、人間離れの体格で頭から鳥の羽のような触角が生えている。伝え聞く「龍人」の姿だった。
「やあ。来たかい」
ウィスパー様はメガネを外すと、桃色の瞳を向けて私に向き合った。
「すまないね影武者くん。その様子だとずいぶん息子に脅かされたんじゃないかい?」
まるで友人と話すように、私の前に座る天使はしゃべった。一瞬、喋りかけられているのが自分ではないと錯覚してしまう。
そしてウィスパー様は大柄な従者に向けて手を振った。
「みんな、彼女と二人で話をさせてくれ?」
そうウィスパー様がおっしゃると、大男たちは何も言わずに頭を下げて部屋の外へ出ていった。
「ベンジャミンもありがとう。息子を止めるの大変だったろう?」
「いえいえ、坊っちゃんは聞き分けが良い方なので・・・」
そういって先ほどまで私をおぶっていた男性は部屋を出て、扉を閉めた。
「ベンジャミン⁈」と声が出そうになった。さっきの男性が英雄「ベンジャミン・バルジャン」なのだろうか?
大陸北峰の鋼質有機体を全滅させたという英雄譚は知っている。もっと大柄で、もっと怪物みたいな人だと思ってたけど・・・。随分と優男だった。
みんなが外を出ていくのを確認すると、ウィスパー様の口が開く。
「一度、君とは話したね。娘の影武者として働いてくれてありがとう」
ニッコリと口角を上げて、私の瞳を見つめた。
「慌ただしい所すまないが、舞踏場にみんなを待たせているんだ。要件だけ伝えさせてもらう」
ウィスパー様は続けた。
「君には娘の代わりに舞踏場に上がって欲しい」
そう言った。この部屋には誰もいない。屈強な男に睨まれているわけでもないのに、私はその優しい言葉を断ることは出来なかった。
「シロのふりをして舞踏場に上がるんだ。いいね?」
「お・・・お待ちください。私がシロ様の代わり・・・でしょうか?」
困惑する私にウィスパー様は付け加える。式典まで時間がないことは明白だった。
「そうだよ。シロがこの場にいない以上、来賓されたみんなには君を会わせるしかない。僕の見立て上は、君が最適なんだ」
「・・・ッ」
「不安がるのも無理はない。でもね、シロの代わりに社交場に出る機会は将来必ず訪れるんだ。それが少し早まった。そう考えなさい」
「有無を言わせない」天使の一族にはそういった特性があるようだった。
シロ様も、アレガルド様も、そしてウィスパー様も、その言葉は重く鋭い。その言葉は私には避けようのないものとなっていた。
「シロの脱走を阻止できなかった失態、それを挽回する場面だとも考えるんだ。自分の失敗は、自分で巻き返すしかない。そうだね?」
その口調や語気は、とっても優しげであった。しかし服従心を煽る声でもあった。
私はその言葉に頷くしかなかった。
「上手くいけば君たちの失態もなかったことにする。それに息子にもちゃんと伝えておくよ。君たちを虐めないようにね」
そしてウィスパー様は席を立った。
そして私の前に迫る。
「上手くいかなくても「訓練の一環」と言って皆んなには説明するから大丈夫。気負わず、自然体で行こう。君の考えるシロを演じなさい」
そう言うとウィスパー様は私の肩を掴んだ。
「大丈夫。上手くいくから」
そして背を押された。
「先に舞踏場に行って待ってなさい。少し遅れてから、僕も行く」
扉が開かれる。
心臓の鼓動が早まるのを感じた。
今から、自分の命運を賭けた戦場に行くのだ。自分の想像以上に緊張している。
自然体でいい。私が思うシロ様の姿を演じる。
「大丈夫。きっと上手くいく」
私は、その言葉を信じて舞踏場へと向かっていった。
シロ様は脱走する前に言っていた言葉を思い出した。
「これが正解だ。カゲちゃんなら出来るよ」
まるでこうなることが分かっていたかのようにシロ様は言っていた。
シロ様、ウィスパー様。全員が同じことをおっしゃっていたのだ。
まるで天使様は同じ未来が見えているように語る。
その言葉は、ただの占いとは比べることの出来ない重い楔として、私の心に穿たれた。
「大丈夫、私なら出来る」
信じる天使様の願いを叶えるように、私は胸を張る。
何かの催眠にかかるように、舞踏場へと向かう私の足取りは軽かった。




