過去話 天使の影武者
村のみんなから容姿の綺麗さを指摘されて育った。「べっぴんさんやね」とか。
「将来が楽しみだ」とか。
「綺麗」とか「素敵」とか「美人」とか「可愛い」とか。
そういう容姿に関する賛辞を浴びるように育った。
だから自分の容姿は綺麗な方だと自覚している。それが人生の指針になる程に。
だけど、その時はまだ自分が天使様の影武者になるなんて思ってもみなかった。これっぽっちもである。
『天使の使い』それは余りにも遠い存在だったから。
今から一年前。
それは唐突に修道院で言われた。
「君には才能がある。君のその姿は天からの贈り物だ」
そう出先の牧師さんに諭された。
「君は天使さまのお付きになれる」
そう父と母を説得した。
もし天使様のお付きになれば、大きなお城に住み、私の家より広いベッドで眠って、飢えを知らずに過ごせる。そう語られた。
その代わりに家族と離れることになる。
でも家族にも手当が出るし、私の住む村にも給与が割り当てられる。名誉ある仕事なんだと牧師さんは私に言った。
私の家族も、村のみんなも喜んでいた。天使様のお付きに選ばれるなんてと興奮していた。
村のみんなの生活。私が私を捨てること。
この二つを天秤にかけたとき、どうやってもみんなの生活の方が勝ってしまう。
だから私は天使様のお付きになることを選んだ。
もし選ばなかったとしても強制的に連れ去られるか、家族やみんなから追い出される。
そういう風になるだろうから、自分から選んだようにみせた。選択肢なんて最初からなかったのに。
みんなが「いいな〜」と言った。そう思うなら、変わって欲しいと思った。
ある日、豪華な馬車が私を迎えにやって来た。農耕を営む私の村には横切ることさえないような、黒い塗装のされた屋根付きの馬車がやって来た。
「お迎えにあがりました」
紳士然とした格好の執事が、私の腕を取った。
天使の私設秘書を名乗る男性だった。文官のような装いなのに、獰猛な迫力を醸し出していた。
馬車に乗り、街へと向かう途中。私の仕事場での注意点を説明された。
「聞いているかもしれませんが、あなたには名前を捨ててもらいます。家族にも2度と会えないものと考えてください」
淡々と男性は言った。有無を言わせない凄みが彼にはあった。
「あなたの役目は、天使さまの身の安全を守ることです。決して天使さまと仲良くなることが目的ではありません」
男性は声色を変えない。
「天使さまの安全を守ること、それが最大の目的です。天使さまが危険なことをしそうとした時、咎めるのもあなたの仕事です。天使さまはあなたの友達ではありません。仲良くなって、なぁなぁで済まそうなんて考えないでください」
これから起こることを予期しているかのように男性は語気を強めた。
「天使さまはこの国の命運を肩に置く方です。我々の想像もつかないような重積、役割を担っている天上人です。もし天使さまの身に何かあった場合、あなたはもちろん、あなたの家族、親類に村の方、その全てを逆賊とみなし処刑します。いいですか?」
そう男性は問う。「いいですか?」なんて言われたところで私に拒否権はない。「ダメです。やめてください」と言ったところで何かが変わることがない。
背筋が凍り、顔から変な汗が出てくる。
この男性の「いいですか?」は、「あなたはちゃんと言いつけが守れますか?」という問いなんだと思う。
こんなにも簡単に死戦を踏み越えてしまっていた。もう後戻りなんて出来ない。
自分の命をかけた戦場に放り込まれている気分だった。
ここで泣かない自分に驚いた。正直、普通の子だったら泣き喚いても仕方がない状況だった。馬車という密室で屈強な男性から「仕事ができなかったら殺します」と言われているのだ。正気でいられるわけがない。
天使様。一度も見たことがなかったけど、大人から聞かされる話には何度も出てくる奇跡そのもの。その天使様のお付きに私はなるのだ。
「言葉使い、礼節、協調性。天使さまのお付き、また影武者として貴女には様々な訓練をしていただきます。頑張った分だけ給与も上がるので、そのつもりで頑張ってください」
男性は私に説明する。
「天使様の姿で品性に欠ける行動を取ってはいけない」
「天使様の姿で下劣な発言をしてはいけない」
「天使様の姿で恋愛をしてはいけない」
「天使様の姿で人々と仲良くしてはいけない」
そう男性は言っていた。
これは発言の一部だったが、後半から気分が悪くなり、話のほとんどを覚えてもいなかった。
「もし命令に背けば舌が抜かれるだけでは済まされませんので」
秘書さんは私に対して敬語を使ってはいるが、人としての敬意を持っていなかった。この男性にとって私は人としての最低辺なのだろう。農耕を営む村娘の対応としては妥当な対応だった。
獣より上だが、人としては下の下。天使様のお付きになることで舞い上がらせないようにするための処置のようだった。いわゆる「勘違いちゃん」をここで潰しておく算段なのかもしれない。
天使さまに近づく。なんとも言い難い緊張を感じる。
天上人。そういった人の近くにいること。その人の影になること。どういった環境なのか分からない。信仰の対象にお近づきになる喜びよりも、不安のほうがずっと大きかった。
怖くて背筋が寒くなる。
自分の知らない場所に行くのが、自分の知らない人と生活するのが怖くて仕方なかった。
この男性のように、人としての最低限の扱いしか受けなかったらどうしよう、と不安を煽られた。
名前を捨て、自分を捨て、天使さまとして生きる。
私という存在は、誰からも好かれない。誰からも忘れ去られる。そんな感覚に陥った。
「到着です」
そう言われて、白い巨城に着いた。天使さまの根城。私の仕事場だった。
流れるままに私の二つ目の人生が始まった。
メイド長のもと訓練を受けた。立ち居振る舞い、言葉遣い、食事作法、礼儀作法。
上流階級を演じる者としての訓練を受けた。
言葉の訛りを矯正し、使ったことがない食器の使い方を学んでいった。
特殊な塗料で髪の色素を抜き、顔にメイクを施した。
来る日も来る日も、作法を磨く毎日。
表面上は天使様に近付いていく。
しかし自分が薄れていくという実感があった。磨かれ擦れて消えていく。そんな心情に襲われる日が続いた。
そして、その日は突然やってきた。
「行けません。シロさまッ!」
メイドの叫びが上がる。白い天使が現れた。
「貴女が私の影武者さん?」
そう天使が言ってきた。
まるでか鏡に映る自分を見ているようだった。
「はい。ご挨拶遅れてしまい申し訳ありません。私がシロネフェリア様の付き人になるものでございます」
自分の名前は言わなかった。もし言えば覚悟不足とみなされるかもしれない。
すぐさま目線を下に向け跪く。
そんな私の手を取り。
「会いたかったよー!」
そう天使に抱擁された。
驚きが電流となって私の体を突き抜ける。
「貴女のこと何て呼べばいいの?」
そう私の目を見て、天使が仰った。
プツリと自分の中の線が切れる音がした。
優しかった。天使さまは優しかったのだ。
涙が流れた。唐突に、ただ自然と涙が溢れ出した。
「す・・・すみ・・・ません」
そう言って私は手で目元を隠して下を向く。
天使さまはそのまま私のことを抱擁した。
「大丈夫だよ。大丈夫」
天使様が私の背をさすった。その現場を咎める人はいなかった。
怖かった。それ以外の感情が捻れて、私の心に巣を作っていた。
天使様が怖い人だったらどうしよう?と不安に思っていた。
偉大な天使様、私はその影にいつも怯えていた。
失敗が許されない現場で、いつも心細く震えていた。
心から安心した。天使様がこんなに安心感のある人だとは思わなかった。
もっと怖い目に遭うと思っていた。国の命運とかそんなのは分からないけど、ただ私の手に余る重積を強いられていると考えていた。
「大丈夫だよ」
私と同じ顔をした天使さま。だけどその威光は私では代わりが務まらないほどに燦々と輝いている。
「大丈夫、きっと上手くいく」
城を何度も抜け出して、この言葉に何度も裏切られることになる。だけど、私は天使さまを信じていた。
影武者として、付き人として。私は天使さまを愛していた。
きっと上手くいく。天使さまと出会えたその日から私の考えは変わっていない。
「影武者2号」それが私の名前だった。




